愛媛県美術館で開催されていたエッシャー展に行ってきました。
(訪問日:2019年5月25日AM)
※本展はすでに終了しています。
いつもながら遅いレビューですが。
2007年に東京渋谷のBunkamuraザ・ミュージアムで開催されたスーパーエッシャー展以来、
12年ぶりにエッシャーの絵を見ました。
今回は世界最大級のエッシャーコレクションを誇るイスラエル博物館から、
選りすぐりの152点が日本初公開とのことですが、全部が初見ではなく、
中には前回見たものもいくつかありましたが、
やはりエッシャーの絵は何回見ても心湧き踊るものがあります。
エッシャーといえば、正則分割による錯視、いわゆる「だまし絵」の作家として有名です。
その綿密に計算しつくされた精緻さ、構成に心奪われるものですが、
今回の展示ではエッシャーの作品は単なる技巧だけでなく、
情緒豊かな感性により人の心を捉えるのだとあらためて思いました。
技術だけが人の心を魅了するのではない。
良い感性が、良いデザインが、技術を生かすのだ。
技術と芸術の両立されてこそ、良いものができあがる。
沙弥島を後にして高松へ。
瀬戸内国際芸術祭といえば高松を拠点に様々な島巡りをするのが基本ですが、
そのお膝元の高松にもいろいろと作品があります。
前回までは島巡りに集中していて、高松をゆっくり巡ることができなかったので、
今回は1日、あえて船に乗らず高松各地を巡ることにしました。
まずは高松中心地の東側・屋島の山麓にある四国村へ。
東京都小金井市に住宅の博物館・江戸東京たてもの園がありますが、
四国村はその四国版みたいなところです。
ここにある瀬戸芸の作品1つを見に行くのが主目的でしたが、
せっかくここまで来たのだから、と四国村を一周することにしたのですが、
これが甘かった。
四国村広すぎる〜;;
木造の学校に木霊が宿る。
そんな学校をつくらないとほんとうはいけないのではないか。
自然で、簡素で、静寂である、
このことが学校の環境としては一番いいんではないかと思っております。
建築というのは何気ない美しさですよね。
わざとらしくないのがいいというのと、
それと滲み出て、心に染みるような、
そういう建築であってほしい。
(『素描・松村正恒』パンフレットより)
愛媛に来て8年。
念願の建築にようやく訪れることができました。
八幡浜市立日土小学校(以下「日土小学校」と称す)。
この建築を明確に知ったのは2013年の香川県立ミュージアムでの丹下健三展でした。
丹下さんと同時代に活躍したの建築家たちの一人として紹介されていました。
日土小学校は今も現役で活躍する小学校ですが、
平成21年より春休みや夏休み等の長期休暇時に一般公開されており、
今回第32回の学校見学会に参加してきました。
現在に残る校舎は愛媛県大洲市出身の建築家・松村正恒氏の設計により
1956年に中校舎が、1958年に東校舎が建てられました。
2007年に八幡浜市の有形文化財に指定されると同時に改修改築工事に着手、
2009年に新しい西校舎が完成しました。
1999年にDOCOMOMO Japan20選に選ばれ、
さらに2012年に木造モダニズムをよく残すものとして、
国の重要文化財の指定を受けました。
今年最初の美術鑑賞。
愛媛県美術館で開催中のバレル・コレクション展へ行ってきました。
英国スコットランドの海運王ウィリアム・バレルが蒐集した美術コレクション、
「バレル・コレクション」。
バレルはその膨大なコレクションを地元グラスゴー市に寄贈、
閑静な土地にコレクションを展示する美術館が建設され、1983年に開館しました。
コレクションは基本的に門外不出でしたが、
美術館のリニューアル工事に伴い初来日することになり、
本展はそのコレクションの中から73点と同市のケルヴィングローヴ美術館から7点、
計80点を展示するもので、福岡→愛媛→東京→静岡→広島の順で巡回します。
巡回展はなにかと都会の美術館が優先され、
遅れて田舎の美術館へ巡回してくるのが常だから、
めずらしく東京よりも先に愛媛で開催されるのも嬉しい。
久々の東京出張。
帰りの飛行機までの時間を利用して、久々のお江戸での美術鑑賞。
東京都美術館でのムンク展に続いて、
三菱一号館美術館で開催中のフィリップス・コレクション展へ。
フィリップス・コレクションは裕福な実業家の家に生まれた
ダンカン・フィリップスが蒐集した美術作品群です。
1918年に法人化し、1921年にこれらのコレクションを展示する場として、
ワシントンDCにフィリップス・メモリアル・アート・ギャラリーを開館しました。
これはMoMAの開館よりも8年も早く、アメリカで最初に開館した近代美術館とされています。
ダンカン・フィリップスは1966年に亡くなりましたが、
その精神はフィリップス・コレクションに受け継がれ、
現在、同コレクション所蔵品数は4,000点以上にもなります。
本展はこの世界有数の近代美術コレクションの中から、
アングル、コロー、ドラクロワ等19世紀の巨匠から、
クールベ、近代絵画の父マネ、印象派のドガ、モネ、印象派以降の絵画を牽引した
セザンヌ、ゴーガン、クレー、ピカソ、ブラックらの秀作75点を展覧するものです。
久々の東京出張。
帰りの飛行機までの時間を利用して、久々のお江戸での美術鑑賞。
...というわけで東京都美術館で開催中のムンク展に行ってきました。
特にムンクが好き、というわけでもなくて、
上ので開催中のフェルメール展、ルーベンス展、六本木で開催中のボナール展など、
場所の成約と好みをいろいろ検討した結果、消去法で残ったのがムンク展と、
三菱一号館美術館のフィリップス・コレクション展でした。
結果的にはこれが大当たり。
「叫び」は世界で最も有名な絵画の一つであり、
故国ノルウェーでは国民的画家として讃えられているエドヴァルド・ムンク。
40代にはすでにその画業は社会的に認められるようになっており、
画家としては成功した部類に入るでしょう。
しかしなぜ、彼の絵はこんなにも悲しみに満ちているのでしょうか。
ノルウェーのクリスチャニア(現オスロ)の北に位置するローテン村で、
軍医だった父クリスチャン・ムンクと母ラウラの間に生まれたムンクは、
結核により母と姉を幼くして失う。
女運も悪く、恋人とのいざこざの末に左手の指の一部を失ってしまう。
幼少時に大切な家族を失うという経験と、恋人との破局により
アルコールに依存するようになり、ついには精神的にも異常をきたすようになる。
この危機を画業の成功でなんとか乗り切るが、
ナチス・ドイツが台頭してくると、頽廃芸術として作品押収され、
戦争を避けるようにひっそりと作品を描き続けるが、
ナチスの爆撃で家の窓が吹き飛ばされ、その寒さにより気管支炎を患い、
生涯独身を貫いた画家は自宅で一人息を引き取った...
画家としては成功したが、彼の人生は決して恵まれたものではなかった。
彼の人生ははたして幸福なものだったのだろうか。
彼自身、自分の人生に悔いは残らなかったのだろうか。
原爆ドームのそばにあるおりづるタワーに行ってきました。
元々は東京海上日動火災保険のビルが建っていたところを、
2010年に広島マツダが取得、2013年に改修計画が発表され、
三分一博志氏の設計で2016年に「おりづるタワー」としてリニューアルオープンしました。
広島出身で親が広島市内にお店を出していたこともあって、
市内へはよく足を運んでいましたが、おりづるタワーが建つ前にここに何があったか、
なんてまったく記憶にない。
まあオフィスビルなんて得てしてそんなもので、
おりづるタワーも3階から11階まではオフィスですが、
せっかくの好立地を生かして、1階と12階・最上階が一般開放されています。
12階以上は入場料が必要なのですが、これが大人1700円となかなかのお値段。
三分一さんの建築には2013年に犬島精錬所美術館、2016年に直島ホールと訪れ、
地球にやさしいエコロジカル建築はもちろん、
その環境思想をデザインにも反映させている点がとても好きになりました。
はたしておりづるタワーにもその三歩一節がふんだんに盛り込まれていました。
夏休み二日目は滋賀。
MIHO MUSEUMに続いては琵琶湖湖畔に建つ佐川美術館へ。
2009年の初訪から9年ぶり二度目の訪問。
本美術館は画家・平山郁夫と彫刻家・佐藤忠良と陶芸家・樂吉左衞門の作品を展示するものですが、
今回は開館20週年記念の特別企画展として、田中一村展が開催されていました。
訪問日:2018年4月17日
おおよそ2ヶ月前の話。
東京ステーションギャラリーでの隈研吾展をあとにして、
三菱一号館美術館で開催中のルドン展へ。
ルドンの絵は過去2回のオルセー展(1回目/2回目)などで、
何度か目にする機会がありましたが、単独での大々的な展覧会は今回がはじめて。
時代的には印象派の時代に生きた画家であり、第8回の印象派展にも出品しているものの、
印象派とは一線を画し、独自の路線を歩んだ。
風景画の巨匠に教えを受けるも、
彼が描く絵は風景と人間の内面とが混ざりあった独特の世界だった。
周囲に流されず、自分のアイデンティティを築き上げたという点で
どこか自分の心を刺激する画家の一人。
訪問日:2018年4月17日(火)
おおよそ2ヶ月前の話。
出張で久々に上京しました。
最終日は移動のみで飛行機の時間が夕方だったので、
その待ち時間を利用して、久々のアート巡り。
...といっても2スポットのみだけど。
まずは東京ステーションギャラリーで開催中だった建築家・隈研吾の展示。
9年前に開催されたTOTOギャラリー「間」での展示以来二度目。
9年前でもすでにかなり有名だったとは思うのだけれど、
個展の範疇を超えない小規模だったのに対し、
今回は一流のアーティストとして見応えあるボリュームで楽しむことができました。