松山出身の俳人といえば、幕末から明治に生きた正岡子規が有名ですが、
その前に江戸時代に活躍した俳人として栗田樗堂がいます。
酒蔵の三男として生まれ、17歳のときに同業の栗田家の養子に入り、その蔵を継ぐ。
養父及び妻が俳人であったことから自然と俳諧に慣れ親しむ。
松山藩の大年寄になるなど精力的に活躍していたが、五十を超える頃、
浮世を捨てて俳諧に専念するために草庵・庚申庵を建てました。
樗堂はここでの隠遁生活を望むも、その有能さゆえか周囲はそれを許さず、
庚申案での生活はわずかな期間だったと言います。
その後、樗堂は俗世から逃れるために御手洗島(現在の広島県・大崎下島)に移住し、
そこで66年の生涯を終えます。
俳人としての腕前は相当なものだったようで、
当時発行された俳人番付で、あの小林一茶が末席だったのに対し、
樗堂はかなりの上位に列せられていました。
実際、一茶はかなり樗堂をリスペクトしていたようで、二度ほど樗堂の元を訪れています。
とくに誹諧に興味があったわけではなく、
テレビでふじまつりの様子を見て、行きたくなりました。
少々満開の時期を過ぎていましたが、なかなか見事な藤棚でした。
木造の学校に木霊が宿る。
そんな学校をつくらないとほんとうはいけないのではないか。
自然で、簡素で、静寂である、
このことが学校の環境としては一番いいんではないかと思っております。
建築というのは何気ない美しさですよね。
わざとらしくないのがいいというのと、
それと滲み出て、心に染みるような、
そういう建築であってほしい。
(『素描・松村正恒』パンフレットより)
愛媛に来て8年。
念願の建築にようやく訪れることができました。
八幡浜市立日土小学校(以下「日土小学校」と称す)。
この建築を明確に知ったのは2013年の香川県立ミュージアムでの丹下健三展でした。
丹下さんと同時代に活躍したの建築家たちの一人として紹介されていました。
日土小学校は今も現役で活躍する小学校ですが、
平成21年より春休みや夏休み等の長期休暇時に一般公開されており、
今回第32回の学校見学会に参加してきました。
現在に残る校舎は愛媛県大洲市出身の建築家・松村正恒氏の設計により
1956年に中校舎が、1958年に東校舎が建てられました。
2007年に八幡浜市の有形文化財に指定されると同時に改修改築工事に着手、
2009年に新しい西校舎が完成しました。
1999年にDOCOMOMO Japan20選に選ばれ、
さらに2012年に木造モダニズムをよく残すものとして、
国の重要文化財の指定を受けました。
今年最初の美術鑑賞。
愛媛県美術館で開催中のバレル・コレクション展へ行ってきました。
英国スコットランドの海運王ウィリアム・バレルが蒐集した美術コレクション、
「バレル・コレクション」。
バレルはその膨大なコレクションを地元グラスゴー市に寄贈、
閑静な土地にコレクションを展示する美術館が建設され、1983年に開館しました。
コレクションは基本的に門外不出でしたが、
美術館のリニューアル工事に伴い初来日することになり、
本展はそのコレクションの中から73点と同市のケルヴィングローヴ美術館から7点、
計80点を展示するもので、福岡→愛媛→東京→静岡→広島の順で巡回します。
巡回展はなにかと都会の美術館が優先され、
遅れて田舎の美術館へ巡回してくるのが常だから、
めずらしく東京よりも先に愛媛で開催されるのも嬉しい。
今年最初の記事ですが、できごととしては去年のこと。
昨年10月下旬に久々のお江戸へ出張で、
日本橋タカシマヤでの日本酒の試飲販売に行くことになったのですが、
それまで使っていたメガネのレンズがキズだらけになっていて、
それでもまあ、日常生活には支障はなかったのですが、
一応背広を着て、格式あるデパートで販売員として立つ手前、
「身だしなみとしてどーなの?」と。
前回の買い替えより3年近く経過していることもあって、
買い換えることにしました。
デザイン的にも、機能的にも、そして何よりコスト的にもお手頃、
というわけで今回もJINSにしました。
フレームは若干拡がっているものの、まだまだ使えそうなので、
レンズ交換だけでも良かったのですが、
日常生活用もしくは作業時用とは別のドレスアップ用に
もう一つ持っていてもいいかなあ、ということで新しくフレームも買うことに。
久々の東京出張。
帰りの飛行機までの時間を利用して、久々のお江戸での美術鑑賞。
東京都美術館でのムンク展に続いて、
三菱一号館美術館で開催中のフィリップス・コレクション展へ。
フィリップス・コレクションは裕福な実業家の家に生まれた
ダンカン・フィリップスが蒐集した美術作品群です。
1918年に法人化し、1921年にこれらのコレクションを展示する場として、
ワシントンDCにフィリップス・メモリアル・アート・ギャラリーを開館しました。
これはMoMAの開館よりも8年も早く、アメリカで最初に開館した近代美術館とされています。
ダンカン・フィリップスは1966年に亡くなりましたが、
その精神はフィリップス・コレクションに受け継がれ、
現在、同コレクション所蔵品数は4,000点以上にもなります。
本展はこの世界有数の近代美術コレクションの中から、
アングル、コロー、ドラクロワ等19世紀の巨匠から、
クールベ、近代絵画の父マネ、印象派のドガ、モネ、印象派以降の絵画を牽引した
セザンヌ、ゴーガン、クレー、ピカソ、ブラックらの秀作75点を展覧するものです。
久々の東京出張。
帰りの飛行機までの時間を利用して、久々のお江戸での美術鑑賞。
...というわけで東京都美術館で開催中のムンク展に行ってきました。
特にムンクが好き、というわけでもなくて、
上ので開催中のフェルメール展、ルーベンス展、六本木で開催中のボナール展など、
場所の成約と好みをいろいろ検討した結果、消去法で残ったのがムンク展と、
三菱一号館美術館のフィリップス・コレクション展でした。
結果的にはこれが大当たり。
「叫び」は世界で最も有名な絵画の一つであり、
故国ノルウェーでは国民的画家として讃えられているエドヴァルド・ムンク。
40代にはすでにその画業は社会的に認められるようになっており、
画家としては成功した部類に入るでしょう。
しかしなぜ、彼の絵はこんなにも悲しみに満ちているのでしょうか。
ノルウェーのクリスチャニア(現オスロ)の北に位置するローテン村で、
軍医だった父クリスチャン・ムンクと母ラウラの間に生まれたムンクは、
結核により母と姉を幼くして失う。
女運も悪く、恋人とのいざこざの末に左手の指の一部を失ってしまう。
幼少時に大切な家族を失うという経験と、恋人との破局により
アルコールに依存するようになり、ついには精神的にも異常をきたすようになる。
この危機を画業の成功でなんとか乗り切るが、
ナチス・ドイツが台頭してくると、頽廃芸術として作品押収され、
戦争を避けるようにひっそりと作品を描き続けるが、
ナチスの爆撃で家の窓が吹き飛ばされ、その寒さにより気管支炎を患い、
生涯独身を貫いた画家は自宅で一人息を引き取った...
画家としては成功したが、彼の人生は決して恵まれたものではなかった。
彼の人生ははたして幸福なものだったのだろうか。
彼自身、自分の人生に悔いは残らなかったのだろうか。
Facebookグループでの投稿で知り、行ってきました。
アートの島「豊島」といえば豊島美術館のある香川のものが有名ですが、
愛媛にも「豊島」があるんです。
香川の豊島が「てしま」と読むのに対し、愛媛の豊島は「とよしま」と読みます。
愛媛の豊島は現在は無人島となっています。
そこにゲルハルト・リヒターの美術館があります。
香川の豊島に比べるとちょっと寂しいですが、
無人島にある美術館ってなかなか雰囲気あっていいものです。
美術館と言っても、建物の中には190センチ×180センチの透明なガラス板が14枚、
約8メートルにわたって並べられているだけ。
14枚のガラスは一見平行に並んでいるように見えますが、
少しずつ角度を変えてハの字状に並んでいます。
リヒターによるガラスの立体作品としては、最後にして最大のものだそうです。
陸側からは先が見通せるけれど、海側から見ると先が見通せないという
マジックミラーのような不思議な空間。
リヒターはどのような想いでここにこの空間を創ったのでしょうか。
しまなみ海道の島の一つ・因島にある因島水軍城に行ってきました。
どうしてもここに行きたかった、というわけではなくて、
この後のお目当ての場所に向かう船の出発時間までの間、
どこか行けるところないかなあ...と探してて見つけたのがここ。
南北朝時代に村上師清という人物が天皇の命により瀬戸内に入り、
因島に24もの城を築きました。
師清には三人の息子がいて、長男・義顕は能島を、次男・顕忠は来島を、
そして三男・顕長を因島に配置しました。
これが村上水軍のはじまりです。
村上水軍はいわゆるパイレーツ(海賊)のような野蛮な強盗団というよりは、
自衛隊のような専守防衛を旨とする治安維持組織であったと言われます。
広島滞在最終日。
最後はやっぱり平和記念公園。
前回訪れたのは2011年3月。
実に7年ぶりの訪問です。
「戦争は人間のしわざです。戦争は人間の生命を奪います。戦争は死そのものです。
過去を振り返ることは将来に対する責任をになうことです。
ヒロシマを考えることは、核戦争を拒否することです。
ヒロシマを考えることは、平和に対しての責任を取ることです。」
広島出身であることを心から誇りに思います。
開館40周年 まるごと ひろしま美術館展2018。
西洋画編に続いて今回は日本画編です。
日本画もなかなか充実していました。
個人的にはどちらかといえば日本画よりは西洋画が好きなのですが、
ここの日本画コレクションはなかなか自分の好みの作品が多くて良かったです。
特に裸婦像。
なんていうか西洋画のような直接的なアピールではなく、
遠回しに隠喩的に色気を伝えようとする奥ゆかしさ、というか、
そういう雰囲気が日本人の自分の性にも合ってるというか。
改めて日本画の良さに目覚めた気にさせてくれる、良い展示だったと思います。