新居浜市美術館(あかがねミュージアム)で開催中のジブリの動画家・近藤勝也展に行ってきました。
近藤氏は新居浜市出身で、「天空の城ラピュタ」からジブリのアニメーション制作に
原画や作画監督、キャラクターデザインとして参加、
その後もジャンルに囚われず活躍されているジブリの「動画家」。
本展は新居浜市市制施行80周年記念事業の一貫で開催されるもので、
新居浜市出身の近藤氏は新居浜市の観光大使でもあります。
スタジオジブリ全面協力のもと、500点を超える作品が公開されています。
過去に二度、ジブリアニメの展示に行ってます。
一度目は2007年の東京都現代美術館で開催されたジブリの背景職人・男鹿和雄さんの展示、
二度目は昨年愛媛県美術館で開催されたレイアウト展。
三度目の本展はどちらかといえば、人物描写にスポットを当てているといえます。
三度の展示に共通していることは、
セルになる前の、動画になる前の原画の数々は、美術館で展示するにふさわしい芸術品だということ。
セルにするか、額縁に入れるか。
その選択によってアニメはエンターテインメントになるか、芸術品になるかが決まる。
もちろんどちらも悪くはないけれど、
悠久の時に立ち向かうには、前者では少々役不足のような気がするのは自分だけだろうか。
新居浜市美術館で開催中の東京富士美術館コレクション展に行ってきました。
本展は新居浜市市制施行80周年記念事業として開催されるもので、
古今東西の美術コレクション三万点を有する東京富士美術館の協力を得て、
東西の一級品65点が展示されています。
二部屋三部構成、と規模こそ小さなものだけれど、
なかなか濃いエッセンスが詰まった良い展示でした。
こんな田舎でこんな素晴らしい絵画の数々が見れるなんて驚きです。
(新居浜はそれでも愛媛の中では都会のほうなんですが^^;)
もう一つ驚いたのは作品が収められた額の豪華さ。
作品に風格を持たせるための額の重要性、というものを改めて感じました。
惜しむらくは展示品にかけられたガラスのカバー。
作品を保護するため、ということは重々承知しているのですが、
作品に映り込む自分の影が見える度に我に返って落胆してしまう。
それが作品の魅力を三割減じてしまっている。
額が立派なものだけに余計にそのことが悔やまれる。
カバーガラスの問題は別に本展に限ったことではなくて、
借り物で構成する企画展にはつきものの悩ましさ。
ここで思い出すのが2010年の横浜美術館でのドガ展。
目玉作品の「エトワール」にもガラスがかけられていたのだけど、
正面から見るとガラスが消える。
特殊なガラスなのか、特殊なライティングなのか、はたまたただの気のせいなのか。
いまだに分からないけど。
いつかカバーガラスに悩まされずに気軽に絵画鑑賞ができる日が来るといいなあ。
愛媛県美術館で開催中の「スタジオジブリ・レイアウト展」に行ってきました。
久々の愛媛県美。そして久々の芸術鑑賞。
本展はいわゆる完成美術品の展覧会ではありません。
アニメーションという一つの作品において、その全体設計図が絵コンテであり、
そしてレイアウトは場面場面の仕様が描かれた「部品設計図」。
本展ではそのような「部品設計図」を集めて展示するものです。
あらゆる分野においてコンピュータ化が進み、CADで設計図が描かれるようになった時代。
それは飛躍的なクオリティとパフォーマンスの向上をもたらす一方で、
誰がいじっても同じようなものを産み出す画一性がある種の退屈さをもたらすようにもなった。
(完成形ではない、という意味で)不完全な部品設計図を美術館で展示できる、
ということがどういうことなのか。
それを考えることで即効性が求められる娯楽(エンターテインメント)と、
世代を超えて受け継がれていく芸術(アート)の両者の立ち位置を再認識する。
そうすることで「良いもの」は創り続けられるのではないだろうか。
一昔前のジブリアニメ、宮崎作品が好きだ。
冒険心を一番くすぐられるのは「ラピュタ」。
自然の大切さを教えられるのは「ナウシカ」。
少女の可憐さに心ときめくのは「カリオストロ」。
そして、こんな所に住めたらな、と思ってしまうのが、「トトロ」と「紅の豚」。
そして一番心に残る名台詞が「紅の豚」のこの台詞。
「飛ばねえ豚はただの豚だ」
飛ばない人間も、ただの人間だ。
人間は「ただの」人間でいることに満足しない。
ただの人間でもハッピーになれる道はいくらでもあるのにね。
セッション1が終わりました。
SCコースに移って最初のセッションでしたが...
...思った以上に大変でした。
しかし思った以上に充実していました。
やはりSCに移動したのは間違いじゃなかった。
ボリューム模型を作って、
検討模型を作って、
図面を書いて、
プレゼン模型を作って、
プレゼン資料を作成する。
やることが多すぎる。
やってもやっても足らないと先生に言われる。
考える力と整理する力が必要である。
知力と同時に体力(耐力)も必要である。
デザインと同時に技術も必要である。
センス(感覚)と同時に論理的思考も必要である。
建築には全てが要求される。
だから難しいのだけどそこが面白くもある。
長かった春休みも気付けばもう終わりで、
いよいよ今週から新学期。
大学の助手さんのお手伝いで大学にはしょっちゅう行ってたものの、
同級生とはほとんど顔を合わすこともなかった。
そんな春休みも終わりのある日、同級生の女の子から花見のお誘い。
久々にクラスメイトの面々に再会。
みんな青春してました。
...若いっていいね。
毎週水曜日の2コマ目はデザイン史の授業です。
前期はル・コルビジェやフランク・ロイド・ライト、ミース・ファン・デル・ローエ、
ルイス・バラガンなど著名な建築家にスポットをあてたものでしたが、
後期は"都市"という地域にスポットをあてたものになります。
後期初回は「ニューヨーク」。
入学前の旅行を思い出します。
1800年当初6万人程度だったニューヨークもいまや人口800万人超の巨大都市。
(でも東京よりは少なかったんですね...意外。)
その1800年当初より計画的に整備された都市づくりにより、
ニューヨークの街は東西方向にストリート、南北方向にアヴェニューという
通りが碁盤の目状に規則正しく配置されています。
ストリートをアヴェニューは並んでる順に番号が割り振られており、
地図が見やすく、比較的場所の特定がしやすい。
東京などに比べるとずいぶんすっきりした構成になっています。
建物は長方形のブロック内に収まり、道は基本的にどこまでもまっすぐで、
あれだけ高層ビルが立ち並んでいながら空が高い。
また、摩天楼などで有名な高層ビル群は人間の遠近感覚を利用して、
ビルの高さがより高く見えるよう設計されています。
だからニューヨークは都市景観が美しい。
ストリートやアベニューから見る夕焼けがすごくキレイだったのを覚えています。
しかし。
巨大都市化は新たなる局面と問題を迎えつつあります。]
夏休みも残すところあと3日というところで。
どうしてもあともう一つのレポートに集中できない。
テーマはもう決めていて、あとは形にするだけなのに。
家にこもってばかりがよくないんだな、ということで、
集中力を上げるべくジブリの絵職人、男鹿和雄さんの展覧会へ。
...というのは口実で、
9/4-7限定で配布されるポスター目当てだったりするわけで、
朝一で入場するべく出かけたのですが...
ちょうど台風が過ぎ去ろうというところで、行きの段階ではまだ悪天候。
しかしそのおかげで会場はがらがら。
落ち着いてゆっくり見ることができたのでした。
建築史家にして建築家、藤森照信氏の展覧会に行ってきました。
新宿の東京オペラシティ3Fアートギャラリー。
Web Designing6月号の「ツクルヒト」。
そこではじめて藤森さんを知ったわけですが、
そこに掲載されていた「茶室 徹(てつ)」。
満開の桜の中にたたずむ木の上に佇む小屋。
何とも幻想的なその風景に惹かれました。
入場チケットにその見事な風景が採用されています。
[チケット]
本展は第10回ヴェネチア・ビエンナーレ建築展で開催された同タイトル展の
凱旋帰国展で国内で藤森照信を本格的に紹介した初の展示会だそうです。
最初は建築史家として活動していて、
これまで未来に向けて立てられる建築はたくさんあったが、
過去を顧みるための建築はなかったので自ら作ってみることにして
1991年44歳のときに建築家としてデビューしたんだそうです。
藤森建築は、施工にあたり、藤森さん自身、友人、施主からなる
「縄文建築団」が参加して手作りすることが特徴。
その氏が作る建物は最近の未来志向の無機質な都市型建築とは
明らかに一線を画している。
斬新だけどどこか懐かしく、
目立つけど不思議と周囲の自然風景に馴染んでいる。
とにかくとてもステキな建物なのです。
この夏公開のジブリ最新作「ゲド戦記」。
宮崎駿氏の息子さんが初監督、と話題を呼んでいますが。
その制作日誌ブログの一記事で見つけた美しい海の絵。
美術監督が書いたバリ島の海だそうです。
本当にキレイ。
思わず行きたくなる海。
さすが美術監督です。
絵の専門家じゃないけど。
いい絵を描くには見たままをただ描写するだけじゃだめなんだと思う。
たとえ模写だとしても一度心の中で絵を描く。イメージする。
そして心の中の絵を自らの手で表現する。
そこからは絵描きの技術によるんでしょうが。
心の中にイメージしたものを描く。
それではじめて「自分」の絵が描けるんだと思う。
では「いいイメージ」を持つには。
「いいものをたくさん見る」
これにつきると思います。
だから僕は今いろんないいものを見たい。探したい。
その欲求がこのブログを書かせているんだな、きっと。