大学の授業で、先生の薦めにより読んでみました。
授業でダダやシュルレアリスムの存在を知って、
ちょっと興味を持って、本を読んだりしてみたけれど。
活字だといまいちよく分からなかった。
絵画やオブジェなどを見てるのは面白いんだけど。
そんな中、この本は分かりやすかった。
まさにシュルレアリスムの入門書といえるでしょう。
「それってシュールだね。」
なんか現実的でない、俗っぽくないものを表現するときに使いますよね。
「シュール」はもちろん「シュールレアリスム」からきているわけですが、
それは本来のシュルレアリスムの意味ではない。
シュルレアリスムを日本語で言うと「超現実主義」。
この訳からすると、シュルレアリスムは現実を越え、
もはや現実とは別の場所にあるものを指しているように思えますが、
ここでいう「超」は「チョベリグ(古い^^;)」のように使うものなのです。
つまり「ものすごく」現実的であり、現実重視型の考え方なのです。
この本ではそんなシュルレアリスムを3章に分けて解説。
著者の巌谷国士さんがどこかで3回に分けて講演したものをそのまま本にしたもので、
第1章は本のタイトルと同じ「シュルレアリスムとは何か」、
第2章は「メルヘンとは何か」、第3章は「ユートピアとは何か」を語ることにより、
総括的にシュルレアリスムを解説。
第1章はシュルレアリスムの概要的解説。
シュルレアリスムは、考える前に書く、描くエクリチュール・オートマチック(自動記述)と、
無関係なものを組み合わせていくデペイズマンの2つに大別される。
前者はアンドレ・ブルトンのシュルレアリスム宣言が序文に記された「溶ける魚」と
運命的な女性との出会いを描いた「ナジャ」など文学系に多く、
後者は絵画やオブジェなど美術作品に多い。
第2章はメルヘンについて語る。
一見似たようなものに思えるメルヘンと童話だが、
童話が近代になって誕生した「こども」のためのものであるのに対し、
メルヘンは古来人間が辿ってきた記憶を継承していくために、
語り継がれてきたもの。
メルヘンには具体的な時代もなく、場所もなく、個性もない。
一見なんでもないことを語っているようで、そこに現実はない。
第3章はユートピア。
現実にはない理想郷、それがユートピア。
西洋で言うユートピアと東洋で言う「桃源郷」はちょっと違う。
桃源郷は自然的で、女性的(曲線的)であるのに対し、
ユートピアは人工的で、男性的(直線的)。
そこは均一的で、規則的で、都市的。
時間がなく、個性がない世界。
現実にはないところだから、当然そこに現実はない。
こうしてみると、メルヘンもユートピアも本来の意味からすれば
けしていいものじゃない。個性が否定される世界が楽しいわきゃない。
それが日本では何かロマンティックな、良いイメージで使われていて、
それでいて実際は本来の意味の方向に向かっている。
直線的な都市、無個性な大量生産。
それが他になにも問題を引き起こさなければそれでいいんだろうけど
他の生き物を苦しめ、自らの住処である地球をも苦しめている。
だから僕等は自らのエゴに気づかなければならない。
人間のエゴがなにを引き起こし、なにを傷つけているか。
エゴというフィルタを通して見える世界を分かりやすく形にしたもの。
それがシュルレアリスム。
一人一人のエゴはそれぞれ違うから、同じ状況や風景でも、
エゴというフィルタを通して見えるみのは多種多様になる。
だからシュルレアリスムの作品も多種多様になる。
でも多くの人がそうすることで見えてくる現実もより明確になる。
複雑化し、より高度化している21世紀にこそ、
シュルレアリスムは必要なものなのかもしれない。