「卒業制作」と一致するもの

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卒業制作の最終プレゼンも終わり、久々の展示見学。

久々のオペラシティ。


ドミニク・ペローについては、
名前をどこかで聞いたことがある、という程度で、
どんな建築を手がけたかはまったく知らなかった。

自分のなかの直感が、この展示を見たいと思った。
...単純に名前がカッコイイ、という類のものだろうけど。

このカンは、当たったような、外れたような。

好みで言うならば、正直それほど好きな部類じゃないかも。
しかし、それなりに学ぶところはあった。


「人間を凌駕する自然の中に人は存在すると認識することは、
 人間のありようを定義することではないでしょうか」


建築とは、自らを守るための壁を築くことである。

しかし、その壁が外界から隔絶されるものであってはならない。
これまでの建築はあまりに外界から隔絶されてきた。
これからの建築は、外界から自らを守ると同時に、
外界と交流するものでなければならない。


ソフトのようなハード【卒業制作最終審査会】

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卒業制作最終審査会が無事終了しました。


結果から言えば、
言いたいことは言い、先生からの講評も概ね良好だった。
たぶん及第点はもらえた...はず。


会場が演劇学科のスタジオ、と大きなスペースだったことに加え、
最終審査会の最終日、ということもあり、独特の雰囲気の中、
いつも以上に緊張した。
時間配分など考える余裕もなく、
5分という制限時間内で一気に想いを伝え終えた。
時間オーバーの鐘は聞こえなかったので、多分時間内に発表を終えられたはず。


検討が不十分だった点もたくさんある。
あれもしたい、これも取り入れたい、と思いながら、
結局どちらも実現できなかった、なんてこともしばしば。
生来の計画性のなさ、要領の悪さが災いして、
せっかく組み上げたものをまたばらして何度も組み立て直したりもした。
人に頼ることが苦手で、全部自分で背負い込むタイプだけに、
この1ヶ月は精神的にも、体力的にもかなりきつかった。
ほとんど周囲に気を回す余裕もなく、一心不乱に制作した。

反省点は多々あるものの、やれるだけのことはやった...つもりである。


4年間の想いが、この作品に込められている。
たとえ、すぐには社会に伝わらなくとも、
これからの自分の「核」となる部分になるはずである。


最終決戦前夜

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「こんなふううにさあ、やけくそに片づいている部屋って、あたし、苦手なんだ。芸術家としてはね・・・ああいう線にいらいらしちゃうの。壁だの床だの、部屋の角々のまっすぐな線よ、四角い箱になっちゃうでしょーお棺みたい。箱を消しちゃうただひとつの方法は、一杯ひっかけること。そうするとあの線がみんなゆらゆら揺れだすから、この世が愉しくなっちゃうんだ。ものがみんなまっすぐで、こんなふうにキチーンとしてると気味が悪くなっちゃう。ゾォーッ。あたしがここに住んだら、しょっちゅう酔ってなきゃだめ」(ダニエル・キイス『アルジャーノンに花束を』)

酒が飲めない僕は...


ふと気づけば、卒業制作最終プレゼン前夜。


卒制の最終追い込みと祖父の葬儀が重なりながらも、
なんとか作品の最終提出を完了。
その後はその疲れと引きはじめの風邪にやられて丸三日家で寝てました。

今週頭から各コースで最終発表がはじまっていて、
月曜日がビジュアル、火曜がデジタル、と続き、今日水曜日はプロダクト。
体調もだいぶ回復してきたし、身体を臨戦態勢にしておきたい、
という意味もあって、プロダクトの発表を見にいくことに。


思えば、明日がこの学校で行う最後のプレゼンだな。

怖いのは酷評されることじゃない。
やれるだけやったことを出し切れずに終わってしまうこと。


二十年前の高専、六年前のデジハリでの中途半端な卒制にケリをつけなければ。
三度目の正直で。


卒業制作最終提出!

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12月1日深夜零時過ぎ、祖父が他界しました。


...実に卒業制作の作品最終提出〆切日の3日前。


先月末で、なんとか基本ユニット12個の組み上げが完了し、
会場での設営に四苦八苦している最中のことだった。

精神的にも経済的にもかなり逼迫して余裕のない時期だったので、
正直葬儀に参列するために帰省しようかどうか迷った。
しかし、ここで祖父に最後の挨拶をしておかなければ、
一生後悔すると思い、帰省することにした。


幸い、展示方法のめどもつき、ゴールも見えてきたので、
一泊二日でとんぼ返りすれば間に合うだろうと踏んだ。

実際、葬儀に参列して本当に良かった。
ゆっくりする間もないまま、東京に戻ってきて、
予定通り作品とパネル、プレゼン用データを提出。


あとは来週の発表を残すのみだけど、
一番長くて最大であった卒業制作という課題について、
一区切りがついた。


Resist, and Big Jump !

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「主は人とはちがうようにごらんになる。人は外見をみるが、主は心をみられるのだ」(小説「聖書」第四部 王たち 一五章 サウル)


東急ハンズで木のだんごを見つけたとき、
僕の「かたち」は「動き」を得た。
最初は自分の「かたち」を動かそうとは全く考えてなかった。
模型レベルでは、すべての関節は固定され、動かなかった。


およそ150本の丸棒に、およそ50枚のフレーム板、およそ300個の木のだんご。
これらを二週間、ひたすらやすり、ニスを塗り、またやすり、ウェスで磨いた。
手にマメができ、手の筋肉はつりそうだった。

最後のほうはもうろうとなりながら、
そばでセオリー通りに図面を描き、模型を作っている同級生を眺め、
自分は何をやっているのだろう、って思った。

ひたすら材料を磨いている僕をみて、
「工場みたい」という同級生の言葉を聞いて、
もう一度、自分は何をやっているのだろう、って思った。


年を重ねるごとに、人は常識という鎖に縛り付けられる。
僕はその鎖から逃れたくて、この大学に来た気がする。
だから「セオリー通り」というものに対して異常に反発した。
この卒業制作はその反発の最大級のものではないだろうか。

いい歳こいて反抗期かよ、と言われそうだが、
反発こそが結果的には大きな学びを得る。
素直に受け入れることはそれはそれで大事だけど、
それではどんなに頑張っても効果は100%までである。

疑問を抱き、反発することは素直に受け入れることよりも
手間も時間もかかるが、場合によってはその効果は倍になることだってある。

文字通り、反発は大きな跳躍を生むのである。


デジタル人間、アナログ人間。

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「...富む者と貧しい者にちがいはなく、ただある者は夢をみておのれをいつわり、またある者はそれをしないだけのことです。そして知恵とはすなわち、人は貧しいと知ることなのです」(小説「聖書」第4部 王たち 17章 ソロモン)


卒業制作の最後の追い込み。
...とはいっても今のところ、連日パーツ加工。

材料の木材をやすってはニスを塗り、
やすっては磨く日々。
手をナイフで切るわ、手にマメはできるわ、手がつりそうになるわ、
服は粉まみれになるわ...

翌日はひどい筋肉痛でぐったり。
作業時間としては徹夜するほどではないけれど、
思った以上の重労働。

自分で選んだ道ながら、ぐったり。

...しかし。

これがもの作りだ。
これこそが、もの作りだ。


デジタルな人間とアナログな人間がいる。

別にパソコンが使えればデジタル人間で、
使えなければアナログ人間、ということではない。

パソコンが使えるアナログ人間はいるし、
パソコンが使えないデジタル人間もいる。


僕が言いたいのは、時間感覚の個性である。

時間の「積層」に価値を求める人と、時間の「認識」に価値を求める人。
前者がデジタル人間で、後者がアナログ人間。
別にどちらが優れているか、などといった優劣を語る気はさらさらない。
ただ、好き嫌いはある。


僕は自分の中のアナログ人間が嫌いじゃない。
嫌いじゃない、なんてもんじゃない。
大好きだ。


アントニオ・ガウディ【鳥居徳敏】

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最もお気に入りの建築家のSD選書をまだ読んでなかった。
卒業制作のラストスパート前に読む本として、
これほどふさわしい本もない。


アントニオ・ガウディ。

最も独創的でありながら、最も多くの人に受け入れられている建築家。
好き嫌いはあるだろうけど、
建築に詳しくない人でも彼の名前を知らない人間はいないだろう。

逆に現代建築の普及に最も貢献したと言われる20世紀の三大建築家、
コルビュジエ、ライト、ミースの名前は、
建築にそれほど興味がない人にはなじみがないかもしれない。
この差は一体なんなのだろう。


コルビュジエ、ライト、ミースは世界各地にたくさんの名建築を残した。
一方ガウディと言えば、スペイン、それもそのほとんどが
バルセロナを中心としたわずか25点ほどの建築群。
そしてその中のただ一つの作品が彼を世界で一番有名な建築家たらしめている。


神の建築家。
神に愛された建築家。


それがガウディをガウディたらしめている。


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[灰色の帽子の自画像(1887年)](出典:Wikipedia)


国立新美術館で開催中のゴッホ展に行ってきました。


卒業制作の最後の追い込み前の景気づけに。
ちょうど西洋美術史の授業でも取り上げられたこともあり。

中村先生の授業の中でも、取り上げられることの多かった画家の一人。

画家として活動したのはたった10年。
27歳という遅いスタートながら独学で、彼独自の画風を確立するも、
生きている間に売れた絵はたったの1枚。
2ヶ月間の共同生活の末の悲劇とともにゴーギャンと並んで
情熱の画家、炎の画家と並び称された天才画家。

...ゴッホの一般的なイメージはこんな感じだろうけど。


彼は決して天才肌ではなかった。
初期の地道な努力の積み重ねが晩年に一気に花開いた。
限りない孤独が彼の感性を極限まで高めてゆき、晩年に一気に爆発した。
そしてそのまま彼は散っていった。


今回の展示は晩年の傑作は少なく、正直もの足らない部分もあった。
正直ゴッホの初期の作品は凡庸でぱっとしないものが多い。
だけど、晩年の見事な作品群に結実するものがここにはある。

晩年が黄色を基調とした鮮やかな色彩なのに比べて初期の作品は驚くほど暗い。
ミレーの影響にはじまり、新進気鋭の印象派、新印象派のテクニックを取り入れ、
浮世絵におけるジャポニズムで色彩に目覚めた。

古今東西の別なく貪欲にチャレンジし、自分のものにしようとした。
ドガがデッサンなら、ゴッホは色彩。
印象派の控えめなタッチから自ら主張するタッチへ。
絵画を目に見える世界から目に見えない世界へと導いた。


それでも彼が生きた時代は彼を認めなかった。
時代が彼に追いつかなかった。
天才の悲しい宿命を背負ったまま、彼は孤独のうちに死んだ。


仲間を持つことは大切だ。
しかし自分の世界を持つことはもっと大切だ。
自分の世界を知らずして生きることほど、人として不幸なことはない。

...ゴッホはそれを教えてくれる。


多摩川駅周辺散策【公園編】

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高崎への久々の遠出以来、体調があまり芳しくない。
前々から風邪の兆候が出始めてて、遠出で一気に症状が悪化したようだ。
風邪薬でなんとかごまかして2日間バイト。
体調も良くなってきた。

これから卒業制作の追い込みでまたばたばたしそうなので、
今日は大事をとって1日寝てようかな、と思いきや。

今日は文化の日。
そして空は快晴。

どっか行きたくてうずうず。
しかし都内まで出るには既に時遅し。


やむなくカメラ片手に、歩いて一分のバス停からバスに飛び乗る。
終着の多摩川園駅へ。

とくに考えずにここまで来たけれど。
さて、これからどこ行こう。


「学び」の対価

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後期の学費をようやく払い終えた。
本来の〆切からおよそ1ヶ月ほど遅れて。

...本当に「ようやく」だ。


これで4年間全ての学費を全て払い終えた。
あとは卒業制作を終えれば、卒業はできる...はず。

結局学費に当て込む予定だった前の会社の退職金は、あっという間に底をついた。
浪費癖はない(と思っている)が、生来の計画性のなさで、
本当にあっというまに底をついた。

1年生の時は社会人特典の学費割引、
2年生、3年生のときは多摩美の奨学金を受けた。
それでも足らずに、育英会の助けを借りた。
それさえも足らずに友の助けを受け、
自らも制作時間を削ってまで働かなければならない。


それでも後悔はしていない。
僕は「時間」を買ったのだ。
その「時間」で多くのことを学び、多くの「気づき」を得、自分の進むべき道を見出した。

それでもその一方で思うのである。

はたいた大金に値するものを、
この大学は与えてくれたのだろうか、と。