Resist, and Big Jump !

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「主は人とはちがうようにごらんになる。人は外見をみるが、主は心をみられるのだ」(小説「聖書」第四部 王たち 一五章 サウル)


東急ハンズで木のだんごを見つけたとき、
僕の「かたち」は「動き」を得た。
最初は自分の「かたち」を動かそうとは全く考えてなかった。
模型レベルでは、すべての関節は固定され、動かなかった。


およそ150本の丸棒に、およそ50枚のフレーム板、およそ300個の木のだんご。
これらを二週間、ひたすらやすり、ニスを塗り、またやすり、ウェスで磨いた。
手にマメができ、手の筋肉はつりそうだった。

最後のほうはもうろうとなりながら、
そばでセオリー通りに図面を描き、模型を作っている同級生を眺め、
自分は何をやっているのだろう、って思った。

ひたすら材料を磨いている僕をみて、
「工場みたい」という同級生の言葉を聞いて、
もう一度、自分は何をやっているのだろう、って思った。


年を重ねるごとに、人は常識という鎖に縛り付けられる。
僕はその鎖から逃れたくて、この大学に来た気がする。
だから「セオリー通り」というものに対して異常に反発した。
この卒業制作はその反発の最大級のものではないだろうか。

いい歳こいて反抗期かよ、と言われそうだが、
反発こそが結果的には大きな学びを得る。
素直に受け入れることはそれはそれで大事だけど、
それではどんなに頑張っても効果は100%までである。

疑問を抱き、反発することは素直に受け入れることよりも
手間も時間もかかるが、場合によってはその効果は倍になることだってある。

文字通り、反発は大きな跳躍を生むのである。


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通常は「機能」がまずありきで、
それからその機能を構成する「部分(かたち)」を考える。
僕はまず、この現代社会の「Form Follows Function」という鉄則に反発した。
まず、美しい「部分(かたち)」を考え、それから「機能」を考えることにした。

完成予想図が見えないまま、ものを作りつづけるのは怖い。
それなりに投資していると、なおさらだ。

通常は完成予想図を思い描き、
それを構成するパーツを考える。

今回、僕はその逆から全体像を追っている。
基本パーツを編みだし、その組み合わせから、全体像を追おうとしている。
ゴールが見えないまま、作りつづけるのは怖い。

しかし、そこが面白い。
図面に描けない「かたち」を構築していくのが面白い。


卒業制作だから、スケールのでかいものを作りたい、と思って、
何度も東急ハンズへ足を運び、どんどん材料を買い込んだ。

ふと、溜まったレシートを計算してみたら恐ろしいことに。
ユニット1個でこれまでの課題1つぶんくらいの予算。
そのユニットが12個寄せ集めて形を作るわけだから、
その額たるやいかに。

第三者の評価はともかく、とにかく自分的に後悔しないものを作りたい。
...今はもう、ただそれだけ。


1年の時の木工の授業が今回の卒制の元となっている。
あのとき、木での表現の面白さに出会えた。

でも、当時はたくさんあった木工室の機械類も、
今は閑散としている。

デザインとは「モノ」作りではなく、「コト」作りである。
たぶん、それがこの大学のデザインに対する見解なのだろう。
この大学だけではなく、現代社会における見解なのかもしれない。

ただ、僕はどうしてもその見解に同調できない。
だから現在のデザインの潮流に素直に従えない。
デザイン業界への就職活動を躊躇させる。
またしても反発してしまう。


大学は僕に希望を与えてくれた。
が、同時に失望もさせられた。
しかし、相反する二つの要素のどちらもが、
希望への吸引力、失望からの反発力という形で
僕を推し進める原動力になっている。

だから僕は大学には感謝している。


卒業制作が今後の就活に役立つかどうかは分からない。
ただ、この大学での集大成であり、
間違いなく最高の作品となるはずだ。
同時にこれからの僕の人生の出発点でもある。

だから僕は自分に妥協しない。
エゴに執着する自分の僕なりの答えである。


さあ、明日からは念願の構築作業だ。
頑張ろう!