神戸で兵庫県立美術館、メリケンパークを訪れた後、一路大阪へ。
お目当ては国立国際美術館で開催中のプーシキン美術館展。
プーシキン美術館はロシアの首都モスクワにあるヨーロッパ最大の美術館であり、
収蔵品数は約10万点でエルミタージュ美術館に次いで世界二位。
本展はその膨大なコレクションの中から、フランス風景画に焦点をあてたものになります。
金曜・土曜の午後5時〜9時のナイトタイムで会場内での写真撮影が可能、
ということで夕方5時に現地に到着して夜の美術館を堪能してきました。
Architecture, Art, and sometimes Design.
[ギュスターヴ=アドルフ・モッサ「彼女」(1905年)]
大塚国際美術館での展示作品。
会場内は撮影可能ということで、気の向くままにお気に入りの作品を撮影しました。
本記事では象徴主義、ナビ派、ウィーン分離派、フォービスム、表現主義、エコール・ド・パリ、
キュビスム、ダダイスム、シュルレアリスムをピックアップ。
絵画の様式は、秩序と無秩序、安定と不安定、静的と動的を繰り返すものだけど、
決して同じことの繰り返しではなく、時代背景や情勢によって、
常に新しい要素を内包させてゆく。
それは樹木が根本から無数に枝分かれしてゆくかが如く。
枝別れたものが行き着く先はどんなものなのか。
それはすべてが混ざり合うカオスなのだろうか。
すでに現代アートというジャンルが一つの様式として括れないところに来ているのか。
はたまた、単に今を生きる自分たちには現代アートを客観的に眺めることができず、
数世紀、数十世紀先の人たちが今のアートやエンタメを眺めて様式化するのだろうか。
...あくまで素人の自分なりの独自の解釈です。
知識不足、勘違い、根拠に欠ける部分も多々あることをご了承ください。
照明がやや暗めで暖色系のため、作品画像はピンぼけ気味でやや赤っぽくなっています。
また、陶板特有の光沢もあります。
さらに傾き補正やレンズ補正をかけているため、
必ずしも作品(本物)の内容や構成を忠実・正確に表すものではないことをあらかじめご了承ください。
「だいたいこんな感じのもの」という感じで見ていただけたらと思います。
2SCとの合同講義の合間に書いた落書き。
(色付けは後でやりましたけど)
とくに意味はありません。
いわゆるオートマチズム(自動筆記)ってやつ。
うーん、シュルレアリスム 。
コピックのあの描き心地が好き。
天才とはある特定の部分において繊細だと思う。
そしてその繊細さゆえに天才は脆い生き物だと思う。
しかし彼は強かった。天才でありながら強靭。
天は彼に二物を与えたのか...
偉大なシュルレアリスト、ダリの自伝を読みました。
自伝といっても彼が37歳のとき執筆したもので半生記になるわけですが、
彼は本書中で半生を振り返ると同時にこれからの人生を予見してもいます。
とにかく彼は早く歳をとりたかった。早く「老人」になりたがった。
しかし読むのに苦労しました。
ダダイスム、シュルレアリスム関連の文章は例外なく読みづらい。
だから絵やオブジェによる作品が必要なのかもしれないですね。
サルヴァドール・ダリ。
その名が示すとおり彼はシュルレアリスムの救世主(サルヴァドール)だった。
自他共に認める天才だった。
彼は自らを「自分こそ唯一絶対の真のシュルレアリストである」と語るように
多くのシュルレアリストの中でもとくに奇異な存在だったようです。
大学の同級生に横浜美術館でシュルレアリスムの展示をやっている、
との情報を聞きつけ調べてみるとなんと12/9が最終日。
フェルメール展を見に行く予定を急遽変更し、横浜美術館へ向かいました。
シュルレアリスムは大学の授業で学び、
本も何冊か読み(現在はダリの自伝を苦読中...;;)、
エゴがたぶん人一倍強い自分には非常に興味のある分野の一つ。
...というわけで興味津々で本展に臨んだわけですが。
シュルレアリスムの創始者で『シュルレアリスム宣言』を出した、
アンドレ・ブルトンの代表作。
巌谷国士さんの『シュルレアリスムとは何か』を読んで、
読みたくなりまして。
しかしね。
シュルレアリスム文学を読めば読むほど(...というほど読んでないですが^^;)
やっぱりシュルレアリスムは読むものじゃなく、見て感じるものだと思うのです。
つまり文学よりはアートを見るほうが僕は面白い。
ナジャはシュルレアリスム文学の中でも比較的分かりやすいほうだと
思うのですがそれでもやっぱり分かりにくい。
内容はぶっちゃけて言えばナジャという女性との出会いを描いたもの。
いってしまえば単なる恋愛物語...じゃなくて恋愛ドキュメンタリ
(ブルトンは小説、というスタイルを嫌っているので)
を高尚な世界に引き上げたもの...なのでしょうか。
シュルレアリスムは「自動記述」が特徴的ですが、
本書はそのように書かれたようには見えません。
というのも本書は1928年の初版に対して、およそ35年後の1962年に
70歳になろうかというブルトン自身により修正が加えられたものなのです。
ただ、巻末の訳者・巌谷さんの解説を読むと、
初版もけっこう推敲しながら執筆したようにもとれますけどね。
仮に自動記述でここまで書けるとすれば、
人間の深層心理、ってかなり奥深いものだなあ、って思います。
大学の授業で、先生の薦めにより読んでみました。
授業でダダやシュルレアリスムの存在を知って、
ちょっと興味を持って、本を読んだりしてみたけれど。
活字だといまいちよく分からなかった。
絵画やオブジェなどを見てるのは面白いんだけど。
そんな中、この本は分かりやすかった。
まさにシュルレアリスムの入門書といえるでしょう。
-直訳すると『光線男』。
その名のごとく鋭い光線で時代を写していく。
大学の授業でその存在を知ったわけですが、
近所の図書館で彼の写真集を見つけたので、
改めて記事にしてみました。
ダダイストであり、シュルレアリストでもあった写真家。
彼の作品の中にはトリスタン・ツァラやアンドレ・ブルトンをはじめとした、
あらゆるダダイスト・シュルレアリストたちが写っています。
アルベルト・ジャコメッティも写ってたところをみると、
先日紹介したアンリ・カルティエ=ブレッソンと時代的にかぶってんですねー。
大学の授業では、ダダイスムやシュルレアリズムについて、
最初宣言文や詩などでその特長や様子を説明されるわけですが、
まるで意味が分からない。
僕等は心の中では主に「言葉」で話しているはずなのに、
その心の言葉はどうして他人に伝わらないものなのか?
...そこに写真や絵画、彫刻などの必要性があるのかもしれない。
ダダイスムに続いて起こった芸術運動がシュルレアリスムです。
ダダはただひたすらに現状の破壊し、
「反芸術」を求めるものであったのに対し、
シュルレアリスムは表面上の現実に囚われず、
無意識下の中に「本当の自分」を見つけようとする、
「超現実主義」と呼ばれるものでした。
ダダよりももう一歩人間の精神の奥深くに入り込むものであったといえます。
フロイトの影響を強く受けたのも特徴的です。
シュルレアリスムには「オートマチズム(自動性)」という
「考えるよりも早く手を動かす」ことで無意識のうちに表現するものが
「本当の自分」を表すのだという考えがありました。
んで僕もやってみました。
題名は「Floating Man(浮遊男)」。
これで僕もシュルレアリスト?