今さらだけど、再読。
中村先生の授業で神秘主義を習い、
ウンベルト・エーコの「薔薇の名前」を読み、
先生のお薦めの一冊として、
ダン・ブラウンのフリーメイソンを扱った最新作「ロスト・シンボル」を
読もうとするもまだ新しいが故に古本市場にも安く出回らず。
代わりに「ダ・ヴィンチ・コード」単行本版が目に止まる。
かつてのベストセラーも今や一冊100円。
...時の流れとは恐ろしいもんだ。
さらにセールで一冊90円になってたので上中下巻まとめ買い。
前に一度読んでいることもあり、一気に読み終える。
(犯人が誰だったか、すっかり忘れてたけど)
しかし「薔薇の名前」に比べたらなんと読みやすいことか。
これでもか、と詰め込まれた叡智の数々も、
「薔薇の名前」と比べてしまうとなんとも薄っぺらく思えてしまう。
この世で一番大切なものはなんだろう。
真実?
...だとしたら真実ってなんだ?
["ローズライン"のあるサン=シュルピス教会]
[物語の最後の舞台、ロズリンのチャペル]
この物語の冒頭にはこうあります。
「この小説における芸術作品、建築物、文書、秘密儀式に関する記述は、
すべて事実に基づいている。」
しかし今、ネットでググってみると、
サン=シュルピス教会の子午線はかつて「ローズライン」と呼ばれたことはなく、
この本を読んであまりにも多く訪れる観光客に対して、
教会自らがそのことを伝えるビラを配っているとか。
しかし、僕が思うにそんなことはどうでもいい。
もちろんこの物語は犯人が誰か、なんてことを探るのを楽しむ
いわゆる単なる推理小説の類でもない。
キリスト教社会は父権社会であり、この世界を築くために、
かつて存在した母権社会を駆逐した歴史があるという。
かつての母権社会の復活を目指すシオン修道会と、
その復活を阻止するための教会(教皇庁)との戦い。
これに聖杯伝説を追究する探求者の知識欲の暴走が複雑に絡んでゆく。
正直聖杯伝説には興味ないし、
キリストの子孫が今も生きてるかなんてことにも僕は興味はない。
神聖であるはずの宗教世界がかくも醜く、
権欲にまみれていることに驚きを隠せない。
男性と女性のどちらかが優位に立たなければ理想社会を築けないのだろうか。
というより、現代社会は性差による優劣はなくなりつつあるんじゃないか。
強いものが生き残る。
それでいい気がする。
それが「弱肉強食」という神の摂理ではないだろうか。
要は強くなればいいのである。
人間は望めば強くなれる生きものなのだから。
キリストは「信じる」ことの強さを教えてくれた。
それで十分ではないか。
それ以上何を知れ、というのか。
過ぎたるは及ばざるがごとし。
学びて思わざれば、則ち暗し。
思いて学ばざれば、則ち危うし。
人は何のために学ぶのか。