12月1日深夜零時過ぎ、祖父が他界しました。
...実に卒業制作の作品最終提出〆切日の3日前。
先月末で、なんとか基本ユニット12個の組み上げが完了し、
会場での設営に四苦八苦している最中のことだった。
精神的にも経済的にもかなり逼迫して余裕のない時期だったので、
正直葬儀に参列するために帰省しようかどうか迷った。
しかし、ここで祖父に最後の挨拶をしておかなければ、
一生後悔すると思い、帰省することにした。
幸い、展示方法のめどもつき、ゴールも見えてきたので、
一泊二日でとんぼ返りすれば間に合うだろうと踏んだ。
実際、葬儀に参列して本当に良かった。
ゆっくりする間もないまま、東京に戻ってきて、
予定通り作品とパネル、プレゼン用データを提出。
あとは来週の発表を残すのみだけど、
一番長くて最大であった卒業制作という課題について、
一区切りがついた。
データは提出し、プレゼン内容もほぼ固まったものの、
発表までの残された時間で最終調整をしようと思うので、
プレゼン内容についてはまた別途報告し、
今回はここまでの軌跡について振り返ってみたいと思います。
以下はあくまで空間デザインコースに属する僕個人の所感です。
一年生から三年生まで、
何度か先輩たちの卒業制作プレゼンを見る機会があった。
面白さを感じさせるものも少なくなかったけど、
総じてどこか判然としないもの、はっきり言ってしまえば、
失望させられることのほうが多かった。
自分だけは見る人にそういう失望だけはさせまい、という決意があった。
しかしいざ、自分が9ヶ月という長きにわたる制作課題に取り組んでみると、
僕を失望させたものは学生各個人の能力、というよりは、
学校側の体制に問題があるような気がしてならない。
自分の怠慢を棚に上げて、という弱さがあったにしても。
卒業制作という課題のふたを開けてみると、
学校側がしてくれることは場所の提供と、先生のエスキースだけ。
提供する場所にしても、決して十分な広さとは言えない。
空間デザイン、という一番場所を必要とする専攻に対して、
割り当てられた教室は一番狭い教室だった。
単純に学生の数だけで教室の広さが決められた。
それだけでもう、半数の学生が学校に来る気を失う。
制作環境もかなり貧弱。
デジタルに関しては充実しているかもしれないけど、
アナログに関しては正直不満だらけ。
個人の負担があまりに大きく、
120万の授業料に見合うものを与えられている、とはとうてい感じ得ない。
...とまあ文句ばかり書いていると、
学校関係者の方からは嫌われてしまいそうだけど、
じゃあ卒業制作なんてやらなければ良かったのか、と問われれば、
悔しいけれど、やっぱり卒業制作はやって良かったと思うのである。
やっぱりこの大学にきて良かった、と思うのである。
正直今の時点で自分の作品への反省点、改善点は山ほどある。
一方で今の自分にやれることはやりきった、という達成感もある。
自分も見る人に失望感を与えてしまうかもしれないけれど、
まあ、それならそれで仕方ないか、という潔さもある。
一つ確実に言えるのは、自分のやりたいことをやり、
自分が伝えたいことを伝えられそうだ、ということ。
...実際に伝わるかどうかは分からないけれど。
それでいいじゃないか。
正直学内展はそれほど興味がなかったけれど、
やれるだけのことをやってみると、多くの人に見てもらいたい、
という気持ちが芽生えてきた。
たぶん、こんなもの作るために9ヶ月も費やしたの?とか、
これはなんなの?とか言われそうだけど、
...まあ、いいじゃないか。
やりたいことをやったのだから。
この作品はこれからの出発点にすぎないのだから。
さあ、最終プレゼンの調整を頑張ろう。
画竜点睛を欠いてはもったいない。