愛媛県美術館で開催中の杉浦非水展に行ってきました。
1876年に松山に生まれる。
東京美術学校(現在の東京藝大)に入学し、日本画を学んでいたが、
洋画家の黒田清輝の指導によりアール・ヌーヴォー様式に見せられ、図案家へ転向。
卒業後は大阪の印刷会社、商船会社で図案家として活動、島根での図工教師、
東京の新聞社を経て、1908年に三越呉服店に夜間嘱託として勤務するようになる。
以後27年間、三越の嘱託デザイナーとして活躍。
教育関係では、日本美術学校図案科講師、帝国美術学校(現在のムサビ)図案科長を経て、
1935年、多摩帝国美術学校(現在の多摩美)の初代校長に就任。
日本における商業美術の先駆けであり、グラフィックデザインの礎を築いた人物の一人。
愛媛美術館は県出身である同氏の作品や遺品、資料等7,000点にも及ぶコレクションを有しており、
今回はじめてそのコレクションを披露する展覧会が開催されました。
移住者である自分としては松山出身、ということより多摩美の初代校長、ということに縁を感じるものの、
在学中は同氏のデザインについて学ぶ機会はおろか、愛媛に来てはじめて彼の名前を知ったくらい。
前回のウィリアム・モリス展と同様、モダンデザインの源流を学ぶまたとない機会と言えます。
大学を卒業する時点で自分はどうしても商業デザインへの道に踏み出すことができなかった。
遅すぎるスタートや生来の臆病心があったのもあるけれど、
4年間での大学での学びの中でデザインの魅力を知ると同時に、
どうしても消えないデザインの疑問点も見えてしまった。
デザインのあるべき姿とは。
デザインとアートの適切な住み分けとは。
デザインとエンジニアリングはどのようにコラボレートしていくべきなのか。
自分はどのようにしてデザインやアート、エンジニアリングと関わり、
活用していくべきなのか。
...デザインの原点を学ぶことで見えてくるものがあるのではないだろうか。
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カーサ・ブルータスが選ぶ「いつかは行きたい!世界の名建築100選」。
...建築好きならば間違いなく興味が喚起されるテーマですよね。
数多ある建築群から限られた状況でどれだけ多くの名建築に巡り会えるか。
それは事前に知識として名建築を知っておくことにほかならない。
東京の会社を辞めて美大に行くことを決めたときから、
多くの情報をリサーチし、実際に訪れてもいるけれど、
次から次へと名建築は現れる。
まあ、それは幸せなことなんだろうけども。
自分の場合はどれだけ多くの名建築を訪れることができるか、ではなく、
死ぬまでに自分で思う究極の建築を一つ作るのが最終的なゴールではあるけども、
そのためにはやはりリサーチし続けなければならない。
遅い夏休みをようやくとることができました。
まず最初に訪れたのが高知市内にある沢田マンション、通称「沢マン」。
美大を卒業するときに四国に行くなら、と同級生がススメてくれました。
およそ40年以上も前1971年、建築に素人な沢田嘉農・裕江夫婦が、
「独力独学で建てた鉄筋コンクリート造の集合住宅」。
増築に増築を重ねたその建物は常に「成長する建築」。
「沢田マンション物語」も事前に読んでおこうと図書館から借りたのですが、
結局挫折してしまいました。
大学ではあんなに本を読んだのに、愛媛に来てからはさっぱり読書に身が入りません。
まあ、今は読書モードがオフなんだな。
それはともかく、沢マンは思ったとおりのカオスでした。
どちらかというと思考の根底に「秩序」を置く自分としては、
カオスは混乱をもたらすものとして、あまり良い感情を持っていませんが、
ここはそんな思い込みを吹き飛ばす心地良さがありました。
見た目の造形は全く異なるけれど、ガウディに通ずるものがあるような気がします。
ガウディ没後今なお作られ続けるサグラダ・ファミリアのように、
沢田嘉農氏がいなくなってもなお、屋上のクレーンは据えつけられたままで、
建物内も常にどこかしら工事が続けられている。
良い建築は作者がいなくなってもなお、その魂は残り続ける。
ただ存続するだけでなく、まるで生きものがごとく成長し続ける。
建築が目指すべき究極の姿がここにあるような気がします。
オリジナリティーとは物の起源(オリジン)へ回帰することからはじまる。
だからオリジナル(原型)は初期が持っている単純さへ
戻っていくようなものをいうーアントニ・ガウディ
美大で建築の魅力に出会いました。
最初はサンティアゴ・カラトラバやダニエル・リベスキンドなど
どちらかといえば日本よりも海外の建築家に惹かれました。
また日本でも現在活躍している建築家よりも、丹下健三や村野藤吾などの
少し昔の建築家に惹かれました。
だから現在最前線で活躍している伊東豊雄や安藤忠雄などは
あまり興味が向かなかったわけですが、
せっかく今治という比較的近場に日本で始めての建築家個人のミュージアムが
できたとあればそれはやはり見に行きたいわけで。
愛媛県は今治市、瀬戸内海はしまなみ海道が通る大三島。
アートな島に建つ伊東豊雄建築ミュージアムに行ってきました。
思ったよりも小ぢんまりとしていましたが、
思ったよりも魅力が詰まっていた。
伊東豊雄という建築家が好きになりました。
仕事の面接で愛媛へ行ってきました。
東京からだと遠いので、前日入りだったのですが、
面接地の西予市は宿の相場がやや高めだったので、
松山に宿をとることにしました。
せっかくなので、早めに到着して松山の街を散策。
夏目漱石「坊っちゃん」の舞台であり、
正岡子規の故郷でもある文学のまち。
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最もお気に入りの建築家のSD選書をまだ読んでなかった。
卒業制作のラストスパート前に読む本として、
これほどふさわしい本もない。
アントニオ・ガウディ。
最も独創的でありながら、最も多くの人に受け入れられている建築家。
好き嫌いはあるだろうけど、
建築に詳しくない人でも彼の名前を知らない人間はいないだろう。
逆に現代建築の普及に最も貢献したと言われる20世紀の三大建築家、
コルビュジエ、ライト、ミースの名前は、
建築にそれほど興味がない人にはなじみがないかもしれない。
この差は一体なんなのだろう。
コルビュジエ、ライト、ミースは世界各地にたくさんの名建築を残した。
一方ガウディと言えば、スペイン、それもそのほとんどが
バルセロナを中心としたわずか25点ほどの建築群。
そしてその中のただ一つの作品が彼を世界で一番有名な建築家たらしめている。
神の建築家。
神に愛された建築家。
それがガウディをガウディたらしめている。
ソフトはハードの中でしか生きられないことを忘れ、
ハードをないがしろにしてソフトが一人歩きをする時代。
自分にはそれがとても異様な光景に見える。
同時にこの状況がはたして良い状態なのか、
ソフトの一人歩きに加担するような仕事にやり甲斐があるのか、
平日はそんな疑問を抱えながら過ごす日々。
金曜日、バイトからの帰り道、自由が丘のブックオフで、
ガウディのムック本を見つけた。
ソフトカバーながらしっかりとした造りで、写真もテキストも充実していそうだった。
値段も定価の半額、ということもあってちょっと悩んだ末に購入した。
人間は創造しているのではない。
自然という偉大な書物にすでに記されている、
すべての答えをただトレースしているだけなのだ。
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ガウディがパワーをくれた。
今の自分に必要なのはスキル以上に前に進むためのパワーなのだ。
ここのところの連日の酷暑故に躊躇していた、
自然教育園に行くことにした。
答えを求めに。
同級生がくれた本。
出版・社会思想社、初版1965年。
もらった本は1998年の第19刷版。
かなりのロングセラーだったようですが、現在はほぼ絶版状態。
古い本だけど、かなり濃い。
1年生のときにデザイン史の授業を受けたけれど、
この本はそれを補って余りある。
自分がクラシカルに固執するのは単に懐古主義だからではない。
別に過去を知らずとも、新しいものは作れるのかもしれない。
新しい、ということはただそれだけで価値がある。
しかし、ややもすればその価値だけに依存しがちでもある。
そして、新しさを失ったとき、その価値も消えてしまうのである。
新しいものが新しいものでなくなったとき、
それが生き残ってゆくには、新しいだけでない、ずっと残っていく価値、
「本質」が芽生えていなければならないのである。
今を生きる自分が過去のものと出会うとき、
その過去は本質を備えているが故に生き残った良質なものたちである。
だから人はクラシカルを学ぶべきである。
故きを温めて新しきを知れ。
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安藤忠雄著書「連戦連敗」のレビュー記事へのコメントで、
けいあすぱぱさんから教えていただいた本。
茨木春日丘教会、通称「光の教会」。
今、最も訪れてみたい教会の一つ。
本書は光の教会の設計から施工、完成までの道のりを、
意匠設計者、構造設計者、施工業者、施主などあらゆる関係者の声を、
自身も建築構造設計の経験のある著者が客観的にとりまとめたもの。
第三者ゆえに冷静に、かつ客観的に関係者それぞれの声をまとめることができる。
そして、建築への造詣があるがゆえに客観的でありながら、現場に肉薄できる。
建築は建築家だけでできあがるのではない。
一つの建築の中で建築家の果たす役割なんて全体のほんの一部で、
そこには様々な人と仕事が入り交じっていることをこの本は教えてくれる。
建築とは極めて多面的で多様的な集合体なのだ。
建築家の仕事とは、
その多岐にわたるそれぞれの要素を一つの同じ方向に向けることではないだろうか。
だから良い建築家には人を惹きつける何かがある。
それぞれの個性を持った人々に同じものを感じさせる「イメージ」がある。
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春休みに入って早一週間。
毎回休みにはいると最初の一週間は放心したようになるのだけど、
今回はとくにその放心具合がひどかった。
忙しい割にはやりたくもない作業の積み重ねで、
良い終わり方ができなかったこともある。
いわば逃げ切った感で一杯で後味の悪さだけが残ってしまう、みたいな。
この本も春休み前の忙しくなる前になんとか読み終わっていたのだけど、
ようやくレビューする気になりました。
パウロ・コエーリョの処女作。
キリスト教三大聖地の一つ、サンティアゴ・コンポステーラへの道である「星の道」
への巡礼を通して人間が本当に辿るべき「道」と持つべき武器「剣」を発見する。
自分の道を知り、その道を歩んでいくための「剣」を持つことで、
人は本当に「良い人生」を送れる。