「教会」と一致するもの

瀬戸内国際芸術祭2019【大島】

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瀬戸芸夏会期2日目は朝から大島へ。

今回初上陸の大島は会場となる全12島のなかでも異色の存在です。
1909年に国の施策により、
四国・中国地方のハンセン病患者を収容するための施設が大島につくられました。
以降国がその施策の変更が転換するまでの約100年間、
島内では2000人以上の人々が亡くなりました。

今でこそ、ハンセン病はそれほど伝染性のあるものではなく、
早い段階で処置を行えば完治する病気として認識されていますが、
当時は「得体の知れない難病」として患者は社会から隔離されて遠ざけられました。
島内の患者は自由を奪われただけでなく、偏見と差別にさらされたのです。

その負の記憶をアートで伝えるべく、2010年から大島は瀬戸芸の会場となっています。
そういういわくつきの会場だったこともあり、
なかなか足が向かず、今回ようやく意を決して今回訪れたわけですが...


やっぱり行ってよかった。


安藤忠雄展 挑戦【国立新美術館】

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建築に何が出来るのか、そもそも建築とは何なのかー私は建築の本質とは、人工と自然、個人と社会、現在と過去といった、人間社会にまつわる多様な事象のあいだの関係づくりと考えています。その意味で、人々共に木を植えて街に緑を取り戻す活動もまた、私にとっては建築です。既にある風景、社会制度の中に入り込んでいって、予定調和から外れた試みをしようとすれば、当然、摩擦や衝突が起こります。建築の原点たる住まいの問題、空間の光と影といった美学状の問題、あるいは都市空間、場所の風土の問題。つくる度にさまざまなテーマに直面し、それらに建築で応えるべく、悪戦苦闘してきました。その全てが挑戦でした。


半年ぶりの東京2日目。
朝一で六本木の国立新美術館へ。

建築家・安藤忠雄の半世紀に渡る建築活動を紹介する展覧会。
ギャラリー「間」21_21、ANDO MUSEUMなど、
過去何度か安藤さんの展示は見に行ってますが、
これほど大規模なのははじめて。

270点もの資料や模型で89のプロジェクトを紹介する過去最大規模のもの。
この展示を見るだけでもよくまあ、これだけやってきたもんだと感服するのですが、
一方で安藤さんの「連戦連敗」という本では、
実現しなかったプロジェクトも山ほどあったというのだから、
展示ボリュームをはるかに超えるエネルギーを安藤さんは建築に注ぎ込んできた。
そう考えると、さらにその感服度合いが大きくなります。

それでも東京という日本でもっとも大きな街で、
日本で最も有名な建築家は自分の回顧展を自分の設計した美術館で開催できなかった。
そこに日本の建築界の窮屈さを垣間見たような気がします。
その意味においても、晩年に差し掛かって身体がボロボロになってなお、
夢を抱き続ける安藤さんの挑戦はまだまだ続くのでしょう。


「目標があるうちは青春だ」


自分もそういう人生をおくりたいと思う。


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[図録 2300円]


愛媛県美術館で開催中の「ターナーからモネへ」展へ行ってきました。

本展は1907年設立の英国ウェールズ国立美術館が誇るコレクションより、
19世紀から20世紀初頭にかけてイギリスやフランスで活躍した画家たちの作品70点あまりを展示したもの。
規模的には先月観に行った新居浜市美術館での東京富士美術館コレクション展とほぼ同じなんだけど、
こちらのほうがボリュームが大きく感じたのはそれだけ良作が多かったからでしょうか。
(いや、東京富士美のコレクションも良かったのだけれど^^;)

また、「ターナーからモネへ」というタイトル通り、
ロマン主義から印象派、ポスト印象派までを年代順に章立てし、
イギリス、フランスと地域を限定することで分かりやすい内容になっているのも良かったです。


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たどり着いたのは、故郷への想い。


三年ぶりの東京。
まずは国立新美術館で開催中のミュシャ展に行ってきました。
今回の目玉はなんといっても全20作の超大作「スラヴ叙事詩」。

アール・ヌーヴォーを代表するチェコのデザイナー、アルフォンス・ミュシャ。
派手で華やかな女性のポスターで有名なミュシャですが、
デザイナーとしての成功の末にたどり着いたのは、
故郷への想いを画家として表現することだった。

その想いの結晶が晩年の16年という月日を費やして制作された「スラヴ叙事詩」。
スラヴ民族にまつわる歴史、寓話や神話を題材とした全20作の絵画。
大きいもので一辺が縦6メートル、横8メートルにも及ぶ巨大絵画の数々は、
華美なデザインとは程遠く、静謐だが言いようのない迫力を感じさせるものだった。

ミュシャは当時諸外国からの圧政に苦しめられていた故国の状況を憂い、
スラヴ民族の愛国心を鼓舞するために「スラヴ叙事詩」を描き上げましたが、
皮肉も制作中に故国はチェコスロバキアとして独立して自由を手にし、
ピカソなど抽象的な現代アートが台頭してきたこともあって、
完成時にはすでに時代遅れと評されるようになっていた。

ミュシャの存命中に「スラヴ叙事詩」全作品が公開されたのは、
チェコスロバキア独立10周年の1928年の1回のみ(正確には一点を除く全19作品)。
その後1939年にナチスの台頭によりチェコスロバキアは解体、
ゲシュタポに逮捕されたミュシャは厳しく尋問されたことが原因で体調を崩し、他界。

「スラヴ叙事詩」はプラハ市に寄贈される際に専用の展示場を建設する約束だったが
その約束が果たされることはなく、故郷の城中で夏の間ひっそりと展示されるのみで、
長い間世間から忘れ去られた。

2012年にプラハで再び全作品が公開され、
そして今回はじめて全20作品が国外展示されるわけですが、
長い間忘れ去られていたこの作品がなぜ今、公開されるに至ったのか、
その辺の事情は会場や図録からはうかがい知ることができませんでしたが、
いずれにせよ、日本で「スラヴ叙事詩」が見れるのは極めて稀有なことであり、
この機会を逃せば日本でこの作品を見ることはもうできないかもしれない。
そのような想いからどうしても見ておきたかった。


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淡路夢舞台へ行ってきました。
本福寺水御堂から車で10分。

淡路夢舞台は兵庫県の第三セクターである株式会社夢舞台が運営する複合文化リゾート施設です。
安藤忠雄氏の設計で1999年竣工。
安藤さんのコンクリート哲学がこれでもか、と言わんばかりに詰め込まれた空間ですね。

ホテル、国際会議場、植物園、レストラン、野外劇場などの各施設と、
それら施設間をつなぐ複数の庭園で構成されており、
さらに国営明石海峡公園が併設されており、
...まあバカでかいエリアです。

初めて訪れる身としては、方向感覚がつかめずまるで迷宮の中にいるような気になってしまいました。

まさにコンクリートジャングル。


直島教会と直島ホール【香川県直島町】

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瀬戸内国際芸術祭2016夏会期・2日目は直島。

といっても、今回の直島訪問は瀬戸芸メインではなく、
直島に新しくできた二つの建築作品(うち1つは瀬戸芸の作品でもありますが)。

一つは宮浦地区に新しく建て替えられた直島キリスト教会(以降「直島教会」と表記)。
タマビの教授と学生がチームとなって設計に参加したとか。

もう一つは本村地区の直島町役場の裏側にできた直島ホール。
設計者の三分一博志氏は正直初耳な建築だけれど、
特徴的な外観に惹かれてぜひとも訪れたいと思ってました。

まずは始発のフェリー(高松港8:12→宮浦港9:02)で直島へ。
フェリーターミナルから徒歩10分ほどで直島教会へ。


吉岡徳仁 クリスタライズ【東京都現代美術館】

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せっかく東京にきた、ということで。
東京でやっている最先端のデザイン・アート関連の展示を見に行くことに。

まずは東京都現代美術館で開催中の吉岡徳仁の『クリスタライズ』。

実は彼の展示を見るのはこれで四度目。

2006年にAXISギャラリーで開催された『スーパーファイバーレボリューション』、
2008年に21_21DesignSightで開催された『Second Nature』、
単独展ではないけれど、
2010年に森美術館で開催された『ネイチャー・センス』、

そして、本展。


デザインとアートの中間。吉岡の立ち位置はそこにある。デザインは設計できるが、アートは設計できない。デザインは心理学的だが、アートは精神分析的である。デザインの前提は「複製」だ。いっぽうアートの前提は常に「複製への抵抗」である。(本展図録P170、斎藤環「デザインの意志」)


この記述に概ね反論はないけれど、
僕が彼の好きな部分はアーティストとしての側面である。
とくに素材の特性を生かした空間づくり。
そこに感動させられるし、自分もそのような空間づくりをしてみたいと思う。

本展のタイトルのとおり、本展で使われているマテリアルは
ガラスやアクリル、クリスタル、プラスチックといった透明感のあるもの。
自分が現在使おうとしている木とはまったく性質の異なるものではあるけれど、
素材の特性の引き出し方、空間表現への使い方を学ぶ、という点においては、
使われるマテリアルの種類はあまり重要じゃない。


そして、本展のサブタイトルは「人の記憶に眠る自然の姿結実させる」。

ここに、マテリアルの魅力を引き出す秘訣があるのだろうか。


Casa BRUTUS特別編集 死ぬまでに見ておくべき100の建築

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カーサ・ブルータスが選ぶ「いつかは行きたい!世界の名建築100選」。

...建築好きならば間違いなく興味が喚起されるテーマですよね。
数多ある建築群から限られた状況でどれだけ多くの名建築に巡り会えるか。
それは事前に知識として名建築を知っておくことにほかならない。

東京の会社を辞めて美大に行くことを決めたときから、
多くの情報をリサーチし、実際に訪れてもいるけれど、
次から次へと名建築は現れる。
まあ、それは幸せなことなんだろうけども。

自分の場合はどれだけ多くの名建築を訪れることができるか、ではなく、
死ぬまでに自分で思う究極の建築を一つ作るのが最終的なゴールではあるけども、
そのためにはやはりリサーチし続けなければならない。


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基本的に無宗教です。

...今は。


生まれ育った家は典型的な浄土真宗で、生活の節々にその影響はあったけれど、
自分の中の核に響くことはなかったように思います。

上京してからはなおさら宗教のことなど意識することもなくなった。
時を経て、社会人学生として美大でデザインを学び、建築に興味をもつようになってから、
宗教について、だんだんと興味をもつようになった。
仏教やキリスト教などの歴史的宗教建築を見るのが好きになった。


今回の上京時、滞在したホテルの隣に立派な教会がありました。
高輪にこんなユニークな教会があったなんて。

20年近く過ごしていても、見えなかったものがまだまだたくさんある。
だからまだまだ「魅力」を探し続けなければ。


魅力を知らずして、魅力を作り出すことはできないのだから。


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[ルーアン大聖堂(クロード・モネ、1893年)]


大塚国際美術館での展示作品。
会場内は撮影可能ということで、気の向くままにお気に入りの作品を撮影しました。

本記事では印象派をピックアップ。
一番好きなジャンルなのだが、大塚国際美術館で見ると一番がっかりするジャンルでもある。
それはそれまでの絵画が極力「タッチ(筆致)」を消すものであったのに対し、
印象派ではタッチを画家の個性、表現として重要視するから。
陶板画はいわば二次元プリントであり、筆致までをも再現することはできず、
平滑なキャンバスになってしまう。
それでは本当の印象派を理解することはできない。


...あくまで素人の自分なりの独自の解釈です。
知識不足、勘違い、根拠に欠ける部分も多々あることをご了承ください。


照明がやや暗めで暖色系のため、作品画像はピンぼけ気味でやや赤っぽくなっています。
また、陶板特有の光沢もあります。
さらに傾き補正やレンズ補正をかけているため、
必ずしも作品(本物)の内容や構成を忠実・正確に表すものではないことをあらかじめご了承ください。

「だいたいこんな感じのもの」という感じで見ていただけたらと思います。