ナジャ 【アンドレ・ブルトン】

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シュルレアリスムの創始者で『シュルレアリスム宣言』を出した、
アンドレ・ブルトンの代表作。

巌谷国士さんの『シュルレアリスムとは何か』を読んで、
読みたくなりまして。


しかしね。
シュルレアリスム文学を読めば読むほど(...というほど読んでないですが^^;)
やっぱりシュルレアリスムは読むものじゃなく、見て感じるものだと思うのです。
つまり文学よりはアートを見るほうが僕は面白い。

ナジャはシュルレアリスム文学の中でも比較的分かりやすいほうだと
思うのですがそれでもやっぱり分かりにくい。


内容はぶっちゃけて言えばナジャという女性との出会いを描いたもの。
いってしまえば単なる恋愛物語...じゃなくて恋愛ドキュメンタリ
(ブルトンは小説、というスタイルを嫌っているので)
を高尚な世界に引き上げたもの...なのでしょうか。

シュルレアリスムは「自動記述」が特徴的ですが、
本書はそのように書かれたようには見えません。
というのも本書は1928年の初版に対して、およそ35年後の1962年に
70歳になろうかというブルトン自身により修正が加えられたものなのです。
ただ、巻末の訳者・巌谷さんの解説を読むと、
初版もけっこう推敲しながら執筆したようにもとれますけどね。

仮に自動記述でここまで書けるとすれば、
人間の深層心理、ってかなり奥深いものだなあ、って思います。

シュルレアリスムでは現実をないがしろにするのではなく、
エゴを確かに現実に存在するものとして、エゴを重視することで
現実をもっとより良く、より生き甲斐のある生き方をしていこう、
...というもののはずですが、この本を読んでいると、
どうもそういうことは感じられない。

現実を批判し、厭世的のようにも感じますが、
今こうしてじっくり考えてみると、
現実の「表層部分」を批判しているのかもしれませんね。

単調な毎日の繰り返す労働者を批判しているようにも取れますが、
ブルトンや訳者の巌谷さんに言わせればたぶんそれは「違う」のでしょう。
ただ、心の深層に目を向けない、意識しようとしないことを批判したいのかな。


でも、どんなに心の深層を追求するものを高尚なものとして崇めるとしても、
それをしない人々を批判はもちろん、否定もすべきではないと思う。
それは人それぞれの選択なのだから。
逆にみんながみんなその高尚なものを追及する世の中は
なんか不気味な気がする。

「自分は何者なのか」「自分はなにをすべきなのか」
そういうことを深く考えなくても、目の前にあるすべきことをこなしていくだけでも、
人はそれなりに幸せに生きていける。
でも、より良く生きたい、という願いが、欲望が、心の深層に入っていくのであって、
そういう意味では心の深層を追求するものが、エゴを追求するものこそが、
卑しむべきものだといえるのではないか。

でもそれは同時に社会を、人間の心を発展させたものとして尊ぶべきものでもある。


エゴを追求する、ということは卑しみと尊びを同時に追求していくものじゃないのかな。

それを神が与えてくれた能力、としてポジティブにとらえるか、
悪魔に背負わされた重荷、とネガティブにとらえるか、はその人次第。


一度しかない人生を楽しく過ごすためにはどちらを選択すべきか...
言うまでもないですよね。