ドガ展【横浜美術館】

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[エトワール(1876-77)](画像は大塚国際美術館の陶板画)


西洋美術史の印象派の授業でドガを学びました。
モネやルノワールなど代表的な印象派画家はそこそこに、
印象派の中でも異色な存在であるこの画家について、
およそ二週にわたってじっくり解説。

折しもドガ展が横浜美術館で開催中。
日曜美術館でもピックアップされたこともあって、
居ても立ってもいられず、行ってきました。

けっこうな混雑でしたが、ボリューム的にもちょうどよく、
常設展も含めて2時間でじっくり鑑賞できました。


本名イレール=ジュルマン=エドガー・ド・ガス。
貴族の出と見られるのが嫌で、「ド・ガス」を短縮した呼び方で
自らを名乗るようになる。

エコール・デ・ボザールで絵画・彫刻を学ぶ。
アングルからの「線を描きなさい、記憶からも、目に見えるものからも」
という助言により、念入りに構想された膨大なデッサンが生まれる。
目の病により明るい陽光の下で長時間絵を描くことができなかったため、
彼の作品は圧倒的に室内のものが多い。

印象派の多くの画家が光を求めて戸外へと出かけ、
そこにキャンパスを立て、いきなり絵の具を重ねていたのに対し、
彼が印象派の中でも異色の存在であったことが伺えます。
他の印象派画家のように筆触分割も使わなかった。
そんな彼がなぜ、8回のうちの7回も印象派展に出品したのか。


アカデミズムに学び、アングルの助言に忠実に従いながらも、
彼はアカデミズムの枠に収まる器ではなかった。
絵画を単なる「美の器」として捉えるのではなく、
あるがままを伝える、「真実の器」として捉えたかったのではないだろうか。


ドガといえば、「踊り子の画家」ですが、
彼は踊り子だけを描いていたわけではない。

探求心旺盛な画家は、アカデミズムなテーマから日常の生活まで、
あらゆるものを題材に「あるがままの姿」を描いた。

以下、お気に入りの作品をピックアップ。
※会場内は撮影禁止なので、画像はネット検索及び複製画を使用しています。


まずはやはり彼の代表的な題材であった踊り子から。

本展の目玉、「エトワール」。

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[図録 2200円]

アラベスクのポーズをとるエトワール。
「エトワール」とは、バレエ団の最高位。
しかし当時のフランスバレエ界は貧しく、
バレリーナは金持ちの欲望の対象だった。
舞台後ろの顔の隠れた黒服の男はバレリーナを品定めをするパトロンか。

バレエのためではなく、自分が生きるために踊る。
その悲哀がこの絵をいっそう美しくさせる。


後ろからバックライトを当てているのではないか、
と思ってしまうほど画面が明るい。

さらに不思議だったのは作品に覆われているガラス。
まずは左側から作品にアプローチしてゆくのだけど、
ガラスによる光の反射が見えて最初はがっかり。
ガラスがあるだけで、本物を間近で見る、という魅力が半減してしまうから。

しかし、作品の真正面から眺めると、
...ガラスが消えた。
不思議に思って絵の周囲を何度も行き来した。
他の作品でも試してみたけど、
この作品ほど劇的にガラスが消えるものはなかった。

この作品だけ、特殊なライトやガラスを使っているのか、
この作品自身の独特のものなのか、
一介の素人の僕には分かるはずもないけれど、
この絵がすごく魅力的であったのは確かだ。

正直ドガの絵は個人的にはそれほど好きではない。
印象派独特のタッチも筆触分割もないし、画面も暗い。

ただ、この作品だけは例外だ。
この絵だけは「印象派の作品」に見える。
この絵だけは「美しい」と思った。
やっぱり絵画は美しい方が良い。


「エトワール」の近くにある彫刻作品。


[14歳の小さな踊り子(1880-81)]

唯一ドガが生前に作った彫刻作品。
どこかで見た気が...と思ったら、フィラデルフィア展で見てました。

彫刻に衣装を着せる、という異色さ。
当時はさらに髪には人毛をつけ、顔も彩色してよりリアルさを出していたという。

僕は今の方が良いと思う。
東大寺の大仏が建立当時はやはり顔面が彩色されており、
その様子をCGで再現していたけれど、とても気持ち悪かった。
そんなことをふと思い出して、やっぱり今の方が良いと思った。

新しいことが常に価値があるとは限らないのだ。
むしろ時を経るほど良くなっていくものにこそ、真の価値がある。


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[バレエの授業(1874年頃)](画像は大塚国際美術館の陶板画)

バレエは美しさを動きで表現するものだ。
しかしドガが描きたかったのはその美しさだけではなかった。

彼は世界の「あるがままの姿」を描きたかった。
個人の動きの連続性と個々の存在間の非連続性・無関係性。
世界はこの2つで成り立っていることを。


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[棉花取引所の人々(ニューオリンズ)(1873)](出典:Wikipedia)

集団肖像画。
ここに美化の作為は見られない。
あるのはやはり「あるがままの姿」。
「どこにでもある風景」を描く意味はなんなのだろうか。
部屋に飾りたい、という類の絵でもないだろうに。


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[プロヴァンスの競馬場(1869)](出典:Wikipedia)

競馬もバレエ同様良く描かれたテーマの一つ。

意外と小さかった。
でも丁寧に、キレイに描かれていた。

ドガの絵にはアカデミックに緻密に描かれたものと、
印象派のようにぼかし気味に描かれたものが混在している。
彼の中の迷いを感じる。

馬車はすべてが描かれず、断ち落としされている。
通常絵を描くときにはすべてを画面内に収めようという「作為」が働く。
作為はときに不快感となることもある。
作為を消すーそれも一つの作為なのだろうけど、
作為を感じさせない自然さを演出することも、
「美」の一部ということなのだろうか。


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[浴盤(湯浴みする女)(1886)](画像は大塚国際美術館の陶板画)

湯浴みする女性もよく描かれたテーマの一つ。
「エトワール」と並ぶパステルの代表作。
パステルでここまで描けるのか。

湯浴みする女性の「あるがままの姿」を描く、ということは
言ってしまえば単なる覗き趣味ということなのだけど、
絵画にしてしまえば立派な芸術になる、という不思議。

俗っぽさと高尚な芸術の境目とはどこにあるのだろう?


【見たかったけど、残念ながら本展では展示されなかった作品たち】

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[手袋(1878)](画像は大塚国際美術館の陶板画)

黒い手袋もさることながら、歌い手の表情に惹きつけられる。
美しさ、というよりもエネルギッシュな情熱に。


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[舞台稽古(1874)](出典:Wikipedia)

思い思いに行動する踊り子たち。
通常絵画には秩序を求めるものだけど、
ドガが描いたのは「無関係性」だった。


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[Blue Dansers](出典:Wikipedia)

ドガは「美」を特化して描こうとはしなかったけど、
けして美を排除しようとしたわけでもなかった。
やはりバレリーナには「美」が似合う。


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[室内(後に強姦)(1868-69)](出典:Wikipedia)

これもフィラデルフィア展で見てました。

ドガ自身によるこの作品を描くに至った経緯は残ってないようで、
強姦の直前のシーンを描いたものだと勝手に解釈されているとか。
まあ確かにそう見えなくもないですが。

はたして真相はいかに。
...と見る人に想像を委ねることがドガの真意だったのだろうか。


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[犬の歌(1876-77)](出典:Wikipedia)

本展ではデッサンのみ展示。
歌手のポーズが犬の恰好をしているのがタイトルの由来とか。
はたしてどんな歌だったのか、聴いてみたいもの。


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[フェルナンド・サーカスのララ嬢(1879)](出典:Wikipedia)

これまで上を見上げる昇天画は宗教画のみだったのを、
日常画に取り入れた新しい試み。


ドガは彼なりのやり方で絵画の革命を推し進めたかった。

その彼の革命の成果を発表する場として、印象派展を選んだのだろう。
当時はまだ、アカデミズムが幅を利かせ、サロンが絵画の権威だった。
印象派はそんなアカデミズムの殻を打ち破る革命の場であったのだ。

そんな彼が、「あるがままの姿」を描くために、
より「あるがままの姿」を映し出すカメラを使っていたのは、
何とも皮肉で、奇妙な話である。

「あるがままの姿」を映すなら、絵画はカメラに叶わない。
果たして絵画の真の役割はどこにあるのだろうか。

印象派以降、画家たちはカメラでは捉えきれない真実を求めて迷走する。


個人的には、デッサンの多さよりも、塗り重ねられた絵の具の厚さに
絵画に対する「執念」とでもいうものを僕は感じる。

だから僕はドガよりもゴッホが好きだ。


ゴッホ展、早く観にいきたい〜