「花」のない「華」

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誕生日に花をもらった。


...と思ったら肝心の花がなく。

しかし家に帰っていざ花器代わりのコップに生けてみると...


...あら不思議。

確かに「花」はないのだけど全体として「華」があるように見える。


花を「生ける(活ける)」ってこういうことなのかな。

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以前から「生け花」という言葉に疑問を感じていた。

花を摘み取り、その命を切り取っているのに、
「生け花」というのは何ともおかしな話だと。

そこには花の都合は考えない、人間のエゴイズムが現れている。

それでも僕らは生けられた花を美しいと思うし、花を贈られると嬉しいと感じる。


たぶん「生かされ」ているのは僕ら人間のほうなのだ。
そういう意味では「生かし花」とでも言ったほうがいいのだろうけど、
あまり語呂ががよろしくないね。

人間のエゴを無くしてしまうのは無理なのかもしれない。
「美」という概念もとどのつまりはエゴイズムなのだし。
人間はエゴ無くして幸せにはなれない生きものなのだ。


ただの「ヒト」になれないのであれば、
せめてエゴイストであることに罪の意識を感じていよう。
それがキリスト教でいうところの、
「人間は生まれながらにして罪人である」ということなのだろう。


しかし考えてみれば、生きものなんて皆エゴイストじゃないか。
自然界は本来それで上手く回っていくシステムなのである。
しかし人間だけが、そのエゴイズムで他の生態系に
必要以上に迷惑をかける生きものなのだ。
だから人間は自らのエゴイズムに十分注意しなくてはならない。

しかし人間のエゴは他の生きものに迷惑を与えるだけなのだろうか。
...そんなことはないはず。
人間の叡智はそれ以上の恵みを与えることができるはず。


その「恵み」を考えてゆくことが人間の義務なのではないだろうか。


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[等々力渓谷の紫陽花]

紫陽花もそろそろ時期が終わるころかな。

その隣に咲いていた若葉。

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これも...花?

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本質的な美は自然の中にある。
けして人工的なものではない。