建築に何が出来るのか、そもそも建築とは何なのかー私は建築の本質とは、人工と自然、個人と社会、現在と過去といった、人間社会にまつわる多様な事象のあいだの関係づくりと考えています。その意味で、人々共に木を植えて街に緑を取り戻す活動もまた、私にとっては建築です。既にある風景、社会制度の中に入り込んでいって、予定調和から外れた試みをしようとすれば、当然、摩擦や衝突が起こります。建築の原点たる住まいの問題、空間の光と影といった美学状の問題、あるいは都市空間、場所の風土の問題。つくる度にさまざまなテーマに直面し、それらに建築で応えるべく、悪戦苦闘してきました。その全てが挑戦でした。
半年ぶりの東京2日目。
朝一で六本木の国立新美術館へ。
建築家・安藤忠雄の半世紀に渡る建築活動を紹介する展覧会。
ギャラリー「間」、21_21、ANDO MUSEUMなど、
過去何度か安藤さんの展示は見に行ってますが、
これほど大規模なのははじめて。
270点もの資料や模型で89のプロジェクトを紹介する過去最大規模のもの。
この展示を見るだけでもよくまあ、これだけやってきたもんだと感服するのですが、
一方で安藤さんの「連戦連敗」という本では、
実現しなかったプロジェクトも山ほどあったというのだから、
展示ボリュームをはるかに超えるエネルギーを安藤さんは建築に注ぎ込んできた。
そう考えると、さらにその感服度合いが大きくなります。
それでも東京という日本でもっとも大きな街で、
日本で最も有名な建築家は自分の回顧展を自分の設計した美術館で開催できなかった。
そこに日本の建築界の窮屈さを垣間見たような気がします。
その意味においても、晩年に差し掛かって身体がボロボロになってなお、
夢を抱き続ける安藤さんの挑戦はまだまだ続くのでしょう。
「目標があるうちは青春だ」
自分もそういう人生をおくりたいと思う。
たどり着いたのは、故郷への想い。
三年ぶりの東京。
まずは国立新美術館で開催中のミュシャ展に行ってきました。
今回の目玉はなんといっても全20作の超大作「スラヴ叙事詩」。
アール・ヌーヴォーを代表するチェコのデザイナー、アルフォンス・ミュシャ。
派手で華やかな女性のポスターで有名なミュシャですが、
デザイナーとしての成功の末にたどり着いたのは、
故郷への想いを画家として表現することだった。
その想いの結晶が晩年の16年という月日を費やして制作された「スラヴ叙事詩」。
スラヴ民族にまつわる歴史、寓話や神話を題材とした全20作の絵画。
大きいもので一辺が縦6メートル、横8メートルにも及ぶ巨大絵画の数々は、
華美なデザインとは程遠く、静謐だが言いようのない迫力を感じさせるものだった。
ミュシャは当時諸外国からの圧政に苦しめられていた故国の状況を憂い、
スラヴ民族の愛国心を鼓舞するために「スラヴ叙事詩」を描き上げましたが、
皮肉も制作中に故国はチェコスロバキアとして独立して自由を手にし、
ピカソなど抽象的な現代アートが台頭してきたこともあって、
完成時にはすでに時代遅れと評されるようになっていた。
ミュシャの存命中に「スラヴ叙事詩」全作品が公開されたのは、
チェコスロバキア独立10周年の1928年の1回のみ(正確には一点を除く全19作品)。
その後1939年にナチスの台頭によりチェコスロバキアは解体、
ゲシュタポに逮捕されたミュシャは厳しく尋問されたことが原因で体調を崩し、他界。
「スラヴ叙事詩」はプラハ市に寄贈される際に専用の展示場を建設する約束だったが
その約束が果たされることはなく、故郷の城中で夏の間ひっそりと展示されるのみで、
長い間世間から忘れ去られた。
2012年にプラハで再び全作品が公開され、
そして今回はじめて全20作品が国外展示されるわけですが、
長い間忘れ去られていたこの作品がなぜ今、公開されるに至ったのか、
その辺の事情は会場や図録からはうかがい知ることができませんでしたが、
いずれにせよ、日本で「スラヴ叙事詩」が見れるのは極めて稀有なことであり、
この機会を逃せば日本でこの作品を見ることはもうできないかもしれない。
そのような想いからどうしても見ておきたかった。
[灰色の帽子の自画像(1887年)](出典:Wikipedia)
国立新美術館で開催中のゴッホ展に行ってきました。
卒業制作の最後の追い込み前の景気づけに。
ちょうど西洋美術史の授業でも取り上げられたこともあり。
中村先生の授業の中でも、取り上げられることの多かった画家の一人。
画家として活動したのはたった10年。
27歳という遅いスタートながら独学で、彼独自の画風を確立するも、
生きている間に売れた絵はたったの1枚。
2ヶ月間の共同生活の末の悲劇とともにゴーギャンと並んで
情熱の画家、炎の画家と並び称された天才画家。
...ゴッホの一般的なイメージはこんな感じだろうけど。
彼は決して天才肌ではなかった。
初期の地道な努力の積み重ねが晩年に一気に花開いた。
限りない孤独が彼の感性を極限まで高めてゆき、晩年に一気に爆発した。
そしてそのまま彼は散っていった。
今回の展示は晩年の傑作は少なく、正直もの足らない部分もあった。
正直ゴッホの初期の作品は凡庸でぱっとしないものが多い。
だけど、晩年の見事な作品群に結実するものがここにはある。
晩年が黄色を基調とした鮮やかな色彩なのに比べて初期の作品は驚くほど暗い。
ミレーの影響にはじまり、新進気鋭の印象派、新印象派のテクニックを取り入れ、
浮世絵におけるジャポニズムで色彩に目覚めた。
古今東西の別なく貪欲にチャレンジし、自分のものにしようとした。
ドガがデッサンなら、ゴッホは色彩。
印象派の控えめなタッチから自ら主張するタッチへ。
絵画を目に見える世界から目に見えない世界へと導いた。
それでも彼が生きた時代は彼を認めなかった。
時代が彼に追いつかなかった。
天才の悲しい宿命を背負ったまま、彼は孤独のうちに死んだ。
仲間を持つことは大切だ。
しかし自分の世界を持つことはもっと大切だ。
自分の世界を知らずして生きることほど、人として不幸なことはない。
...ゴッホはそれを教えてくれる。
ピカソ展で久々に国立新美術館を訪れました。
今回はピカソ展がメインかと思いきや、
日展が1Fから3Fまで使って大々的に開催されてました。
ピカソ展はサブ、みたいな。
(でも外のチケット売り場はピカソ展専用だったけど)
今回は午後4時前から午後5時過ぎくらいまで。
天気も良く、昼と夜の様子を撮影するのに最適でした。
というわけで館の内外をデジタル一眼で撮影してきました~
[2館共通公式図録 2800円:表側]
11月最後の日曜日。
ピカソ展に行ってきました。
国立新美術館とサントリー美術館をはしご。
まずは国立新美術館。
日曜日なので混雑を予想して閉館2時間前の16時に入場。
まあそのおかげというか、人はやっぱり多かったけど、
予想してたよりは楽に観れました。
そして予想よりも展示が少なかったのか、1時間程度で見終えました。
こちらは会場全体は明るいのですが作品への照明は暗めでした。
(一部影が作品に影響するものはのぞく)
次にミッドタウン内のサントリー美術館。
国立新美術館に比べてこちらは日曜日だというのに人は少なめ。
展示規模はさらに小さくて鑑賞時間は1時間弱。
こちらは逆に会場全体は暗く、作品への照明は明るめでした。
世界一有名な画家、ピカソ。
しかし多才がゆえの多彩な作品ゆえに、
世界一理解が難しい画家でもある。
[図録2300円]
フェルメール展、残り1日というところでようやく行ってきました。
正直行こうかどうか迷ってた。
フェルメールがそれほど好きというわけではなかったし、
オランダ風俗画にもそれほど興味があったわけでもない。
でもね。
たぶんこれからの人生でもこの大学にいる間ほど
たくさんの絵を観る機会ってもうないと思う。
だから行くことにした。
フェルメールの作品は現在世界に34点しかないそうです。
そしてオランダにある「牛乳を注ぐ女」がこの数百年で国外へ出たのはわずか五度。
そしてこの東京での展示はアジア初。
やっぱ行かなきゃ。
[日傘の女性](展示では右向きバージョンが展示、画像は大塚国際美術館の陶板画)
国立新美術館で開催中のモネ大回顧展に行ってきました。
さっそく学生特権を使うわけですよ。
通常大人当日券は1,500円ですが、
ここでもらったばかりの学生証を提示すると...
学生料金の1,200円になるはずなのですが...
なんと!
多摩美は特別会員かなんかで団体料金扱いでさらに安くなって、
900円でした~
多摩美入ってほんとうによかった...
んでこれがチケット。
世界で最も愛された画家らしく、平日だというのにけっこうな混雑でした。
まあでも会場が広いぶん、行列になって待つ、ということはないですけど。
1/21に国立新美術館がオープンしました。
そんで今日さっそく行ってきました。
催し物を見にいく、というよりはこの建物自身を見にいきました。
六本木交差点をAxisビルへ向かう道とは反対方向(北上)へ10分ほど
歩くと工事中のミッドタウンが見えてきます。
オープンは3月末らしい。
んでミッドタウンのところで左折して5分も経たないうちに到着します。
ひときわ目立つウェービーな外観。
ただ想像よりは小さく見えました。
壁面には佐藤可士和がデザインしたロゴが。
...そしていざ中へ。
建物の外、中問わずいたるところでカメラ小僧がカメラを構えていました。
...自分もそのうちの一人だったわけですが。
ただ一眼レフ、デジカメともにバッテリー切れで、やむなく携帯カメラだったけど。
やはり一眼で撮りたかった。
それだけこの建物は絵になります。