アニメは日本の文化という。
そのことを否定する気はないけれど、
マスプロ時代のスピード化、効率化の過程で生まれてきた
奥行きの浅い文化だと思う。
アニメを美術館で展示されても僕は見に行く気がしない。
以前ジブリアニメの美術担当だった男鹿和雄さんの展示を見に行ったけど、
あれはアニメの時間を止め、セルに載る前の絵自体に美術性があるから
成立したのだと思う。
だから政府が今度建てようとしている巨大なアニメ美術館みたいなものは
ナンセンスに思えてならない。
短い時間で、しかもメディアが思考のタイミングを握るようでは、
美術的な奥行きを持つのは難しいのではないだろうか。
情報量は多くなるけどそれ故に美術としての奥行きが薄くなってしまうのは
現代文化のジレンマではないでしょうか。
僕も昔はアニメが大好きだった。
今でもそんなに嫌いじゃないけどその熱は昔ほどじゃなくなった。
僕のアニメ熱はガンダムで終わった。
エヴァとデスノートは極力見ないようにしていたのだけど、
何の気まぐれか、少し疲れていたのか、
HDDレコーダに録れていたのをつい見てしまった。
見だすと止まらず、全部見てしまった。
それでももう、僕のアニメヒーロー時代が終焉していることに変わりはなかった。
一度三次元の魅力に気付くともう二次元の世界には戻れない。
二次元は単なる通過点になってしまう。
ヒーロー、ヒロインが子供、という点はガンダムと似てるなと思った。
子供を対象にしているから、というのはもはや正しい理由にはならないだろう。
いい歳をした大人がこれら子供のコスプレをしてそれがファッションとして
まかり通るセンスには正直ついて行けない。
さらに主人公が屈折した複雑な性格をしているところも似ている。
昔のヒーローもののヒーローは単純で正義感に燃え、熱かった。
現代の多様社会における複雑な人間の心情が
反映されているような気がします。
ガンダムと違っているのは敵は同じ人間ではなく、未知の生命体、となっていること。
この設定も人間の犯している罪を未知の生命体になすりつけ、
なんか逃避しているような気がしてあまり良い気分にはならなかった。
あと気になったのは非常事態応じて地下に格納されるビル群たち。
建築を学ぶ身として、今後の建築のあり方としてこういう形もあるんだな、と思った。
たかがアニメだろ、楽しけりゃいいじゃん、という人もいるかもしれない。
幼い子供が見るだけならそれでいいのかもしれない。
ただやっぱり文化として語るなら、社会性を持ったものであるべきだと思う。
現実になにかしらフィードバックするものがあるべきだと思う。
その意味ではこのアニメはとても逃避的な気がしてならないのは僕だけだろうか。
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