星月夜【フィンセント・ファン・ゴッホ】

  • 投稿日:
  • by
  • カテゴリ:

962px-VanGogh-starry_night_ballance1.jpg
[フィンセント・ファン・ゴッホ『星月夜』(1889年)](出典:Wikipedia)


ゴッホの中で一番好きな絵。

今は誰もが巨匠と認めるこの画家も生前はたった1枚しか絵が売れなかったという。
(この絵じゃないですが)
その1枚も弟のテオが買ったもの。
(テオじゃない、という説もありますが)

世の中には二種類の人間がいる。

「表現」する人間とそれを「評価」する人間。


...自分は前者でいたい。
たくさんの他人の作品を見るのは最終的に自分の表現に帰結させたいから。

ゼロからはなにも新しいものは生まれない。
だから僕は古を学ぶ。


サン=レミの精神科病院に入院しているときに描いたという『星月夜』。

この絵は心を病んでいる人独特の絵なのだろうか?
僕にはそうは思えない。

心の中に感情という粒子がたくさんある人が豊かな表現力を持つ。
そういう人は同時に他人の感情の表現を敏感に感じることができる。
これは一種の能力で、僕はこれを「感情力」と呼びたい。

感情力さえあれば優れた表現者になれるのか、というとそうではなくて
実際に表現するには「技術」が必要だ。
画家ならデッサン力が、彫刻家なら造形力が。

「評価する人間」はさらに2つのタイプに分かれる。
元々感情力が薄くて表現欲がない人。
そして強い感情力があっても、表現する技術と勇気がない人。

前者はまあ生まれ持っての「評価者」なのだろう。
でも後者は本来は表現者になるべきなのに評価者に甘んじている。
それはとても不幸なことだ。

表現者なら誰だって他人に評価されたいと願う。
それが表現者の存在価値なのだから。
「評価されないかもしれない」という恐れから評価者でいる人生と、
精一杯表現しながらもなかなか他人に評価されない人生。
果たしてどちらの人生が幸せなのだろうか?


感情力が強いことは諸刃の剣でもある。
うまく感情の処理ができないと心を病むことになる。
ゴッホもその一人だった。

見ようによっては不気味な絵なのかもしれない。
それでも自分にはこの絵がとても美しく見える。
空のうねりは夜風を視覚化したように見える。
星の輝きは、夜という絶望の中に輝く希望に見える。
独特のタッチがゴッホという個性を輝かしている。


印象派の登場当時はこの画家の個性であるタッチの表現が酷評された。

時代はいつだって公平かつ正確な評価を敏速にしてくれるわけじゃない。

それなら自分のエゴに従って自分が好きなように表現すればいいじゃないか。
人間は人間であると同時に生物でもあるのだから「生きる」能力は
本能としてデフォルトで持っているのだから、
本能を大切にしてればなんとか生きていけるものだから。

「どうやって生きようか」より「良く生きるにはなにをすればいいだろう」。
理性ではそう考えるほうが幸せへの近道な気がする。
...と遠回りな人生を送っている自分が言っても説得力ないけど。


ちなみにパリのローヌ川で描いた星月夜もあります。

okm_orsay2_gogh1.jpg
[ローヌ川の星月夜(1888年)](画像は大塚国際美術館の陶板画)

こちらもけっこう好き。