藤本壮介展に行ってきました。
....一週間前に。
石上純也同様、独特の雰囲気がある。
たぶんは彼らはこれからの建築を担う、新世代の筆頭格なのだろう。
...それは分かる。
しかし彼らの作品や、彼らの展示の仕方は落ち着きがない。
落ち着きのない建築に魅力はあるだろうか。
彼らを批判したいのではない。
たぶん、かつての偉大な建築家たちも若くして頭角を現した頃は、
こんな感じだったのかもしれない。
建築の評価には時間がかかる。
そのスケールが故に。
それが正しい評価のされ方なのだ。
会場では面白いワークショップをやってました。
「東京の未来を考える」
東京の現在のイラスト図に自分が考える東京の未来を描き込む。
そしてそれをスクラップブックにファイルする。
来場者の数だけ東京の未来が集まる。
自分もよく分からないままに、適当にスケッチしていると、
...意外と面白い。
言葉にできないものを絵に託す。
人間には言葉以外にも表現の手段をたくさん持っている。
もっとじっくり描きたくなったので、スクラップブックにはファイリングせず、
家に持ち帰ってペンで描き直してみた。
未来の東京はどうあるべきか。
都会に失望しつつある今、僕には明確なビジョンがない。
ただ思うのは、都会には人が集まりすぎている。
もっと散らばるべきである。
都会は住まう場所ではなく、必要に応じて集まるサテライトであるべきなのだ。
しかし昔から住んでいる人たちもいるわけで。
完全なサテライトにするのも難しい。
中央に東京タワーよりも大きい大樹を置いた。
下に群がるのには限界がある。
だから今度は必然的に人は上へと向かう。
都市の超高層化はその最たる現象だ。
しかし所詮は地上から生えているのだから、やはり限界はある。
それなら、樹木のようにブランチしたらどうだろう。
そして地表は緑で覆う。
...たぶんこんな想いがスケッチに現れたのだろう。