2011年にはじめて愛媛に来たときに松山城に登った。
そのときは時間の都合上、三の丸や二の丸をすっ飛ばして、本丸まで登ったものの、
天守閣の中には入らず引き返した。
それから6年。
ようやく松山城への核心へと迫る。
松山城はお堀に囲まれた平地部の三の丸、
勝山山麓にあって政務や藩主家族の居住場所であった二の丸、
標高132メートルの勝山山頂部に建てられた本丸が、
南西から北東へと斜めに連なる平山城です。
築城は1602年に加藤嘉明により取りかかるが、
完成前に会津藩へ転封となり、二代目城主となった蒲生忠知により
二の丸・三の丸を含む平山城・松山城を完成させたものの、
子供がいなかったため蒲生家は断絶、松平定行が三代目藩主となり、
以後明治維新までの235年間松平家が城主を務めた。
二の丸の建物は明治維新後は一時期県庁として使われていたものの、
明治5年(1872年)に火災により焼失、270年の歴史に幕を閉じた。
その後は跡地に病院や学校が建てられていた時期もありましたが、
1992年、現在の二之丸史跡庭園が整備・開園し現在に至ります。
広島県福山市の「神勝寺 禅と庭のミュージアム」に行った折、
せっかくなので福山で一泊しようと福山駅前に宿を取ることに。
福山駅の北側には福山城があり、東京で会社員をしていた頃、
実家に帰省する度に新幹線の車窓からこの福山城を眺めていたものですが、
上京してからじつに25年以上の月日を経て、ようやく訪れることができました。
福山駅は新幹線はもちろん、在来線も高架の完全な高架駅なのですが、
駅周辺の南北を結ぶ道路は狭く、南側の雑多な繁華街に対し、
北側は天守閣を博物館にした福山城博物館をはじめ、
ふくやま美術館や広島県歴史博物館などが集まる静かな文化エリアとなっています。
線路を挟んでまったく異なる顔を持っているのが特徴的です。
今回は北側の見事な美術空間をレポートしていきます。
淡路島の洲本城を訪れました。
築城は室町時代ですが、明治になって廃城、現在の天守閣は昭和になって建てられた
「模擬天守」だそうですが、模擬天守としては日本最古のものだそうです。
お城にしてはめずらしくピロティがあり、他の城郭とは一風変わった雰囲気を出しています。
立派な石垣も特徴的。
キレイに手入れされている金沢城などとは違って、適度に放置されていることで、
廃墟感、自然との融合感が良い感じが出ていると思います。
入場無料、ということもあって、けっこう人も訪れてました。
[大鳴門橋記念館『おったまねぎ』]
淡路島に行ってきました。
今回は泊まりなしの弾丸日帰りツアー。
行程は以下の通り。
夜11時過ぎに松山を出発、例によって下道をのんびりドライブ、
四国中央市から徳島に入って三好市→東みよし町→つるぎ町→美馬市→阿波市→板野町を経由して鳴門へ。
鳴門市内の道の駅第九の里物産館に朝4時頃到着、二時間ほど仮眠をとって出発、
大鳴門橋を渡り、淡路島に入ってすぐの淡路島南ICで高速を降りる。
以下の順で10スポットを訪れました。
7:30 大鳴門橋記念館 → 8:00 若人の広場公園 → 9:30 甍公園
→ 10:00 おのころ島神社 → 10:30 洲本城 → 12:00 本福寺
→ 13:00 淡路夢舞台 → 14:00 世界平和観音寺 → 14:30 八浄寺
→ 15:00 しづかホール
出発の直前に台風が連続して訪れていて天気が心配だったのですが、無事通り過ぎて、
雲の多い一日ではあったものの、時折太陽が顔を見せ、ベストショットを撮りやすい1日でした。
伊予の小京都、大洲のお城に行ってきました。
肱川河畔の小高い丘・地蔵ヶ岳に建つ美しい天守閣は、
鎌倉末期に伊予宇都宮氏により創建、藤堂高虎による大規模な修築を経て、
明治時代に老朽化により解体されたものの、地元住民による熱心な保存活動により
平成16年に復元されたものです。
現物を見た時は、小ぶりながらキレイなお城だな、と思ったのですが、
四層四階の天守閣は戦後復元された木造天守としては日本一の高さなのだそうです。
故郷・広島。
実家は広島市の隣の安芸郡海田町。
家族が市内で喫茶店をしていたこともあり、
子供の頃は市内によく出かけていた。
二十歳で上京した後はなかなか故郷に戻ることもないのだけど、
ここには自分の原風景がある。
世界で初めて原子爆弾による爆撃を受けた街として、
平和の街、というプライドがある。
それでも久々に故郷に戻ってみると、
故郷について十分知っているようで知らない部分がまだまだたくさんある、
ということに気付かされる。
ちょっと距離をおいて眺めることで見えてくるものもある。
東北大震災の直後から東京を出て、およそ5日ほど中四国地方にいました。
それは決して避難的措置からではなく、
単に就活の面接とそれに伴う帰省、というまったくの偶然のタイミング。
東北を襲った未曾有の震災に対して、
自分はことさら過剰に反応しないようにしています。
普段どおり生活することを心がけています。
もちろん計画停電や気持ち程度の義援金、節約には協力しますが、
部外者である自分が今すべきこと・できることは、
「自分の人生をしっかり生きる」ことだと思うからです。
何もできないなら、せめて邪魔にならないようにしよう。
画面から入ってくる情報だけで、余計な不安を煽り立ててはいけない。
何もできないなら、せめて復興活動が成功するように祈ろう。
周囲が元気なら、不遇に見舞われた人々もやがて元気になれるはずだから。
松山といえば、お城と温泉。
お城は思った以上に高いところにあって、立派なお城だった。
温泉は思った以上に街中にあって、松山の憩いの場となっていた。
街は大きすぎず、ほどよいスケールでゆったりとしている。
まさに漱石と子規の愛した文化の街だね。
仕事の面接で愛媛へ行ってきました。
東京からだと遠いので、前日入りだったのですが、
面接地の西予市は宿の相場がやや高めだったので、
松山に宿をとることにしました。
せっかくなので、早めに到着して松山の街を散策。
夏目漱石「坊っちゃん」の舞台であり、
正岡子規の故郷でもある文学のまち。
高崎に来たもう一つの目的。
それはアントニン・レーモンドが設計した群馬音楽センターの見学。
「アントニン・レーモンドの建築」を読んで是が非でも見たくなった。
東京では聖アンセルモ教会と聖オルバン教会の、
2つのレーモンド建築を訪れていたけど教会以外の建築を訪れるのははじめて。
事前に見学可能か問い合わせてみると、
午前中は全館停電で、15時〜17時で見学可能、とのことなので、
午前中は群馬の森の群馬県美で白井晟一展を観て、
気分的に盛り上がったところでいざ見学。
...とそのまえに建物に入る前に建物全体を俯瞰するために
音楽センターの前にある高崎市役所へ。
ここの21階に展望階になっていて、絶好の俯瞰ポイントなのだ。
群馬音楽センターはレーモンド建築にしてはとても奇抜な外観をしている。
たとえて言うなら、尾のないサソリもしくはザリガニのような形。
金沢城跡は僕が知っている限り、一番キレイで居心地の良い城跡です。
...といっても僕が知っている城跡なんてそれほどないのだけれど。
天守閣は焼失してすでにないのだけど石垣がけっこう有名。
そして五十間長屋は実に美しい。
兼六園と並んで広く、開放的で緑が多い。
実に気分の良い場所です。
そんな金沢城跡の画像ライブラリ。