[エリファス・レヴィ「夜宴(サバト)」](出典:Wikipedia)
怪物は実在するのか。
実在するとしても、
それは自然が生み出したものでもなければ、
神が生み出したものでもない。
ましてや、悪魔が生み出したものでもない。
それらは、人間が産みだ出したものである。
悪魔が実在するとしたら、やはりそれも人間が生み出したものである。
神が人間の対極にある完全な存在ならば、
その対極にある悪魔は、人間そのものに他ならない。
自然に、地獄も悪魔もない。
あるのは完全な秩序のみである。
怪物は、不完全な存在による不完全なイメージである。
そこから学ぶべきことは少なくない。
...それに染まりさえしなければ。
[エリファス・レヴィ「ソロモンの深遠なる象徴」]
人はなぜ、怪物を産み出すのだろうか?
怪物を産み出すのは、特別な能力を持った一部の人たちなのだろうか?
僕は違うと思う。
怪物を産み出すのは人間の「弱さ」だと思う。
弱さ故の暴走が奇々怪々なモンスターたちを産み出すのだ。
日々の生活は単調で味気ないものだ。
しかし、その日々の積み重ねが「良きもの」[美しきもの」たちを形作ってゆく。
賢き人たちはそのことを知っている。
だから賢人たちは、自分の身近なものの中に探すべきものを探す。
そのことに気づけない愚かな人間が、やたらと変化を求める。
変化の中にこそ魅力があると信じて変化を貪る。
変化を操っていたと思っていたものが、変化に操られるようになる。
そして人は暴走する。
その果てに生み出されるものが「モンスター」たちだ。
[ジャン・デルヴィル「魂の愛」]
一方で、本来は完全な存在で美しいはずなのに、
あまりにも不完全な自分に浸りきってしまっているが故に、
その完全さが奇怪に見えてしまうこともある。
モンスターに見えてしまう。
それもまた、人間の「弱さ」ゆえの幻想である。
問題は目に見えるもののどんな姿形が怪物なのか、ということではなく、
なにがあなたを怪物に観させるか、ということである。
同じ形をしていても、
怪物に見る人もいれば、美しき神のごとくに見る人もいる。
その違いこそが、重要なのである。
自ら怪物を産み出すことがないよう。
そして怪物を観てしまうことのないよう。
美しきものを造りつづけてゆこう。