「スケッチ」と一致するもの

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坂の上の雲ミュージアム。
安藤忠雄設計により2007年に開館。

「坂の上の雲」は司馬遼太郎の歴史小説。
1968年から1972年にかけて産経新聞夕刊紙に連載されました。
2009〜2011年にかけてNHKでドラマ化もされました。

三人の主人公秋山好古、真之兄弟と正岡子規の故郷、ということで、
本作の史料を展示するミュージアムが松山市のど真ん中、松山城の麓にあります。


愛媛に来て8年、ようやく来ることができました。
来媛直後から気にはなっていたのですが、なにぶん街なかにあって駐車場がなく、
田舎暮らしで公共交通機関がほとんど利用できない状況だったので、
なかなか訪れることができませんでした。

GWの中日、久しぶりに松山駅前の喜助の湯に入りに行くことにしました。
ここは4時間まで駐車場が無料になるので、その時間を利用して、
藤が見頃の庚申庵を見た後、市電で坂の上の雲ミュージアムへ行くことに。


外観は何度となく見ていたのですが、中に入ってはじめて、
あらためてこの空間の素晴らしさを実感しました。

小ぢんまりながら想像以上に素晴らしい空間でした。


ムンク展ー共鳴する魂の叫び【東京都美術館】

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久々の東京出張。
帰りの飛行機までの時間を利用して、久々のお江戸での美術鑑賞。


...というわけで東京都美術館で開催中のムンク展に行ってきました。

特にムンクが好き、というわけでもなくて、
上ので開催中のフェルメール展、ルーベンス展、六本木で開催中のボナール展など、
場所の成約と好みをいろいろ検討した結果、消去法で残ったのがムンク展と、
三菱一号館美術館のフィリップス・コレクション展でした。
結果的にはこれが大当たり。


「叫び」は世界で最も有名な絵画の一つであり、
故国ノルウェーでは国民的画家として讃えられているエドヴァルド・ムンク。
40代にはすでにその画業は社会的に認められるようになっており、
画家としては成功した部類に入るでしょう。

しかしなぜ、彼の絵はこんなにも悲しみに満ちているのでしょうか。


ノルウェーのクリスチャニア(現オスロ)の北に位置するローテン村で、
軍医だった父クリスチャン・ムンクと母ラウラの間に生まれたムンクは、
結核により母と姉を幼くして失う。
女運も悪く、恋人とのいざこざの末に左手の指の一部を失ってしまう。
幼少時に大切な家族を失うという経験と、恋人との破局により
アルコールに依存するようになり、ついには精神的にも異常をきたすようになる。
この危機を画業の成功でなんとか乗り切るが、
ナチス・ドイツが台頭してくると、頽廃芸術として作品押収され、
戦争を避けるようにひっそりと作品を描き続けるが、
ナチスの爆撃で家の窓が吹き飛ばされ、その寒さにより気管支炎を患い、
生涯独身を貫いた画家は自宅で一人息を引き取った...


画家としては成功したが、彼の人生は決して恵まれたものではなかった。

彼の人生ははたして幸福なものだったのだろうか。
彼自身、自分の人生に悔いは残らなかったのだろうか。


安藤忠雄展 挑戦【国立新美術館】

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建築に何が出来るのか、そもそも建築とは何なのかー私は建築の本質とは、人工と自然、個人と社会、現在と過去といった、人間社会にまつわる多様な事象のあいだの関係づくりと考えています。その意味で、人々共に木を植えて街に緑を取り戻す活動もまた、私にとっては建築です。既にある風景、社会制度の中に入り込んでいって、予定調和から外れた試みをしようとすれば、当然、摩擦や衝突が起こります。建築の原点たる住まいの問題、空間の光と影といった美学状の問題、あるいは都市空間、場所の風土の問題。つくる度にさまざまなテーマに直面し、それらに建築で応えるべく、悪戦苦闘してきました。その全てが挑戦でした。


半年ぶりの東京2日目。
朝一で六本木の国立新美術館へ。

建築家・安藤忠雄の半世紀に渡る建築活動を紹介する展覧会。
ギャラリー「間」21_21、ANDO MUSEUMなど、
過去何度か安藤さんの展示は見に行ってますが、
これほど大規模なのははじめて。

270点もの資料や模型で89のプロジェクトを紹介する過去最大規模のもの。
この展示を見るだけでもよくまあ、これだけやってきたもんだと感服するのですが、
一方で安藤さんの「連戦連敗」という本では、
実現しなかったプロジェクトも山ほどあったというのだから、
展示ボリュームをはるかに超えるエネルギーを安藤さんは建築に注ぎ込んできた。
そう考えると、さらにその感服度合いが大きくなります。

それでも東京という日本でもっとも大きな街で、
日本で最も有名な建築家は自分の回顧展を自分の設計した美術館で開催できなかった。
そこに日本の建築界の窮屈さを垣間見たような気がします。
その意味においても、晩年に差し掛かって身体がボロボロになってなお、
夢を抱き続ける安藤さんの挑戦はまだまだ続くのでしょう。


「目標があるうちは青春だ」


自分もそういう人生をおくりたいと思う。


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水戸芸術館で開催中の藤森照信展に行ってきました。

2008年の松井龍哉展以来、じつに9年ぶりの水戸芸術館。
磯崎新が手がけたその空間は、相変わらずの存在感でした。
そして本展もそんな存在感溢れる空間に見合う、濃い建築の展示でした。

藤森さんの展示ですが2007年のオペラシティアートギャラリーでの展示以来、
10年ぶり二度目の鑑賞となります。
実際の建築も、ワイルドなその風貌はスマートな都会の街並みに合わないせいか、
地方に多いため、なかなか訪れることが叶わず。
昨年、ようやく神勝寺の中の「松堂」に訪れることができたくらい。


藤森さんの建築は、現在主流になっているモダニズムの延長にあるスマートな弥生式の建築とは
対極にある縄文式建築です。
できるだけ直線から離れ、幾何学から離れ、無機質から離れるオーガニックなものです。
ただ、それはモダニズムを知らないとか、嫌いだとか、批判するといったヘイト要素から
出発するものではなく、元は建築史家という立ち位置から過去の様式を研究し尽くした上で、
現在の延長線上の未来の建築がより良い姿であるように模索したものだと思うのです。


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2016年最後の遠出。

今回は「お寺とミュージアム」をテーマに広島県のお寺二箇所を周りました。

一つは今回紹介する福山市の神勝禅寺、もう一つが生口島の耕三寺です。
共に開基が元々は実業家という異色のお寺であり、
いわゆる一般的な寺社とは一風変わった雰囲気が楽しめる場所ではないでしょうか。


神勝寺は正確には「臨済宗建仁寺派天心山 神勝禪寺」といい、
福山市は海際の閑静な山の中にあります。
本寺は当時常石造船の社長であった神原秀夫氏が益州宗進禅師を勧請開山として、
1965年に建立(宗教法人認可)された、臨済宗建仁寺派の特例地寺院です。

元々あった白隠禅師の禅画・墨跡のコレクションおよそ200点に加え、
2016年9月に名和晃平|SANDWICH設計によるアートパビリオン《洸庭》が新たに作られ、
お寺全体をミュージアムに見立てた「禅と庭のミュージマム」がオープンしました。

もちろん、この《洸庭》が一番の見所ではありますが、
それ以外にも藤原照信設計の寺務所「松堂」など、見どころ満載な空間です。

会場は《洸庭》のある賞心庭エリアと白隠コレクションのある無明院エリアの
大きく二つに分けられますが、本記事ではまず賞心庭エリアを紹介していきます。


自然な構造体【フライ・オットー他】

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計算が苦手だ。

昔から算数・数学、物理の類は苦手だった。
微積分が現代社会にどのように生かされているのか、
未だによく分からない。

考えることと、計算することはたぶん別回路だと思う。
脳の中で使われる部分がそれぞれ違うのではないだろうか。

そんな自分が建築、とりわけその「構造」に惹かれるのはなぜなのだろう。
理数系が苦手なのに、理数系の高専に進学したのは、
単なる気まぐれだったのだろうか。


2年生の時、建築構造の授業を受けにわざわざ八王子まで通った。
美大なので構造計算はさわり程度しかやらないのだけど、
それでもけっこう混乱した。
それでも授業は面白かった。


この世界に確かに「存在」しているという実感がほしい。

だから構造というものに興味があるのだと思う。
それを計算ではなく、直感で得たいのだと思う。


東京の未来を考える2010

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藤本壮介展に行ってきました。
....一週間前に。


石上純也同様、独特の雰囲気がある。

たぶんは彼らはこれからの建築を担う、新世代の筆頭格なのだろう。

...それは分かる。


しかし彼らの作品や、彼らの展示の仕方は落ち着きがない。

落ち着きのない建築に魅力はあるだろうか。


彼らを批判したいのではない。

たぶん、かつての偉大な建築家たちも若くして頭角を現した頃は、
こんな感じだったのかもしれない。


建築の評価には時間がかかる。
そのスケールが故に。

それが正しい評価のされ方なのだ。


逃れられない「カタチ」

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2年生の時の香水の課題から生まれた造形。

ただ立方体を「ねじる」という単純な発想から生まれたこの形が、
以後、自分の中につきまとっている。

自分の中の芯、という点ではあらゆる展開に応用が利くのだけど、
逆にこれを越える新しい形を生み出す、というブレークスルーにおいては
大きな壁となっている。


この形から離れられない。
この形から逃れられない。

もっと有機的な、もっと本質的な形が、この形の向こうにあるはずなのに。


悩んでいる割に進捗が見られない。
悩んでいる割に結果が出ない。

...内面の苦労が報われない、苦しい時期であります。


光の教会 安藤忠雄の現場【平松剛】

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安藤忠雄著書「連戦連敗」のレビュー記事へのコメントで、
けいあすぱぱさんから教えていただいた本。


茨木春日丘教会、通称「光の教会」。
今、最も訪れてみたい教会の一つ。

本書は光の教会の設計から施工、完成までの道のりを、
意匠設計者、構造設計者、施工業者、施主などあらゆる関係者の声を、
自身も建築構造設計の経験のある著者が客観的にとりまとめたもの。

第三者ゆえに冷静に、かつ客観的に関係者それぞれの声をまとめることができる。
そして、建築への造詣があるがゆえに客観的でありながら、現場に肉薄できる。


建築は建築家だけでできあがるのではない。
一つの建築の中で建築家の果たす役割なんて全体のほんの一部で、
そこには様々な人と仕事が入り交じっていることをこの本は教えてくれる。
建築とは極めて多面的で多様的な集合体なのだ。


建築家の仕事とは、
その多岐にわたるそれぞれの要素を一つの同じ方向に向けることではないだろうか。
だから良い建築家には人を惹きつける何かがある。
それぞれの個性を持った人々に同じものを感じさせる「イメージ」がある。


僕は今、美大生。

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3月に入って、はや3週間。

週5日のバイトをはじめたおかげで規則正しい日々となっております。

開始は朝9時から、終わりは一応夕方6時、という決まりなのですが、
実際は夜7、8時まで、遅いときは9時まで残ることもあります。
時給制ではなく、日給制なので残業すればするほど損するわけですが、
大学は春休みだし、試用期間中にできるだけ仕事を覚えてペースをつかみたい、
というのもあって、自発的によしとしてます。

なにより、思った以上にやり甲斐がある。
自分が見切りをつけた会社でやっていた業務だけに、
魅力、という点では期待してなかった。
大学を退学せずに残ることを決め、あと1年分の学費を稼ぐために
わらにすがる思いでありついたバイトだった。

しかしいざやってみると、面白い。

大きな組織の中で、見えなくなっていたものが、
外に出て客観的に自分を見つめ、
大学という場所で「考える」習慣が加速化することで見えるようになった。

ときどき、かつていた会社の延長上で仕事しているような気分になる。

そしてふと、我に返る。


今、僕は美大生のはずだ、と。