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第19回多摩美術大学上野毛デザイン展...終了!

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3日間の展示も、無事つつがなく終了。

自己評価としてはとても満足のいくものだった。
やりたいことをやった結果を認めてくれる人たちがいた。
今は、それで満足。

だって、やっとスタート地点に立てたのだから。


3年前、八王子の卒制展を見に行ったとき、
その感想をこのブログでやや批判的に書いた。
そして開催関係者と覚しき人物から反論のコメントが来た。

そのときの記事を読み返してみたけれど、
今でもそのとき述べた僕の気持ちに変わりはない。

だけど反論した学生の気持ちが、同じ立場となった今はよく分かる。
しかし、その共感は僕自身の「甘さ」である。


しかし。

その「甘さ」が僕を僕たらしめている。


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いよいよ開幕。

疲れているはずなのに、興奮なのか、緊張なのか、
夜中に目が覚めてしまった。
折しも外はあいにくの雨。

でも、でも、多くの人に見てもらいたいです!
ぜひ、見に来てください!


  第19回多摩美術大学上野毛デザイン展

  2月18日│金│〜2月20日│日│
  10:00〜21:00(最終日17:30まで)
  多摩美術大学上野毛キャンパス
  東京都世田谷区上野毛3-15-34
  交通│東急大井町線上野毛駅より徒歩3分


基本的に全日程会場内にいるつもりですが、
休憩していたり、ほかの作品を見て歩いていたりと、
作品のそばにいない場合もあります。

もちろん僕がいなくても存分に作品を鑑賞してもらってかまわないのですが、
事前に来場時刻など連絡くれれば確実にアテンドできると思います。
僕を知っている人はもちろん、知らない方も、
ぜひぜひたくさんの人とお話したいです。

携帯か、twitter(@tadaoh73)へダイレクトメッセージ、
(普通のつぶやきや返信では見逃す可能性あり)
mixiのメッセージなどで連絡ください。
...確実に対応できる保証はないですが、できるだけフォローします。


ちなみに会場は正門入ってすぐの本館および1号館がメイン会場ですが、
僕の作品はそこからさらに奥の3号館映像スタジオで展示してます。
場所的に見逃されがちなのが心配なので、念押し。

映像スタジオは比較的スケールの大きな6人の学生作品が展示されており、
結構良い感じに仕上がっています!


第19回多摩美術大学上野毛デザイン展

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展示に向けて黙々と作業する日々。

展示のオフィシャルサイトができあがったようなので告知します。


  第19回多摩美術大学上野毛デザイン展

  2月18日│金│〜2月20日│日│
  10:00〜21:00(最終日17:30まで)
  多摩美術大学上野毛キャンパス
  東京都世田谷区上野毛3-15-34
  交通│東急大井町線上野毛駅より徒歩3分


昨年までは「学内展」と呼んでましたが、
今年から呼称が変わったようです。
デザイン学科の場合、
4年生の卒業制作と3年生の課題作品が合同で展示されます。

今年からは学外展示をしないから、というのがその理由らしいけど、
その割にはこそこそとこういう展示が企画されたり。

まあ自分としては、
このキャンパスで学んだ集大成を、このキャンパスで見せたい。
...という気持ちが強いので、今回の展示一本に集中します。
これだけのスケールの作品を無料で展示させてくれる機会なんて、
そうそうないわけだし。


ぜひ、たくさんの人に見てもらいたいです。


作家宣言

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言葉では言い表せない驚異と神秘の構図に、医師は息を呑んだ。理解できず、分析もできない感情が体中に満ちてきた。畏れと喜びー天地創造の場に立ち会った者の畏れと喜びか。官能的で、情熱的で、途方もない・・・だが、同時に、身の毛のよだつ何か、人を恐怖のどん底に叩き込む何かがある。これを描いたのは誰だ。自然がひた隠しに隠していた深みにまで潜り込み、そこに守られていた美しくも残忍な秘密を掘り出してきた男が描いた。人に知られること自体が不浄である秘密ーそれを知った男が描いた。ここには原始の気配、畏れ入るべき何かがある。(モーム『月と六ペンス』P380)


何か新しいものに出会うとき、
希望と喜びを持って無条件に全面的に受け入れることができれば、
これほど人間として幸運なことはない。
人生とは、新しいものとの出会いの連続なのだから。


しかし、それは時として「ヒト」として生きていくには致命的な欠陥となる。
外に出れば七人の敵がいる。
エゴの外にあっては、同じ種同士でさえ、敵になることがある。
「警戒心」は自分の身を守るための本能である。
人間は文明人である前に、「ヒト」であることを忘れてはならない。

信心が善であり、疑心が悪である、とは限らない。
疑心が科学を育み、信心が宗教を育んだ。
いわばこれら二つは人類の父と母である。


人間がするべき唯一の「闘い」とは、
本能からくる疑心と、理性による信心との闘いだけだと思う。
どちらをないがしろにしても、真に人間らしく生きることはできない。


創造とは、自分の内にあるものと、外にあるものとの闘いである。
疑心なくして安易に逃げ込む信心は弱い。
果てしのない疑心の果てに芽生える信心こそ、真の信心である。

そのような真の信心が強い人間を育てる。


ソフトのようなハード【卒業制作最終審査会】

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卒業制作最終審査会が無事終了しました。


結果から言えば、
言いたいことは言い、先生からの講評も概ね良好だった。
たぶん及第点はもらえた...はず。


会場が演劇学科のスタジオ、と大きなスペースだったことに加え、
最終審査会の最終日、ということもあり、独特の雰囲気の中、
いつも以上に緊張した。
時間配分など考える余裕もなく、
5分という制限時間内で一気に想いを伝え終えた。
時間オーバーの鐘は聞こえなかったので、多分時間内に発表を終えられたはず。


検討が不十分だった点もたくさんある。
あれもしたい、これも取り入れたい、と思いながら、
結局どちらも実現できなかった、なんてこともしばしば。
生来の計画性のなさ、要領の悪さが災いして、
せっかく組み上げたものをまたばらして何度も組み立て直したりもした。
人に頼ることが苦手で、全部自分で背負い込むタイプだけに、
この1ヶ月は精神的にも、体力的にもかなりきつかった。
ほとんど周囲に気を回す余裕もなく、一心不乱に制作した。

反省点は多々あるものの、やれるだけのことはやった...つもりである。


4年間の想いが、この作品に込められている。
たとえ、すぐには社会に伝わらなくとも、
これからの自分の「核」となる部分になるはずである。


最終決戦前夜

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「こんなふううにさあ、やけくそに片づいている部屋って、あたし、苦手なんだ。芸術家としてはね・・・ああいう線にいらいらしちゃうの。壁だの床だの、部屋の角々のまっすぐな線よ、四角い箱になっちゃうでしょーお棺みたい。箱を消しちゃうただひとつの方法は、一杯ひっかけること。そうするとあの線がみんなゆらゆら揺れだすから、この世が愉しくなっちゃうんだ。ものがみんなまっすぐで、こんなふうにキチーンとしてると気味が悪くなっちゃう。ゾォーッ。あたしがここに住んだら、しょっちゅう酔ってなきゃだめ」(ダニエル・キイス『アルジャーノンに花束を』)

酒が飲めない僕は...


ふと気づけば、卒業制作最終プレゼン前夜。


卒制の最終追い込みと祖父の葬儀が重なりながらも、
なんとか作品の最終提出を完了。
その後はその疲れと引きはじめの風邪にやられて丸三日家で寝てました。

今週頭から各コースで最終発表がはじまっていて、
月曜日がビジュアル、火曜がデジタル、と続き、今日水曜日はプロダクト。
体調もだいぶ回復してきたし、身体を臨戦態勢にしておきたい、
という意味もあって、プロダクトの発表を見にいくことに。


思えば、明日がこの学校で行う最後のプレゼンだな。

怖いのは酷評されることじゃない。
やれるだけやったことを出し切れずに終わってしまうこと。


二十年前の高専、六年前のデジハリでの中途半端な卒制にケリをつけなければ。
三度目の正直で。


卒業制作最終提出!

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12月1日深夜零時過ぎ、祖父が他界しました。


...実に卒業制作の作品最終提出〆切日の3日前。


先月末で、なんとか基本ユニット12個の組み上げが完了し、
会場での設営に四苦八苦している最中のことだった。

精神的にも経済的にもかなり逼迫して余裕のない時期だったので、
正直葬儀に参列するために帰省しようかどうか迷った。
しかし、ここで祖父に最後の挨拶をしておかなければ、
一生後悔すると思い、帰省することにした。


幸い、展示方法のめどもつき、ゴールも見えてきたので、
一泊二日でとんぼ返りすれば間に合うだろうと踏んだ。

実際、葬儀に参列して本当に良かった。
ゆっくりする間もないまま、東京に戻ってきて、
予定通り作品とパネル、プレゼン用データを提出。


あとは来週の発表を残すのみだけど、
一番長くて最大であった卒業制作という課題について、
一区切りがついた。


Resist, and Big Jump !

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「主は人とはちがうようにごらんになる。人は外見をみるが、主は心をみられるのだ」(小説「聖書」第四部 王たち 一五章 サウル)


東急ハンズで木のだんごを見つけたとき、
僕の「かたち」は「動き」を得た。
最初は自分の「かたち」を動かそうとは全く考えてなかった。
模型レベルでは、すべての関節は固定され、動かなかった。


およそ150本の丸棒に、およそ50枚のフレーム板、およそ300個の木のだんご。
これらを二週間、ひたすらやすり、ニスを塗り、またやすり、ウェスで磨いた。
手にマメができ、手の筋肉はつりそうだった。

最後のほうはもうろうとなりながら、
そばでセオリー通りに図面を描き、模型を作っている同級生を眺め、
自分は何をやっているのだろう、って思った。

ひたすら材料を磨いている僕をみて、
「工場みたい」という同級生の言葉を聞いて、
もう一度、自分は何をやっているのだろう、って思った。


年を重ねるごとに、人は常識という鎖に縛り付けられる。
僕はその鎖から逃れたくて、この大学に来た気がする。
だから「セオリー通り」というものに対して異常に反発した。
この卒業制作はその反発の最大級のものではないだろうか。

いい歳こいて反抗期かよ、と言われそうだが、
反発こそが結果的には大きな学びを得る。
素直に受け入れることはそれはそれで大事だけど、
それではどんなに頑張っても効果は100%までである。

疑問を抱き、反発することは素直に受け入れることよりも
手間も時間もかかるが、場合によってはその効果は倍になることだってある。

文字通り、反発は大きな跳躍を生むのである。


デジタル人間、アナログ人間。

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「...富む者と貧しい者にちがいはなく、ただある者は夢をみておのれをいつわり、またある者はそれをしないだけのことです。そして知恵とはすなわち、人は貧しいと知ることなのです」(小説「聖書」第4部 王たち 17章 ソロモン)


卒業制作の最後の追い込み。
...とはいっても今のところ、連日パーツ加工。

材料の木材をやすってはニスを塗り、
やすっては磨く日々。
手をナイフで切るわ、手にマメはできるわ、手がつりそうになるわ、
服は粉まみれになるわ...

翌日はひどい筋肉痛でぐったり。
作業時間としては徹夜するほどではないけれど、
思った以上の重労働。

自分で選んだ道ながら、ぐったり。

...しかし。

これがもの作りだ。
これこそが、もの作りだ。


デジタルな人間とアナログな人間がいる。

別にパソコンが使えればデジタル人間で、
使えなければアナログ人間、ということではない。

パソコンが使えるアナログ人間はいるし、
パソコンが使えないデジタル人間もいる。


僕が言いたいのは、時間感覚の個性である。

時間の「積層」に価値を求める人と、時間の「認識」に価値を求める人。
前者がデジタル人間で、後者がアナログ人間。
別にどちらが優れているか、などといった優劣を語る気はさらさらない。
ただ、好き嫌いはある。


僕は自分の中のアナログ人間が嫌いじゃない。
嫌いじゃない、なんてもんじゃない。
大好きだ。


D.N.A.【卒業制作中間審査会】

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卒業制作中間審査会が終わりました。


先に講評結果から述べると、
意外にも、全体的にも個人的にも概ね好評でした。
どちらかといえば作品の出来不出来よりも、プレゼンが評価された感じ。

プレゼンは確かに重要だ。
どんなに良いものを作っても、その良さが相手に伝わらなければなんにもならない。

しかし一方で、良いものは言葉がなくてもその良さが伝わるものだ、
という気持ちもなくはない。


個人的にプレゼンは必要以上に上手になってはならない、という思いがある。
プレゼンはデザイン固有の手法ではなく、
あらゆる分野における社会的な基本スキルである。
そしてプレゼンは言葉を主体とした表現手段である。
情報デザインならともかく造形デザインにおいては、
その表現は言葉が全面に出るようなことがあってはならないと思う。
それは作品として時にその価値を誤魔化してしまう怖れもある。
はっきり言えば、必要以上に良く見せてしまう場合もある、ということである。
とくにデジタルツールが誰でも手軽に扱える現代ではとくに。

上手すぎるプレゼンはもはや良いデザインではなく、良い営業となってしまう。
もちろんデザイナーとて、営業手腕は大事ではあるけれど。

ものの真の価値を見出す力と、その価値を表現する力、
どちらも大切にしながら良いものを作っていきたい。


しかし、いくつになってもプレゼントは緊張するもんだ。