フィリップ・ジョンソン著作集

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バイト仲間が貸してくれた雑誌で知ったフィリップ・ジョンソン著作集。

さっそく図書館で探して読んでみました。


コルビュジエやライトに比べれば若干読みやすいです。
そして掲載されている写真もモノクロだけど、とても美しい。
しかしやや厚めで大きいこの本を満員電車の中で読むのは骨が折れた...


著作集、とありますが、
実際はデイヴィッド・ホイットニーによりジョンソンの数々の
雑誌のレビューや講演記録などをオムニバス形式で編纂されたもの。
日本版の本のデザインは田中一光。
1975年の初版はグレーのブック・カバー、
1994年の再版版は白のブック・カバーとなっているようです。


1932年、当時のMoMAの館長アルフリッド・バーにより
1922年以後に急速に広まった新しい建築様式は
「インターナショナル・スタイル」と命名され、
ラッセル・ヒッチコックとフィリップ・ジョンソンにより
「インターナショナル・スタイル:1922年以後の建築」
というタイトルで近代建築国際展が開催された。


しかしその半世紀後。
自ら提唱したその様式に反旗を翻し、ポストモダンへの展開を見せる。


彼が建築に馳せる想いは何だったのか。

そのヒントがこの本にはあると思います。


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[初版カバーはグレー]


フィリップ・ジョンソンの建築作品はこちら


この本では「ポストモダン」という言葉は出てこない。
しかし近代都市の諸悪、問題点を辛辣に指摘して、
道路、自動車を都市の「悪」とし、
ベネチアのように都市から自動車を駆逐するべきだ、と説くあたり、
技術至上主義への反動、という意味でポストモダンの片鱗が
見えてくる気がする。


なにはともあれ、インターナショナル・スタイルといえば、
まずはライト、コルビュジエ、ミースの現代建築の三巨匠ははずせない。
彼らに対する姿勢を見ることで、インターナショナル・スタイルの姿を
知ることができるのではないか、と。


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[タリアセン・ウエスト]

私はさまざまな理由からフランク・ロイド・ライトこそ今日最大の建築家であると思っている。周知の如く、彼は西欧における近代建築の創始者であり、今後10年以上たった後にも彼と腕を競わんとする者を生むであろうほどの多彩な様式の創始者である。彼に続く近代建築家のすべて-おそらくはル・コルビュジエを除いて-がライトの影響を認めているが、近年その借りを忘れがちの者もいないではない。けれども彼が今世紀のもっとも影響力ある建築家であることはまぎれもない事実である。彼は1900年代にあのひらいた平面をもつプレイリー住宅を創出したが、それは1911年のヴァスムート版作品集の刊行によってさまざまな近代デザインの原型となった。1920年代には、彼は新しい鉄筋コンクリートの構造体によってマッシヴなマヤ建築を征服した。1930年代から1940年代にかけては、彼は円や六角形、三角形を用いて空間を新しい方法で組織し、新しい形態を生み出した。その作業は今も続いている。けれども彼はたんなる発明家にとどまる存在ではない。彼ほど三次元、すなわちファサードの裏に隠された奥行の感覚をもって建築の本質を捉えた者はいない。写真は彼の建物の内部にあっての経験をけっして伝えることはできない。カメラは、彼が組織だてた空間のなかを歩いていくときのあの衝撃がしだいにに積み重なっていくありさま、低いところから高いところへ、狭いところから広いところへ、あるいは闇から光へと歩むときの効果を記録することはできないのである。(タリアセン、タリアセン・ウエスト、ジョンソン・ワックス社)ライトはまた、建物を自然の環境にうまくはめ込んでいく独得な才能を持っている。それが丘の上に建つものであろうと(ポーソン邸、ラーブ邸、ハートフォード・ビル)、あるいは斜面に張りつくもの(タリアセン、タリアセン・ウエスト、ジェイコブズ邸)であろうと、彼の建物はつねに彼が「有機的」という言葉で表現する如く、大地に根を生やしているかに見えるのである。(P10 「辺境の開拓者」『アーキテクチュラル・レビュー』1949年8月号)

ライトは偉大としながらも、
その偉大さは天性ゆえのもので誰も真似できるものではない。
産業としての建築においては参考にならねーよ。

...というのがライトに対する姿勢なのかな。


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[ユニテ・ダビタシオンのピロティ]

ル・コルビュジエの偉大はいったい如何なるところに存するのだろうか?おそらくこの問いに対するひとつの手掛かりは空想を規律に対せしめる彼の方法であろう。彼はかつて純粋なる柱体-ル・プリスム・ピュール-(取り扱うにもっとも至難な形態)の賛美者であった。けれどもその一方、彼は時代を同じくする建築家仲間のうちでも筆頭の夢想家なのである。思うに彼は、純粋なる柱体を賛美するあまり、その六番目の面、すなわち柱体におけるもっとも難しい面を人々の目に触れさせんがために、その方形の建物をはじめて「ピロティ」の上に載せた人物なのである。それから彼はこの大空に相対する柱体の上に奇妙なる形態をつくりあげていった。すなわち逆円錐や波打つ屋根、箱、それに人工の山並みまでもがデザインされたのである。マルセイユでは(この全集の写真ではその感じがうまくつかめないが)ピロティは巨人の手の如き形をしており、それは世界を支えるアトラスさながらに大重量をぐっと差上げている。そのさまは、重量挙げをやる寄席芸人が大仰な持ち上げかたをすることでそれを観る者にいかにも重そうだと思わせるのにさも似ている。ミケランジェロの巨大なオーダーと同じく、この「手」も、建物の残余の部分を秩序づける力強いリズムを刻むのである。けれどもマルセイユは基本的には一個の「純粋なる柱体」にして-大気の中に浮かぶ一個の箱であり、きわめて装飾的なものではあるがなおかつ-たんなる一個の箱なのである。(P37-38 「正確かつ壮麗なるたわむれ」 W・ベジガー編『ル・コルビュジエ作品集第五巻・1946-52』書評 『アート・ニューズ』1953年9月号)

コルビュジエは建築に秩序・合理性をもたらしながらも、
そこに芸術性を関連づけず、建築の中に技術と芸術を存在させながらも
両者を融け合わせることはしなかった。

うーん、惜しい、残念!
...といったところだろうか。


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[シーグラム・ビル]

どうやったら私たちの環境を美しく設計できるだろうか?この問いについて現在の私たちに示唆を与えてくれることのできる人物は、このここ二世紀間における巨人たちをおいてほかにありません。もちろんシンケルとミースの以外にもさまざまな傾向があります。実際私たちアメリカ人について考えてみるならば、シンケルの名が口にのぼされることすらまず無いといっていいくらいです。今日のアメリカではいっさいの伝統に対して、それもミースの作品によって代表される近代建築の伝統に対して反抗するのが流行になっており、その結果、いっさいの秩序の枠が猛烈な勢いでつき破られていくのです。ベルリンにおいても、このアメリカ式の反抗が私たちの今集まっているまさにこの建物にも見られます。異なるもの、面白いものを求める建築がいまや流行となっているのです。私たちは皆-私もまたこの異端に組するところがあると認めるにやぶさかではありませんが-新しい形態をを探し求めています。その有様たるや、まるでわが盟友諸氏は建築雑誌で目立つような珍奇なもの、面白いものならどんなことでもやってのけようといわんばかりです。でも「ぜひとも」御用心下さい。このような態度についてミース(シンケルもおそらく同じ答えをしたでしょうが)は適切な答をしています。「私は面白いものをと思っているのではない。私は良いものを求めているのだ」と。これはあらゆる芸術に永遠に通用する視点なのです。(P187-188 「シンケルとミース」1961年3月13日 ベルリンにおける講演『20世紀におけるカール・フリードリッヒ・シンケル』(ベルリン1961))

合理性そのものに美を見出したミースこそ、
インターナショナル・スタイルの神だ!

...とは書かれてないけれど、そう言いたそうな気がした。


ここで誤解してほしくないのですが、
基本的にジョンソンは現代建築の三巨匠を絶賛しています。
上記の差異はあくまで微妙なニュアンスでの中で称賛の度合いが
異なっているように感じたのです。

ライトは「今日最大の建築家」としながらもそれは19世紀における話で、
20世紀においてはもはや時代遅れ、
コルビュジエも「住宅は住むための機械である」という技術の合理性を
取り入れた建築の展開を評価しながらも、
結局はロンシャンのようにかつての芸術と一体となった建築から
離れられなかった点においてあまり評価せず、
結局は「Less is More」という技術至上主義の観点から美を求めた
ミースを最も評価しているような。

この辺に「インターナショナル・スタイル」という様式の特徴がある気がする。

しかしミースの影響による「ガラスの家」で始まったジョンソンの建築も、
晩年はリップスティックビルディングやサンクスギビングスクエアのように
ライトやコルビュジエのように直線を離れてゆく。

しかしライトやコルビュジエのような「無機」から「有機」への明確な「進化」は
感じられず、あくまで形状への反動、という形でしか現れなかった気がする。
ここにジョンソンの「迷い」があったのではないだろうか。
三巨匠も人間だから当然迷いはあったかもしれないけれど、
彼らはそれでも独自の哲学を貫いた。


一方ジョンソンは、といえば。

曲線を多用するサーリネンをあまり評価しないかと思えば、
日本建築の簡素美の桂離宮と、絢爛豪華な東照宮を比較して、
東照宮の方を好んだりする。

...どうも「自分の哲学」というものがはっきり見えない。

しかしそう決めつけてしまうわけにもいかない。
僕はジョンソンの建築をほとんど訪れたことがなく、
写真で見る限り、文章を読む限り、の感覚なのだから。
建築の感覚は写真や言葉だけでは分からない。
実際にその内部に入って体験しなければ。


手を動かして自ら形を創るのと同時に、
足を運んで古の良い空間を体験する。

それが建築家として為すべきことなのだろうか。


しかしこの本で一番衝撃的だったのは、シンケルのゴシックイメージかな。

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[海辺の中世都市(1815)](出典:Wikipedia)

やはり現代建築はまだまだ浅い。
たかだか100年ちょいの歴史に対し、
建築そのものは二千年以上の歴史があるのだから。

そして建築は時間をかけて評価されるものなのだから。


もっともっと古典を学ばなければならないのかもしれない。