夏休み三日目は福井県。
勝山市にある福井県立恐竜博物館を後にして坂井市丸岡町の丸岡城へ。
北陸地方唯一の現存天守である丸岡城は、
安土桃山時代の1576年に柴田勝家の甥・柴田勝豊によって建てられました。
現存十二天守の中では最も古いとされる一方で、
犬山城も創建1537年でこちらが最も古い、と主張していますが、
犬山城よりも39年も後の丸山城が最古を主張するのはどういうこと?
昭和9年に国宝指定されるも、昭和23年の福井地震で倒壊。
昭和25年施行の文化財保護法(新法)では重要文化財指定に留まった。
昭和30年に倒壊材を組み直し復元され、現在にその姿を留める。
夏休み三日目は福井県へ。
福井城跡そばのホテル、その名も「フクイキャッスル」を朝出発し、
勝山市にある福井県立恐竜博物館へ。
福井といえば恐竜。
特に熱心な恐竜ファンというわけではなく、
黒川紀章が設計したその空間を見たくて訪れたわけですが...
時期が悪かった。
8月13日、そう、お盆初日。
田舎だからそんな人来ないだろ...というのは甘かった。
こんな田舎にこんな巨大なジュラシックパークがあるなんて。
そこは黒川紀章建築の中でもピカイチの空間でした。
鮒ずしや 彦根の城に 雲かかる 与謝蕪村
夏休み二日目、佐川美術館を後にして現存十二天守の一つ、彦根城へ。
関ヶ原の戦いにおいて徳川四天王の一人として活躍した井伊直政が
その軍功により家康より近江国北東部を賜り、
その居城として彦根城が建てられました。
直政は戦傷が癒えず、築城が実現を待たずに死去してしまいますが、
その子直継の代になった1604年に築城を開始、20年の歳月を経て完成しました。
幕末に大老となった井伊直弼も藩主となるまではこの城で過ごしました。
明治の廃城令とともに解体の危機に遭いますが、
明治天皇が巡幸でこの城を通られた際に保存を命じられたことで破却を免れ、
現在まで往時の姿をよく留めています。
現存十二天守のひとつであり、天守・附櫓・多門櫓が国宝に指定されています。
夏休み二日目は滋賀県へ。
守山駅前のホテルを出発、まずは甲賀市にあるミホ・ミュージアムへ。
滋賀県といえば日本一の湖・琵琶湖ですが、
この美術館は琵琶湖からは少し離れた静かな山中にあります。
世界救世教から分立した神慈秀明会の会主・小山美秀子のコレクションを展示するために
1997年にI.M.ペイの設計で建てられました。
美術館の名前は会主の名前「みほこ」に由来しています。
桃源郷をイメージして作られたその美術館は、建物のおよそ8割が地下に埋設されています。
東洋哲学と西洋科学とが融合した桃源郷とはいかなる空間なのであろうか。
神戸で兵庫県立美術館、メリケンパークを訪れた後、一路大阪へ。
お目当ては国立国際美術館で開催中のプーシキン美術館展。
プーシキン美術館はロシアの首都モスクワにあるヨーロッパ最大の美術館であり、
収蔵品数は約10万点でエルミタージュ美術館に次いで世界二位。
本展はその膨大なコレクションの中から、フランス風景画に焦点をあてたものになります。
金曜・土曜の午後5時〜9時のナイトタイムで会場内での写真撮影が可能、
ということで夕方5時に現地に到着して夜の美術館を堪能してきました。
待ちに待った夏休み。
まず最初に向かったのは神戸市内にある兵庫県立美術館。
大震災からの復興プロジェクトとして計画され、安藤忠雄氏の設計で2002年に開館。
海沿いに建つ美術館の周囲には市立のなぎさ公園が整備され、
ひとつの巨大なランドスケープを形成しています。
愛媛からは松山自動車道、徳島自動車道を経て淡路島を横断して本土に入り、
垂水インターチェンジで阪神高速3号神戸線に入り、摩耶インターまで。
高速降りて5分ほどで美術館に到着。
盆休みということで渋滞を心配してましたが、
阪神高速に入るまではほぼ渋滞なし。
阪神高速は断続的にノロノロ運転でしたが、想像してたよりは流れていてよかった。
それにしてもまあデカイ。
デカすぎて全体を把握するのが難しい。
真夏の昼間ということもあって周囲を一周する気にもなれず、
さらには一部工事をしている箇所もあって、なおさら全体像の把握を難しくしてました。
基本的には細長い長方形ブロックが3つ平行に並んだ構造で、
そんなに複雑な構造ではないはずなのに、いざその内部へ足を踏み入れると、
複雑に入り組んだ空間に戸惑いを感じてしまった。
まあ、面白いといえば面白く、安藤さんも意図的にそういう空間づくりをしたのかな、と。
訪問日:2018年5月26日(土)
丸亀で美術館といえば、丸亀駅前にある猪熊弦一郎現代美術館が有名ですが、
ネットで調べていると、ほかにもう2つほど美術館があるみたいです。
前回は丸亀平井美術館を紹介しましたが、
今回はもう一つの丸亀美術館を紹介します。
さぬき浜街道を丸亀平井美術館から西へ車で7分ほど。
丸亀美術館は江戸時代に造られた大名庭園・中津万象園に併設された美術館で、
ミレーやコロー、クールベなどの巨匠の作品を見ることができます。
中津万象園は1688年、二代目丸亀藩主・京極高豊によって中津の浜に造られました。
築庭はその後100余年もの長い年月をかけて五代高中のときに完成。
庭の中心には京極家の先祖の地である近江の琵琶湖を形どった八景池が置かれ、
近江八景になぞらえて、帆、雁、雪、雨、鐘、晴嵐、月、夕映と銘した八つの島が配され、
それぞれの島を橋で結んだ池泉回遊式の大名庭園となっています。
訪問日:2018年5月26日(土)
丸亀で美術館といえば、丸亀駅前にある猪熊弦一郎現代美術館が有名ですが、
ネットで調べていると、ほかにもう2つほど美術館があるみたいです。
その一つが丸亀平井美術館。
高松での香川県立ミュージアムのイサム・ノグチ展を後にして、
瀬戸大橋通り→さぬき浜街道と海沿いの道を40分ほど車を走らせていると、
ほどなく奇抜な外観の建物が左手に見えてきます。
訪問日:2018年4月17日(火)
おおよそ2ヶ月前の話。
出張で久々に上京しました。
最終日は移動のみで飛行機の時間が夕方だったので、
その待ち時間を利用して、久々のアート巡り。
...といっても2スポットのみだけど。
まずは東京ステーションギャラリーで開催中だった建築家・隈研吾の展示。
9年前に開催されたTOTOギャラリー「間」での展示以来二度目。
9年前でもすでにかなり有名だったとは思うのだけれど、
個展の範疇を超えない小規模だったのに対し、
今回は一流のアーティストとして見応えあるボリュームで楽しむことができました。
久々のブログの更新です。
じつは昨年11月に転職しまして、冬が忙しい職種ということもあって、
昨年10月末に出かけた旅行記もまだ残っていたのですが、
休みなしでどこへも行けないどころか、ブログを更新する間もありませんでした。
まだまだ繁忙期は続きますが、だいぶ時間の余裕が出てきたので、
少しずつ再開していきたいと思います。
昨年10月末の旅行記、岡山県の閑谷学校に続いては、
岡山駅近く、旭川をはさんで岡山城の北に広がる岡山後楽園に行ってきました。
江戸時代を代表する大名庭園の一つであり、
水戸偕楽園、金沢兼六園と並ぶ日本三名園の一つでもあります。
本園は1687年、岡山藩主・池田綱政公が家臣・津田永忠に命じて1687年に着工、
14年の歳月を経て1700年に完成しました。
その後も藩主の好みで手を加えられたものの、江戸時代の姿を大きく変えることなく
現在まで伝えられており、昭和27年に国の特別名勝に指定されました。
ちなみに池田綱政は名君として名高い池田光政の嫡男であり、
津田永忠はその光政によって見出された家臣であり、
光政の命により備前市の旧閑谷学校の建設にも携わっています。
作庭当初は城の後方にあることから「後園」と呼ばれていましたが、
明治になって、「先憂後楽」の精神に基づいて造られたと考えられることから
「後楽園」と改められました。
人より先に憂える場所が岡山城で、人より後れて楽しむ場所が後楽園といったところでしょうか。
時の名君が、天下の楽しみに遅れて楽しむために作った庭園とはいかなるものだったのか。
この目でしかと見届けたいと思います。