「僕たちにとって、自分は一番驚くべき存在なのさ」と彼は言った。「砂粒ほどの信仰があれば、僕たちは山を動かすこともできるのだ...(中略)...この力を認め、信じなさい。そうすれば、その力は自ずと現れる」「そんな風にうまくはいかないわ」「僕の言ってることがわかってないんだね」「わかっているわ。でも私は他の人と同じなの。怖いの。あなたや私のとなりの人にはうまゆくかもしれないけど、私には絶対うまくゆかないわ」「いつか変わるさ。本当はあそこにいる幼子と僕たちはまったく同じなのだとわかり始めた時にね」(パウロ・コエーリョ『ピエドラ川のほとりで私は泣いた』)
ただいま引越し作業最後の追い込み中。
明日にはネット接続も解除して梱包しちゃいます。
つまり、これが東京での最後の記事。
あと数日で、19年暮らしたこの町ともおさらば。
この週末で友人知人が送別会、壮行会を催してくれ、
自分がいよいよ新しい一歩を踏み出そうとしていることを強く自覚させてくれた。
正直ちょっと興奮している。
希望と不安が入り混じって。
この町で僕の前に現れては消えていった、あまりにも多くのことを思って。
生まれてから最初の二十年、僕は自分を守るために自分の殻の中に閉じこもった。
たぶんものごころがつく前のことだったのだろう。
何から自分を守るためにそうしたのか、記憶にない。
僕の青春は無為だった。
二十歳で学校を卒業して、就職で上京した。
とにかく早く里親の元から離れて自立したかった。
しかし僕が本当に自立しようとしたのは、それからおよそ14年後のことだった。
幼い頃の劇的な外部の変化が、僕に外部へ対する強い警戒心を持たせた。
内部を外部からシャットアウトすることで自分を護った。
ケモノとして生きていくのなら、それは理想的な生き方かもしれない。
しかし人間はそんな生き方では決して幸せになることはできない。
幸せは待ってれば向こうからやってくるものじゃない。
自分で考え、探し、獲得するものだ。
その行為そのものが「幸せ」なのだから。
「大切なもの」は目に見えない。
大切なものと大切なものを繋ぐために、
大切なものを共有するために、
人間は目に見える、触れることのできる「モノ」を創る。
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「アルケミスト」「ベロニカは死ぬことにした」「星の巡礼」「11分間」に続く、
パウロ・コエーリョ5冊目。
「アルケミスト」では「前兆」を。
「ベロニカ」では「狂気」を。
「星の巡礼」では「旅」を。
「11分間」では「性」を。
...そして本作では「悪」という本質について語る。
自分が売り歩いた兵器で愛する妻と娘を惨殺された異邦人は、
人間の本質は悪である、ということを確かめるために、
悪魔を伴い、とある田舎町を訪れ、
最初に出会ったシャンタール・プリン嬢に恐るべき計画を持ちかける。
はたして小さな田舎町、ヴィスコスの運命やいかに?
はたして人間の根源は悪なのか?善なのか?
人間は生まれながらにして善であり、悪である。
性善説と性悪説は表裏一体である。
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春休みに入って早一週間。
毎回休みにはいると最初の一週間は放心したようになるのだけど、
今回はとくにその放心具合がひどかった。
忙しい割にはやりたくもない作業の積み重ねで、
良い終わり方ができなかったこともある。
いわば逃げ切った感で一杯で後味の悪さだけが残ってしまう、みたいな。
この本も春休み前の忙しくなる前になんとか読み終わっていたのだけど、
ようやくレビューする気になりました。
パウロ・コエーリョの処女作。
キリスト教三大聖地の一つ、サンティアゴ・コンポステーラへの道である「星の道」
への巡礼を通して人間が本当に辿るべき「道」と持つべき武器「剣」を発見する。
自分の道を知り、その道を歩んでいくための「剣」を持つことで、
人は本当に「良い人生」を送れる。
君がこれまで学んできたことは、それを現実の世界に応用できた時、初めて意味を持つ。サンチャゴへの道を普通の人々の道だと僕が君に説明したことを忘れてはいけない。もう千回は言ったはずだ。サンチャゴへの道においても、人生そのものにおいても、何か障害を克服する時に、われわれを助けてくれるものである場合のみ、知恵は価値を持っている。もしくぎがなかったら、かなづちはまったく意味を持たない。そしてくぎがあったとしても、『二回たたけば、あのくぎを打ち込むことができる』と思うだけでは、やはり、かなづちは役に立たない。かなづちは行動しなければならない。大工の手に自らを握らせ、それに適った使い方をさせる必要があるのだ。(パウロ・コエーリョ『星の巡礼 第十一章 征服』より)
学校で学ぶことで社会に出て役立つことなど、ほとんどない。
...かつてそう思っていた。
実際二十歳で高専を卒業して就職して社会に出たとき、
学校で学んだことはほとんど役立たず、会社で一から覚えていった。
...しかし、それは学校の特性によるものだったのだろうか。
社会に出て十四年間働き、そして再び学校という場所に戻った今、
学校という場所の特性が当初とは違ったものに見えてきた。
久々に自由が丘のブックオフに行って、5冊の文庫本を買いました。
今の僕にしてはけっこうな大人買い。
懐の苦しい今、本はできるだけ図書館で借りて読むようにしてます。
そしてどうしても欲しい、人生の一冊としたいものだけ買うことにしてます。
だからそのような本が一度に五冊も見つかるなんて。
なんたる幸運。
どんなにデジタル技術が進んでも、本はなくならない。
また、本の価値が下がることもない。
本の魅力ってなんだろう?
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「アルケミスト」でパウロ・コエーリョに出会いました。
んで、ブックオフで見つけたのがこの本。
同じ日々の繰り返しに絶望したベロニカはある日自殺を試みる。
かろうじて一命をとりとめたものの心臓に疾患を残し、
なぜか精神病院でその日々を過ごすことになるのだが...
精神の狂気とはなにか。
「普通」とは何か。
「普通」は不幸なのか。
昔は古本なんて見向きもしなかった。
誰かが手に触れた本などに価値はなく、新しいものにこそ価値があると思ってた。
...今思うとなんとも愚かしい幻想を抱いていたな。
時を経るごとに価値を失わない、いやそれどころか価値が増していくものこそ
後世に残っていくべきものなのだ。
自由が丘の古本屋で掘り出しものを見つけました。
a+uのガウディ特集本。
昭和52年発行ですでに絶版。
定価3,800円が1,500円。
すでにラッピングされていて中を確認できず、
さんざん悩んだのだけど、結局購入。
白黒写真が多いのが少し残念だけど、
カサ・ミラやカサ・バトリョ、サグラダファミリアなどの名建築の平面図まで載っていて
やっぱり買って大正解。
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中村先生お薦めの本。
6月頃図書館で予約して、9月も終わりになってようやく借りることができました。
およそ3ヶ月待ちとなるほど人気の本のようです。
「アルケミスト」とは錬金術師のこと。
先生の授業では「アンドロギュヌス(両性具有)」とか、「錬金術」といった単語が
よく登場するのだけど、錬金術を知るための本として紹介されました。
「失われた薔薇」も良かったけど、こちらもなかなか。
何かを本当にやりたいと思う時は、その望みは宇宙の魂から生まれたからなのだ。
これはセレンディピティであり、前兆である。
僕が夢を実現するための。
そして錬金術とは、夢を実現するために必要な、世界の真実を見出す術である。