東京都美術館で開催中のオルセー美術館展。
会期終了3日前にしてようやく行ってきました。
1週間前にも訪れた上野公園ですが、その時は鮮やかだった桜色も
新緑と混じりあい、すっかり色褪せていました。
1週間前は入口前まで行きながら混雑ぶりにあきらめて帰らざるを
得なかったわけですが、今回は開館後30分の9:30に行ったら
待ちなしで入れました。
それでも会場内はそれなりに人だかりができてましたが。
本展オフィシャルサイトで携帯壁紙をダウンロードして、
チケット売り場にて提示すると大人当日券で100円引きになります。
んでこれがチケット。
会場内は例によって撮影禁止、音声ガイドも500円と有料。
ホント日本って美術に対する理解が足らない...
オルセー美術館はフランスはセーヌ河をはさんでルーヴル美術館の対岸に
位置する美術館で、もともと万博のために作られたオルセー駅舎を
改装したものだそうです。
世界屈指の印象派コレクションを擁する美術館だとか。
[図録 2500円]
会場内は撮影禁止なのでお気に入りの作品について、ネットからの画像及び複製画写真を集
めてみました。
Ⅰ.親密な時間
ベルト・モリゾ[ゆりかご](1872年)
(画像は大塚国際美術館の陶板画)
ピエール=オーギュスト・ルノワール[ジュリー・マネ(あるいは猫を抱く子供、1887年)
Ⅱ.特別な場所
アルフレッド・シスレー[洪水と小舟](1876年)
(出典:Wikipedia)
エドゥアール・マネ[アンリ・ロシュフォールの逃亡](1880−81年)
(出典:Wikipedia)
今回の一番のお気に入り作品。
大海原に漂う舟を描いているものですが、一見無造作に描きなぐられた
さまざまな青の組み合わせがが静止しているはずの絵の中で
波が躍動しているのを感じることができる...
一見穏やかに見える海面も常に動いている。
海面は一つの面しかないように見えて実は無数の面が存在する。
光のあたり方によって無数の面は無数の色彩を放つ。
無数の海面のクオリアを忠実に再現する。
ホントすごい。
クロード・モネ[ルーアン大聖堂](1893年)
(画像は大塚国際美術館の陶板画)
Ⅲ.はるか彼方へ
フィンセント・ファン・ゴッホ[アルルのゴッホの寝室](1889年)
(画像は大塚国際美術館の陶板画)
フィンセント・ファン・ゴッホ[アルルのダンスホール](1888年)
(出典:Wikimedia)
ポール・ゴーガン[黄色いキリストのある自画像](1890−91年)
(出典:Wikimedia)
エミール・ベルナール[日傘を持つブルターニュの女たち](1892年)
(出典:Wikimedia)
Ⅳ.芸術家の生活ーアトリエ・モデル・友人
エドゥアール・マネ[すみれのブーケをつけたベルト・モリゾ](1872年)
(出典:Wikipedia)
Ⅴ.幻想の世界へ
ギュスターヴ・モロー[ガラテア](1880年)
(出典:Wikimedia)
オディロン・ルドン[キャリバンの眠り](1895−1900年頃)
フランソワ・ガラ[ベートーヴェンに捧げる施策のための神殿、神殿幻想、月光](1901年)
アルフレッド・スティーグリッツ[ジョージア・オキーフ](1918年)
(厳密には展示されていた作品とは異なります)
「印象派」に対して個人的に持つイメージとしては、
「柔らかな」
「ぼんやりした(抽象画まではいかない)」
...そんな感じです。
ピカソやダリのような強烈な作風とは対極にあるもの、というイメージ。
ニューヨークでピカソやダリの絵を観た直後だったので、
最初はちょっと物足りない、という感じでしたじっくり観てみると
やはり印象派は印象派なりの面白さがあります。
ピカソやダリの作品がどちらかといえば自分たちの"エゴ"の中に
入りきって独自の世界観を表現しているのに対し、
印象派の作品は現実の世界から"エゴ"の世界へ入りかけている過程を
描いてるように感じる。だから日常的で凡庸さを感じる一方で
どことなくぼんやりした幻想的なものも感じたりする。
いいアウトプットはいいインプットから。
素人なりにふとそんな風に感じました。
作品は絵画がメインですが他にも写真や彫刻、陶磁器なども多く展示されてました。
12分ほどのオルセー美術館を紹介する映像もありました。
2時間ほどじっくり鑑賞して最後にショップで図録を購入して帰りました~
2,500円とちょっと高めだけど。
展示作品のレプリカも売ってましたがレプリカでも10万くらいしちゃうんですね。
びっくり。
会期は残り3日。
行きたいと思っている人は急ぎましょう!
...週末でかなり混むでしょうけど。
朝一で行けば比較的空いてると思われます。