「飛ばねえ豚はただの豚だ」

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一昔前のジブリアニメ、宮崎作品が好きだ。


冒険心を一番くすぐられるのは「ラピュタ」。

自然の大切さを教えられるのは「ナウシカ」。

少女の可憐さに心ときめくのは「カリオストロ」。

そして、こんな所に住めたらな、と思ってしまうのが、「トトロ」と「紅の豚」。


そして一番心に残る名台詞が「紅の豚」のこの台詞。


  「飛ばねえ豚はただの豚だ」


飛ばない人間も、ただの人間だ。
人間は「ただの」人間でいることに満足しない。


ただの人間でもハッピーになれる道はいくらでもあるのにね。


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理想の家は?...と訊かれれば、
昔は有名建築家の手がけた住宅を挙げていたけれど。
今は「紅の豚」「となりのトトロ」、この2つの作品中の
ポルコとトトロの棲み家を挙げる。


コルビジェのサヴォア邸、ミースのファンズワース邸、フィリップ・ジョンソンのガラスの家...

もちろんこれらの家は文句なく素晴らしい。
しかし、それらは周囲の素晴らしい環境あってこそ。

どんなに立派な家でもそれを包む周囲の環境がプアでは、
その空間の価値は半減してしまう。


その意味で僕は東京の狭小上宅(成城のような高級住宅街であっても)は
どうしても好きになれない。
住吉の家も好きになれない。

与えられた環境下で環境の良さを引き出し、できるだけのことをするのもまた、
建築家の手腕であることは十分理解できる。

しかしやっぱり群れるのは嫌いだ。
静かな環境で、落ち着いて暮らしたいもの。


ポルコのアジト、トトロの家、パズーの家。

かつての宮崎作品は「家」の魅力に溢れていた。
そしてその家を包む環境もまた、魅力に溢れていた。

家は自分を守るために自分を包んでくれるもの。
有機体である僕らを包むものは有機体であるのが望ましい。
母の胎内にいるが如く。


技術崇拝から離れられなかったミース、有機形態にこだわりながらも、
最後は人間的スケールから巨大化していったライト。

一方コルビジェは、というと、
技術崇拝のドミノハウスから、ロンシャン(家じゃないけど)を経て、
カップマルタンの小さな休暇小屋へ。
技術崇拝の傍らで、芸術家として絵を描き続けたコルビジェだけが
人間的スケールを見失わず、理想の家へのゴールへと辿り着いた、
ということなのだろうか。


大は小を兼ねない。

人間は人間的スケールで暮らすべきなのだ。


先日三鷹へミュシャ展を見にいった帰り途、
井の頭公園まで足を伸ばしてジブリ美術館を見てきました。
完全事前予約制なので、中には入れなかったけど。

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もう少し緑に包まれていると理想的なんだけどな...