[梱包されたライヒスターク(帝国議会議事堂)1995年ベルリン]
デザイン概論の授業でまた一人新たなデザイナーを知りました。
その名はクリスト。
正確には妻ジャンヌ=クロードとの夫婦協働「クリスト&ジャンヌ=クロード」。
デザイナーというよりは芸術家というべきなのかもしれませんが、
紹介してくれた建築家の先生はアートはデザインに「構成原理」を
与えてくれるものとして捉え、アートとデザインをやたらと区別することはない、とのこと。
美大の中にデザイン学科がある意味、
自分が最近よく美術館に足を運ぶ意味が少し見えた気がしました。
世の中にあるのはただ2つのものだけ。
変っていくものと変らないもの。
両者の違いを明確に把握し、活用していくことがよいデザインの秘訣なのでしょうか。
wikipediaによればクリストの作品はランド・アート
(クリスト自身は認めてないようですが)といい、
大学の先生によれば彼は、「プロセスをデザイン」した人なのだとか。
巨大な建物や橋などを大きな布でくるむ。
無数の巨大な傘を建てる。
その規模の大きさゆえに作品設営には莫大な費用がかかるはずですが、
彼は一切スポンサーを持たないのだとか。
作品の完成予想図の絵(タブロー)を作品に賛同する人々に売ることで
その費用を捻出しているのだとか。
作品の宣伝と同時に必要経費を稼ぎ出す。
クリストには商才もあるというわけですね。
また、作品設営の労働力として、
職にあぶれた浮浪者などに職を提供することで彼らに生き甲斐を与える。
つまり彼の作品作りは社会的にも貢献している。
このように完成した作品の出来だけを問うのではなく。
作品の創案時から完成に至るまでの過程で、
彼の作品に関わる人にどういう影響を与えていくかを考える。
それが「プロセスをデザインする」ということなのです。
そしてその作品の特性上、作品を永続的に保存することはできず、
束の間に限られた人々の目に触れた後は記録として写真に残る他は
その姿は消え去り、人々の記憶の中に生きるのみとなる。
まるで人は永遠など創り出せはしない、というメッセージを
投げかけているようでもあります。
もしかして彼のスタイルが芸術家の真の姿であり、
必死になって修復作業をしながら作品の保存をしようとする行為のほうが間違っているのか?
そんな疑問が浮かんできますが、完全に否定もできないし、肯定も然り。
同じものの中に2つの違う要素を合わせ持つ。
それが世の中の姿であり、受け容れるべき事実なのでしょうね。