【訪問日:2017年10月31日】
前回の記事にて、ブログ再開宣言したものの、
なかなか気持ちが切り替わらず半年が経過。
...亀の歩みでの再開です。
岡山旅行記、後楽園を後にして最後は岡山市街地のはずれにある、吉備津神社へ。
お目当ては国宝の比翼入母屋造の本殿。
Architecture, Art, and sometimes Design.
【訪問日:2017年10月31日】
前回の記事にて、ブログ再開宣言したものの、
なかなか気持ちが切り替わらず半年が経過。
...亀の歩みでの再開です。
岡山旅行記、後楽園を後にして最後は岡山市街地のはずれにある、吉備津神社へ。
お目当ては国宝の比翼入母屋造の本殿。
国宝建築行脚の旅。
島根県2つめの国宝は出雲大社。
あらゆるものが豊かに、力強くある国「豊葦原の瑞穂国」を築かれた大国主大神は、
この国を天照大御神にお譲りになり、そのことを喜ばれた天照大御神は、
高天原の諸神を集められて大国主大神の宮殿「天日隅宮(あめのひすみのみや)」を造営されました。
これが現在の出雲大社です。
なお、出雲大社は通常「いずもたいしゃ」と読みますが、
正確には「いづもおおやしろ」と読むそうです。
このようにして目に見える世界を天照大御神が治め、
大国主大神は目に見えない世界を司り、
そこにはたらく「むすび」の御霊力によって人々を幸せに導いてくださるのだそうです。
年に一度、全国の神々は出雲大社の大国主大神の元に集まって、
人々の"しあわせ"の御縁を結ぶ会議「神議(かみはかり)」がなされます。
これが10月のことであり、この月を「神無月」と呼ぶ由縁です。
(逆に出雲の地では「神在月」になります)
神々が集まってなされる神議の催しを「神在祭」と呼びます。
出雲大社へは子どもの時分に親に連れられてきたことがありますが、
大人になってきちんと訪れるのははじめて。
今治城に行ってきました。
今治城は藤堂高虎が関ヶ原の戦いの戦功に伊予半国20万石を拝領し、
1602年に築城を開始、1604年〜1608年に完成させました。
枡形虎口による鉄御門の強固な守り、
堀を二重三重に巡らせて、瀬戸内海の海水を引き入れて、
船が城郭まで入れるようになっていた日本屈指の海城でした。
Wikipediaによれば、築城当時に天守が建造されたかどうかの一次資料がなく、
その存在については諸説あるそうで、
現在の天守は1980年に多門櫓、武具櫓とともに再建された史実に基づかない模擬天守です。
その後1985年に御金櫓、1990年に山里櫓、そして2007年に鉄御門が再建されました。
現在は二の堀、三の堀は埋め立てられ、本丸と二の丸・三の丸を囲む堀のみですが、それでもこの壮観さ。
往時はさぞかし圧倒的だったことでしょう。
返す返すも廃城令という残念な施策が悔やまれます。
愛媛県大洲市にある少彦名神社に行ってきました。
大洲市は生活圏内で、買い物によく行く町だったのですが、
この神社は市街中心部からやや離れたところにあり、なかなか訪れる機会がなく。
また現在は氏子を持たない神社らしく、20世紀末の頃には
第一の鳥居が伊予大洲駅の目の前にありながら、地元の人もほとんど訪れず荒れ放題だったとか。
2002年に地元有志が集まって「おすくな社中」を結成され、熱心な保存活動がはじまりました。
とくに山の斜面からせり出すように建てられた参籠殿は、
「伝統的な懸け造り(三方懸け)という技法で建てられた近代建築」という大変珍しいものであり、
2013年にはワールド・モニュメント財団(WMF)により「危機遺産」に認定され、
その翌年には修復のための助成金を得て修復工事が行われました。
自分が訪れた時はこの工事期間中のことでしたが、終盤ということもあって、
ほぼその全容を目にすることができました。
工事は途中現場の棟梁が不慮の事故で命を落とすという、不幸があったものの、
2015年3月に無事終了し、竣工式が行われました。
2016年にはこの参籠殿の保存活動がユネスコアジア太平洋文化遺産保全賞の2016年最優秀賞を受賞。
いやー、地元にこんなすごい建物があったなんて。
灯台下暗し。
京都・伏見稲荷大社に行ってきました。
全国にある三万社あるお稲荷さんの総本宮がここ、伏見稲荷大社なのです。
そして稲荷信仰の原点である稲荷山があるところでもあります。
京都駅からJR奈良線で5分、稲荷駅の目の前。
無数の鳥居が奉納されている神の山が広がります。
四万十市の中村駅まで出かけたところで。
せっかくここまで来たのだから、と足を伸ばして足摺岬まで行くことに。
東側は宿毛市、西側は四万十市から、
いずれもR56からR321を経由して40分ほどで岬のある土佐清水市に入り、
そこからさらに山道を20分ほど走ると岬に到着します。
去年の夏、世界ジオパークに認定された室戸岬に行きました。
こちらは岬の突端、海のそばまで割と楽に行けたのに対し、
足摺は岬に向かうまでにけっこうな山越えが待っている上に、
岬付近は交通規制されていて、岬から800m手前で車を止められました。
岬まで10分ほど歩くか、100円のシャトルバスで向かいます。
さらに足摺岬は岬自体も断崖絶壁になっていて、海とは隔絶されていて、
どこか近寄り難い雰囲気。
高知の二つの岬は対照的な雰囲気で面白い。
♪こんぴら船々
追手(おいて)に 帆かけて
シュラシュシュシュ
廻(まわ)れば四国は
讃州那珂(なか)の郡(ごおり)
象頭山こんぴら大権現
一度廻れば♪
(香川民謡『こんぴらふねふね』)
大晦日にスキーに行って、2時間でリフト20本以上乗って今年の厄を滑り飛ばしていたら、
その疲れで元旦、二日は寝正月。
昼夜逆転生活にもなっていて、このまま正月三が日を寝正月にするのはマズイ。
...と思い立ち、2日の夜が更けてそのまま眠らず3日の早朝に出発。
今年はこんぴらさんに初詣に行くことにしました。
とくにこんぴらさんに強い思い入れがあったわけではないですが、
こんぴらさんのオフィシャルサイトを見てたら、
なんと円山応挙の襖絵を展示している、ということで無性に行きたくなって。
例によって貧乏旅行なので高速道路は使わず、のんびり下道で。
R56で松山まで、松山からはR11でひたすら東へ。
真夜中なので、道はガラ空き。
深夜3時半に出て、朝7時にこんぴらさんに到着。
さすがにこの時刻だと参拝者はほとんどいませんでした。
琴平駅前の町営駐車場に車を停めて、参拝開始。
えらく長い階段を登っていく、ということでとりあえず本宮まで行ければいいか、
と思ってたのですが、寝てないにもかかわらずゆっくりあちこち写真をとりながら
登ってたらそんなに苦もなく登れたので、せっかくなので一番奥の奥社まで行ってきました。
それでまた疲れる、という悪循環ですが...^^;
まあ良いことにせよ悪いことにせよ、人間は同じことを繰り返しながら前に進んでゆく。
それがバイオリズムというものであり、「生きる」ということなんだろうね。
お伊勢参り、外宮の次は内宮。
外宮から内宮への移動はバスで15分程度。
外宮と内宮を往復したり、途中の神宮徴古館、神宮美術館へ行くなど
バスを頻繁に利用するならば、千円の1Dayフリーパスを買った方がお得。
残念ながら今回はそれに気付くのが遅かったですが。
深夜バスで寝不足の上に、すごい杉花粉。
くしゃみ、鼻水、目のかゆみが止まらない。
これも聖地をむやみに写真に撮りすぎた神罰か。
とにかく外宮を見終えた時点ですでにグロッキー。
まずは腹ごしらえから。
お伊勢参りへ行ってきました。
とくに信心深いわけでもなく、
とくに前から行きたかった、というわけでもなく、
急に思い立って。
だから神宮に対する知識もほとんどありませんでした。
伊勢神宮は正式名は単に「神宮」といい、
外宮(豊受大神宮)と内宮(皇大神宮)を中心として
両大神宮の「正宮」、14の「別宮」、43の摂社、24の末社、42の所管社の
全125社の宮社を総称するもの、だそうです。
その広さは、東京ドーム1200個分で伊勢市の1/4〜1/3にもなるとか。
文句なしに日本一巨大な神社。
ちなみに内宮は天照大御神が、外宮は天照大御神の食事を司っていた豊受大御神が祀られています。
初めてのお伊勢参りだし、全部を回る気力も体力もないので、
今回は外宮と内宮を丸1日でざっと一回りすることにしました。
それでもざっと200枚以上の写真を撮ったので、
記事も外宮編と内宮編の2回に分けます。
神宮参拝はまず外宮から詣るのが古来からの習わしだとか。
そのせいか、外宮は伊勢市駅から徒歩5分のアクセスの良さ。
...というわけでまずは外宮編。