「印象派」と一致するもの

月と六ペンス【モーム】

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ウィリアム・サマーセット・モームの「月と六ペンス」。

例によって中村先生の紹介。
ゴーギャンをモデルにした小説、ということで読んでみました。

ロンドンの株式仲買人であったストリックランドは、
四十歳にしてある日突然、仕事と家族を捨ててパリに逃げた。
画家になるために。

正式な美術教育を受けたわけでもない男が、
いきなり自分の絵だけで生活していけるはずもなく、
極貧生活を余儀なくされるが、そんな苦境をものともせず、
ひたすら絵筆を動かし続ける。
何かを求め、見つけ出そうとするかのごとく。

他人からの干渉を拒み、ひたすら孤高の道を進んだ男は、
最後に行き着いたタヒチで地上の楽園を見つけ出す...


ストリックランドの人生は、
まさにゴーギャンの人生そのもののように思えるけど、
実際のゴーギャンはここまで完全無欠ではなかったように思える。
これはゴーギャンが願った理想の人生ではないだろうか。


男はなぜ平和な家庭と仕事、すべてを捨てて、貧困と孤独の道を選んだのか?


[ブルーヌード(1952)]


共通教育科目のテストが終わりました。

今年は中村先生の二科目のみ。
例によって記憶力を問うものではなく、ノート持ち込みOK、
授業を通して印象に残ったテーマについてその理由を述べる、
という記述形式のテスト。

自分にとって言葉はグラフィック・デザインと同じく
表現のプロセスの途中過程で用いるツールのようなもので、
表現の最終手段ではないようだ。
どれだけ言葉を重ねても満足することはない。


西洋美術史Ⅱのテストは、
後期の授業(バルビゾン派〜フォーヴィスム)の中から
印象に残ったテーマ、作品を4つ挙げてその理由を述べよ、
というものだった。

最初の3つは自分の好きな分野でもある印象派、新印象派、後期印象派を
挙げてまあ普段から思っていることをつらつらと書いたのだけど、
最後の一つはフォーヴィスムのマティスを挙げてはみたものの、
実はいまいちよく分からず、適当にお茶を濁したような回答になってしまった。


その夜。

「美の巨人」でマチスの「ブルーヌード」が特集されていた。

平面的で見ようによっては抽象画に見えてしまうマティスの作品について
これまではあまり関心がなかった。
唯一記憶に刻まれていたのは、やはり以前「美の巨人」で
紹介されていた目の覚めるようなブルーのマティスの教会だった。


今回のブルーヌード特集で、マティスの絵が少し分かった気がした。


...これもセレンディピティですな。


ゴーギャンの「狡さ」

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[光輪のある自画像(1889年)](画像は大塚国際美術館の陶板画)


西洋美術史Ⅱの授業も佳境。

ゴッホとくれば、当然次はゴーギャン。


精神が壊れてしまうほどの凄まじい情念で描いたゴッホが断然好きだけど、
スライドで作品を眺めていると、やっぱりゴーギャンも悪くない。

1847年6月7日パリ生まれ。
この年、二月革命が勃発、ジャーナリストだった父クロヴィスは、
革命後の弾圧を恐れて、母アリーヌの親戚を頼ってペルーへ亡命、
幼少期を南米で過ごす。

7歳の時フランスに戻り、6年間神学校で学んだ後、
17歳で船乗りになる。
23歳でベルタンの株式仲買人として働くようになり、
この頃から日曜画家として絵を描きはじめる。
25歳でメットと結婚、5人の子供に恵まれる。
26歳でピサロと出会い、印象派と出会う。
28歳にはサロンに入選。
画業に専心するために株式仲買人を辞める36歳の頃には
夫婦の間には完全な亀裂が生じており、
やがて家族とは離ればなれになる。

物質文明に嫌気がさし、
文明の及ばないブルターニュ地方の田舎町ポンタヴァンで絵を描くようになる。
しかし、小さな田舎町にも文明の波が及ぶようになると、
彼の地でも満足できなくなり、新たな楽園を求めて南国タヒチを訪れる。

2回のタヒチ滞在を経て、やがて彼の遺書と呼ばれる大作、
「我々は何処から来たのか、我々は何者か、我々は何処へ行くのか」
を描き上げる。


ゴーギャンの「狡さ」に人間らしさを感じる。

自分のエゴの追求のためには家族を捨てることすら厭わない身勝手さ。
そんな自分の身勝手さを痛いほど自覚しており、苦しむ。
そしてそんな自分の狡さを浄化するために絵を描く。


僕にはそんな風に見える。
そして、彼のそんな絵が好きだ。
親近感を感じる。
...僕の中にも「狡さ」があるから。


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[灰色の帽子の自画像(1887年)](出典:Wikipedia)


国立新美術館で開催中のゴッホ展に行ってきました。


卒業制作の最後の追い込み前の景気づけに。
ちょうど西洋美術史の授業でも取り上げられたこともあり。

中村先生の授業の中でも、取り上げられることの多かった画家の一人。

画家として活動したのはたった10年。
27歳という遅いスタートながら独学で、彼独自の画風を確立するも、
生きている間に売れた絵はたったの1枚。
2ヶ月間の共同生活の末の悲劇とともにゴーギャンと並んで
情熱の画家、炎の画家と並び称された天才画家。

...ゴッホの一般的なイメージはこんな感じだろうけど。


彼は決して天才肌ではなかった。
初期の地道な努力の積み重ねが晩年に一気に花開いた。
限りない孤独が彼の感性を極限まで高めてゆき、晩年に一気に爆発した。
そしてそのまま彼は散っていった。


今回の展示は晩年の傑作は少なく、正直もの足らない部分もあった。
正直ゴッホの初期の作品は凡庸でぱっとしないものが多い。
だけど、晩年の見事な作品群に結実するものがここにはある。

晩年が黄色を基調とした鮮やかな色彩なのに比べて初期の作品は驚くほど暗い。
ミレーの影響にはじまり、新進気鋭の印象派、新印象派のテクニックを取り入れ、
浮世絵におけるジャポニズムで色彩に目覚めた。

古今東西の別なく貪欲にチャレンジし、自分のものにしようとした。
ドガがデッサンなら、ゴッホは色彩。
印象派の控えめなタッチから自ら主張するタッチへ。
絵画を目に見える世界から目に見えない世界へと導いた。


それでも彼が生きた時代は彼を認めなかった。
時代が彼に追いつかなかった。
天才の悲しい宿命を背負ったまま、彼は孤独のうちに死んだ。


仲間を持つことは大切だ。
しかし自分の世界を持つことはもっと大切だ。
自分の世界を知らずして生きることほど、人として不幸なことはない。

...ゴッホはそれを教えてくれる。


ドガ展【横浜美術館】

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[エトワール(1876-77)](画像は大塚国際美術館の陶板画)


西洋美術史の印象派の授業でドガを学びました。
モネやルノワールなど代表的な印象派画家はそこそこに、
印象派の中でも異色な存在であるこの画家について、
およそ二週にわたってじっくり解説。

折しもドガ展が横浜美術館で開催中。
日曜美術館でもピックアップされたこともあって、
居ても立ってもいられず、行ってきました。

けっこうな混雑でしたが、ボリューム的にもちょうどよく、
常設展も含めて2時間でじっくり鑑賞できました。


本名イレール=ジュルマン=エドガー・ド・ガス。
貴族の出と見られるのが嫌で、「ド・ガス」を短縮した呼び方で
自らを名乗るようになる。

エコール・デ・ボザールで絵画・彫刻を学ぶ。
アングルからの「線を描きなさい、記憶からも、目に見えるものからも」
という助言により、念入りに構想された膨大なデッサンが生まれる。
目の病により明るい陽光の下で長時間絵を描くことができなかったため、
彼の作品は圧倒的に室内のものが多い。

印象派の多くの画家が光を求めて戸外へと出かけ、
そこにキャンパスを立て、いきなり絵の具を重ねていたのに対し、
彼が印象派の中でも異色の存在であったことが伺えます。
他の印象派画家のように筆触分割も使わなかった。
そんな彼がなぜ、8回のうちの7回も印象派展に出品したのか。


アカデミズムに学び、アングルの助言に忠実に従いながらも、
彼はアカデミズムの枠に収まる器ではなかった。
絵画を単なる「美の器」として捉えるのではなく、
あるがままを伝える、「真実の器」として捉えたかったのではないだろうか。


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[ゴッホ『星降る夜』(1888年)](画像は大塚国際美術館の陶板画)


国立新美術館で開催されている、オルセー美術館展に行ってきました。


実は3年前に東京都美術館で開催されたオルセー美術館展にも行きました。
その時は美大に入る直前で、絵に関する知識も感覚も
今に比べるとまったくない状態だった。

今回はその時よりも10倍も絵画鑑賞を楽しめた気がする。
あらためて3年の月日の中で自分が学んだもの、を感じることができた。

別に絵を鑑賞するのに特別な知識なんて必要ない。
だけど、画家がどんな思いでその絵を描いたのか、
どういう時代背景でその絵を描いたのかを知れば、
よりその絵に対する思い入れが強くなる。

そして絵画で何を表現しようとしたのか、自分なりに考えることができるようになる。
感じて、考える。
「より良く」生きるために。

ただ、ボリュームとしては前回の方が大きかったかな。
けっこう混雑した中でもじっくり鑑賞したつもりだったけど、
鑑賞時間はトータルで2時間かからなかった。


いい絵はデジタルデータでもその良さが伝わるものだけど、
いい絵の本物はもっと良い。

絵は基本的に二次元の媒体だけど、
「本物の絵」は微かに三次元であり、その微かな部分に魅力が詰まっている。


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[希望号の難破(1824)](画像は大塚国際美術館の陶板画)


早いもので今週末は共通教育科目の前期末テスト。


西洋美術史Ⅱはルネサンス直後のマニエリスムにはじまり、
バロック、ロココ、新古典主義を経て、
フランス、ドイツ、イギリスの
3つの国のロマン主義を学んだところで終了。

ロココの軽薄さへの反動から登場した、
重厚でどっしりとした安定感のある新古典主義。

その新古典主義を継承しながらも、
心の奥底の感情表現が萌芽しはじめるのがロマン主義。

それはやがてバルビゾン派の登場に影響を与え、
クールベの写実主義を経て、印象派へと至る。


ロマン主義の代表的画家として
フランスではジェリコ、ドラクロワ、
ドイツではフリードリヒ、ルンゲ、
イギリスではコンスタブル、ターナーを学んだわけだけど、
自分のお気に入りはドイツのカスパー・ダーヴィト・フリードリヒ(Caspar David Friedrich)。


自然の絶対的な静寂の中に神秘が宿る。
静寂でありながら光と影を明示的に使うことで
自然の厳しさ、躍動感を感じさせる。

真のダイナミズムとは、静寂の中の一瞬にあるのではないだろうか。


メランコリー【オディロン・ルドン】

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[『夢のなかで』より<Ⅰ.孵化><Ⅶ.猫かぶり>](出典不詳)


金曜日の中村先生の授業、「文学と美術」。

およそ4回ほどかけたモローが終わり、今度はルドン。
まずは初期の作品を見る。

印象派と同時代に生きながらまったく独自の路線を歩んだゴーイング・マイウェイ。
きっとB型なんだろう、この人。

印象派が光を求めたのに対し、
ルドンはその光をことごとく吸収した。
それはまさしく「黒い太陽」。


幼少時に母の愛を受けられなかったことが、彼の中の黒い太陽。

黒い気分。
それが「メランコリー」。


ゴッホの「哀しみ」

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[灰色の帽子の自画像(1887年)](出典:Wikipedia)


「文学と芸術」の授業でゴッホを学びました。

これまで中村先生の他の授業でもゴッホは度々登場してきたけれど、
これほどまとめて紹介されたのは今回がはじめてかも。

フィンセント・ヴァン・ゴッホ、1853年生まれ。

最初は伯父の美術商の元で働くが、失恋を機に職を失い、
今度は牧師を目指すも狂信的な熱意が逆に人々に不気味がられ、この職も失う。
その後の1879年に画家を志し、1880年に37歳の若さで亡くなるまでの
およそ11年間で数々の名作が生まれた。

しかしゴッホが存命中に売れた絵画はわずかに一点。
その一点も弟のテオが購入したという。

...と聞きましたが、Wikipediaでは別の人が買ったとありますね。
また売れたのは一枚だけではなく、数枚だったという説もあるとか。

まあ、いずれにせよ、彼が存命中に彼の絵はほとんど評価されていなかった、ということ。
...これも、Wikipediaには晩年には彼の絵を高く評価する人も現れていた、とありますが、
いずれにせよ、彼がその評価の恩恵を授かることはなかった。


時を経て現代、ゴッホの絵は億単位で落札されるという。

...なんとも哀しい話じゃないか。

芸術は貧に足りてこそ、理解できるものだと思う。
成金共にゴッホの想いが、理解できるのだろうか。

芸術を理解する者が芸術界では自由がきかず、
芸術を理解しない者が芸術界を動かす、という不思議な時代。


それでも表現者は自分のエゴを信じ、
自分を見失わずに生きねばならない。

それが「強さ」というものである。


DIC川村記念美術館【千葉県佐倉市】

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千葉県佐倉市の川村記念美術館に行ってきました。

新しいバイトをはじめて1ヶ月が無事過ぎ、いよいよ初給料日間近。
そして来週には大学4年生のスタート。
毎回休みには貧乏旅行をしていたわけですが、
いよいよそんな悠長なこともしていられない状況になってしまい、
バイト三昧の春休みだったけど。

日帰りでも、近場でもどこか行っておきたい。
ちょうど桜も見頃だし。

候補として、水戸芸術館か川村紀念美術館が頭に浮かぶ。
水戸芸術館は過去に何度か行ったこともあって、磯崎新のタワーが大好き。
また、水戸の偕楽園へも一度は行ってみたいなあ、と。
対する川村記念美術館は千葉は佐倉にある庭園美術館。
前から一度行きたいと思いつつ、未だ行けてなかった。

で、交通費を調べたら...
なんと水戸は佐倉の倍はかかることが発覚。
一も二もなく佐倉に決定。
...水戸って遠いんだな。

かつての会社員時代に通い慣れた総武線で2時間ほどかけて佐倉へ。
佐倉駅からは無料シャトルバスで20分ほど。


佐倉で桜を満喫。