...而してこの聖堂によりて恒に伝へられるべきものは、虚偽に非ずして真実、権力に非ずして正義、憎悪に非ずして慈愛、即ち人類に平和をもたらす神への道たるべし。故にこの聖堂に来り拝するすべての人々は、逝ける犠牲者の永遠の安息と人類相互の恒久の平安とのために祈られんことを。(聖堂記 昭和29年8月6日)
外観編
村野藤吾設計、世界平和記念聖堂。
この教会が故郷広島にあることを心から誇りに思う。
ここを案内してくれたガイドの方が言うには、
広島市内は業者による癒着が少なく、建築家が自由に建てやすい土壌だと。
そのため、魅力的な建築が多い、と。
丹下健三の平和記念公園をはじめ、
村野藤吾の世界平和記念聖堂、黒川記章の広島市現代美術館、
原広司の基町高校、谷口吉生の環境局中工場、山本理顕の西消防署など...
著名な建築家の建物が多くあるようです。
さて、話を世界平和記念聖堂に戻して。
外観編に続いて内観編。
...而してこの聖堂によりて恒に伝へられるべきものは、虚偽に非ずして真実、権力に非ずして正義、憎悪に非ずして慈愛、即ち人類に平和をもたらす神への道たるべし。故にこの聖堂に来り拝するすべての人々は、逝ける犠牲者の永遠の安息と人類相互の恒久の平安とのために祈られんことを。(聖堂記 昭和29年8月6日)
内観編
広島は世界ではじめて核兵器で爆撃された街である。
広島は戦争の悲惨さを知り、平和の尊さを知る街である。
広島を故郷とする人間はそのことを誇りに思っている。
僕もそんな広島県人の一人である。
広島には世界平和を願うための施設が二つある。
丹下健三が設計した平和記念公園ともう一つが今回紹介する、世界平和記念聖堂。
設計は村野藤吾氏。
完成は平和記念公園とほぼ同時期の1954年。
平和記念公園と同じく、原爆という悲惨な経験を繰り返さぬよう、
世界平和を願って建てられた教会。
...恥ずかしながら、二十歳まで地元にいたときはこの教会の存在を知らなかった。
当時は仏教以外の宗教に触れる機会がまったくなかった。
当時実家が喫茶店を市内で営んでいて、
小中学生の頃はよく通ってたけれど、実はこの教会の近くだった。
灯台下暗し。
建築に興味を持つようになったここ数年でここの存在を知ったわけですが、
村野藤吾氏の建築が大好きで、ずっと訪れたい、と思ってました。
念願かなってようやく。
...思った以上に良かった。
丹下さんの東京カテドラルに勝るとも劣らない魅力を感じた。
信じることは力を生む。
信じる力が集まって宗教が生まれる。
それは絶大な力となる一方で、信じないものたちを排斥しようという力も生まれる。
宗教は諸刃の剣である。
この教会はそんな宗教の垣根さえも越えようとするものだ。
平和はすべての垣根を越える。
そういうものではないだろうか。
国立近代美術館からの帰り途、大手町から日比谷まで、皇居東側を散策。
新しくできた三菱一号館美術館の建物を見に行くつもりだったのだけど、
前川圀男の東京海上日動ビル本館、
村野藤吾の日生劇場、フランク・ロイド・ライトの帝国ホテル...
と思わぬ名建築のオンパレード。
日比谷の一等地に建つ帝国ホテル。
自分がこのホテルに興味を持つのは、ホテル御三家としての格ではなく、
かつて建築設計をフランク・ロイド・ライトが手がけたことだけど、
その建物は今はない。
以下Wikipedia情報を要約。
ライトが手がけた帝国ホテル・ライト館は1919年に着工したものの、
ライトの細部へのこだわりで大幅な予算オーバーとなり、
完成を前にして離日するはめになってしまう。
弟子の遠藤新が指揮を引き継ぎ、1923年に完成。
その完成した年に関東大震災に見舞われるが、ほとんど無傷だったという。
その後の東京大空襲で大きな被害を受けるも修復され、持ちこたえたが、
老朽化と増加するホテルニーズに対応するために1967年に解体されて、
現在の建物(新本館)が高橋貞太郎設計により1970年に建てられた。
ライトの代表作品ということもあって日米双方より保存を求める声が上がり、
1985年に玄関部分のみではあるが、愛知県の明治村に移築、再建された。
2004年には「明治村帝国ホテル中央玄関」として、登録有形文化財に登録された。
...というわけで日比谷の現在の帝国ホテルに訪れても、
ライト建築にはお目にかかれないわけですが、そこは偉大な建築家、
ライトの面影を少なからず見かけることができました。
ホテルも高橋氏もライトをオマージュしてたんですね。
待ちに待った週末。
天候も良く、今日こそ桜の見頃だな、と。
まずは中目黒の目黒川の桜を見て、その後目黒川を南下して、
目黒庭園美術館に行こう...
が、その前に。
中目黒に行くのなら、まずはかねてより行こう行こうと思っていた、
村野藤吾設計の目黒区総合庁舎(目黒区役所)を見に行こう。
1966年に千代田生命保険相互会社の本社ビルとして竣工、
2003年に改修により目黒区総合庁舎への用途変更。
家から最も近い村野建築。
圧倒的なスケール。
大地から「生えて」くるような有機的な建物。
時を経るほどにいや増す確かな存在感。
やはりこの人の建築は本物だ。
羽田空港散策からの帰り、久々に品川に立ち寄りました。
村野藤吾設計の新高輪プリンスホテル(現・グランドプリンスホテル新高輪)。
そこは予想以上の濃い空気漂う空間だった。
プリンスホテル高輪エリアは正確には、
「グランドプリンスホテル高輪」
「グランドプリンスホテル新高輪」
「ザ・プリンス さくらタワー東京」
の3つのホテルが1つのエリアに集まる巨大な複合体。
この3つのホテルに加えて「国際間パミール」と呼ばれるコンベンションセンターや、
「飛天」と呼ばれる大宴会場などの施設が付随しており、
ただのホテルというスケールには収まりきらない規模を誇る。
ただの「プリンスホテル」ではなく、
「グランドプリンス」というだけのことはあるってことか。
このうち、「グランドプリンスホテル新高輪」が村野藤吾が設計したものですが、
ここは一際スケール感の大きさを感じさせる空間となっています。
ホテルという場所柄、全敷地のほんの一部しか散策できないわけだけど、
それでもそのスケールのでかさを感じさせる。
ここまで大きいと半公共スペースの性格も帯びてきて、
「通り抜けはご遠慮願います」とありながらも、
第三者の入場を厳しくチェックすることもない。
おかげでそれなりに歩きまわることができました。
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[村野藤吾作品集]
個人美術館の課題で前人の偉大な建築群をリサーチしているわけですが。
あらためて村野藤吾氏と丹下健三氏の建築美を再認識。
両氏とも新建築社から分厚い作品集が出ています。
とてもイイです。
手元にそろえたい一冊ですが、値段がね...
...いつか必ず。
まず村野藤吾。
年代別に1928-1963、1964-1974、1975-1988の三巻構成。
上野毛の図書館には晩年の1975-1988しか置いてなく。
八王子には全巻あるみたいなので今度取り寄せよう。
ネットで検索したところ、装丁が縦縞と横縞の二種類あるんだけど何が違うんだろ?
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[横縞バージョン]
新しいものは新しいものから生まれるのではなく、
故きを温めて新しきを知る。
建築の正しい評価は時間をかけて行われる。
だから僕はまずはクラシックを学ぶ。
村野藤吾 建築とインテリア ひとをつくる空間の美学
松下電工汐留ミュージアム
建築家村野研吾氏の展示を見に汐留ミュージアムまで行ってきました。
とくに外国かぶれというわけでもないのですが、
僕が好きな建築および建築家は海外に多い。
意外に日本の建築および建築家を知らない。
最近の僕の志向として、建築に限らずなんでもそうなのですが、
なにかを参考にするとき、できるだけ自分から遠いものを好む傾向があるようです。
自分に近いものを参考すると、それに染まってしまう気がして嫌だったし、
自分から遠いほうが客観的に判断ができる。
しかしやっぱり日本人なら、日本の建築を知っておくべきだ。
場所が同じなら、時代で遠ざかろう。
もちろん村野氏のことも全然知らなくて、
新日曜美術館で紹介されているのをみてはじめて知りました。
1891生-1984年没。
世代的には丹下健三氏の一世代前になります。
適任ですね。
...ということで行ってきました。