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Loving Vincent

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  Loving Vincent


もしもゴッホの絵が動いたら...

そんなコンセプトで作られている映画があります。
2016年中には公開予定だったみたいですが、
なにせ1秒の動画に12枚の油絵が必要で、80分の作品に仕上げるという
途方もなく労力のかかる作業のため、どうも完成が遅れているようです。


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[灰色の帽子の自画像(1887年)](出典:Wikipedia)


国立新美術館で開催中のゴッホ展に行ってきました。


卒業制作の最後の追い込み前の景気づけに。
ちょうど西洋美術史の授業でも取り上げられたこともあり。

中村先生の授業の中でも、取り上げられることの多かった画家の一人。

画家として活動したのはたった10年。
27歳という遅いスタートながら独学で、彼独自の画風を確立するも、
生きている間に売れた絵はたったの1枚。
2ヶ月間の共同生活の末の悲劇とともにゴーギャンと並んで
情熱の画家、炎の画家と並び称された天才画家。

...ゴッホの一般的なイメージはこんな感じだろうけど。


彼は決して天才肌ではなかった。
初期の地道な努力の積み重ねが晩年に一気に花開いた。
限りない孤独が彼の感性を極限まで高めてゆき、晩年に一気に爆発した。
そしてそのまま彼は散っていった。


今回の展示は晩年の傑作は少なく、正直もの足らない部分もあった。
正直ゴッホの初期の作品は凡庸でぱっとしないものが多い。
だけど、晩年の見事な作品群に結実するものがここにはある。

晩年が黄色を基調とした鮮やかな色彩なのに比べて初期の作品は驚くほど暗い。
ミレーの影響にはじまり、新進気鋭の印象派、新印象派のテクニックを取り入れ、
浮世絵におけるジャポニズムで色彩に目覚めた。

古今東西の別なく貪欲にチャレンジし、自分のものにしようとした。
ドガがデッサンなら、ゴッホは色彩。
印象派の控えめなタッチから自ら主張するタッチへ。
絵画を目に見える世界から目に見えない世界へと導いた。


それでも彼が生きた時代は彼を認めなかった。
時代が彼に追いつかなかった。
天才の悲しい宿命を背負ったまま、彼は孤独のうちに死んだ。


仲間を持つことは大切だ。
しかし自分の世界を持つことはもっと大切だ。
自分の世界を知らずして生きることほど、人として不幸なことはない。

...ゴッホはそれを教えてくれる。


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[ゴッホ『星降る夜』(1888年)](画像は大塚国際美術館の陶板画)


国立新美術館で開催されている、オルセー美術館展に行ってきました。


実は3年前に東京都美術館で開催されたオルセー美術館展にも行きました。
その時は美大に入る直前で、絵に関する知識も感覚も
今に比べるとまったくない状態だった。

今回はその時よりも10倍も絵画鑑賞を楽しめた気がする。
あらためて3年の月日の中で自分が学んだもの、を感じることができた。

別に絵を鑑賞するのに特別な知識なんて必要ない。
だけど、画家がどんな思いでその絵を描いたのか、
どういう時代背景でその絵を描いたのかを知れば、
よりその絵に対する思い入れが強くなる。

そして絵画で何を表現しようとしたのか、自分なりに考えることができるようになる。
感じて、考える。
「より良く」生きるために。

ただ、ボリュームとしては前回の方が大きかったかな。
けっこう混雑した中でもじっくり鑑賞したつもりだったけど、
鑑賞時間はトータルで2時間かからなかった。


いい絵はデジタルデータでもその良さが伝わるものだけど、
いい絵の本物はもっと良い。

絵は基本的に二次元の媒体だけど、
「本物の絵」は微かに三次元であり、その微かな部分に魅力が詰まっている。


ゴッホの「哀しみ」

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[灰色の帽子の自画像(1887年)](出典:Wikipedia)


「文学と芸術」の授業でゴッホを学びました。

これまで中村先生の他の授業でもゴッホは度々登場してきたけれど、
これほどまとめて紹介されたのは今回がはじめてかも。

フィンセント・ヴァン・ゴッホ、1853年生まれ。

最初は伯父の美術商の元で働くが、失恋を機に職を失い、
今度は牧師を目指すも狂信的な熱意が逆に人々に不気味がられ、この職も失う。
その後の1879年に画家を志し、1880年に37歳の若さで亡くなるまでの
およそ11年間で数々の名作が生まれた。

しかしゴッホが存命中に売れた絵画はわずかに一点。
その一点も弟のテオが購入したという。

...と聞きましたが、Wikipediaでは別の人が買ったとありますね。
また売れたのは一枚だけではなく、数枚だったという説もあるとか。

まあ、いずれにせよ、彼が存命中に彼の絵はほとんど評価されていなかった、ということ。
...これも、Wikipediaには晩年には彼の絵を高く評価する人も現れていた、とありますが、
いずれにせよ、彼がその評価の恩恵を授かることはなかった。


時を経て現代、ゴッホの絵は億単位で落札されるという。

...なんとも哀しい話じゃないか。

芸術は貧に足りてこそ、理解できるものだと思う。
成金共にゴッホの想いが、理解できるのだろうか。

芸術を理解する者が芸術界では自由がきかず、
芸術を理解しない者が芸術界を動かす、という不思議な時代。


それでも表現者は自分のエゴを信じ、
自分を見失わずに生きねばならない。

それが「強さ」というものである。


星月夜【フィンセント・ファン・ゴッホ】

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[フィンセント・ファン・ゴッホ『星月夜』(1889年)](出典:Wikipedia)


ゴッホの中で一番好きな絵。

今は誰もが巨匠と認めるこの画家も生前はたった1枚しか絵が売れなかったという。
(この絵じゃないですが)
その1枚も弟のテオが買ったもの。
(テオじゃない、という説もありますが)

世の中には二種類の人間がいる。

「表現」する人間とそれを「評価」する人間。


...自分は前者でいたい。
たくさんの他人の作品を見るのは最終的に自分の表現に帰結させたいから。

ゼロからはなにも新しいものは生まれない。
だから僕は古を学ぶ。


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東京都美術館で開催中のオルセー美術館展。
会期終了3日前にしてようやく行ってきました。

1週間前にも訪れた上野公園ですが、その時は鮮やかだった桜色も
新緑と混じりあい、すっかり色褪せていました。
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1週間前は入口前まで行きながら混雑ぶりにあきらめて帰らざるを
得なかったわけですが、今回は開館後30分の9:30に行ったら
待ちなしで入れました。
それでも会場内はそれなりに人だかりができてましたが。

本展オフィシャルサイトで携帯壁紙をダウンロードして、
チケット売り場にて提示すると大人当日券で100円引きになります。

んでこれがチケット。
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会場内は例によって撮影禁止、音声ガイドも500円と有料。
ホント日本って美術に対する理解が足らない...

オルセー美術館はフランスはセーヌ河をはさんでルーヴル美術館の対岸に
位置する美術館で、もともと万博のために作られたオルセー駅舎を
改装したものだそうです。

世界屈指の印象派コレクションを擁する美術館だとか。