(出典:Wikipedia)
好きな彫刻シリーズ第四弾。
ベルニーニの「アポロンとダフネ」。
これも大学の授業で知りました。
恋する金の矢を射られたアポロンと、逆に相手を疎む鉛の矢を射られたダフネ。
追うアポロンと逃げるダフネ。
捕まりそうになったダフネは自らの身を変えることを望む...
...というギリシャ神話を表現したものですが、
自分が惹かれたのはその物語の内容ではない。
この彫刻のバランスがもたらす「調和」。
静止している像でありながら動きを感じさせる。
月桂樹になりかけているダフネをアポロンより上方へ置き、
アポロンの右手からダフネの両手へと流れる導線が
作品全体における対角線となっており、作品のバランスを保っている。
同時にこの導線が作品に動きを与える曲線になっている。
導線が作品全体に調和を与え、美しさを与えている。
いやはや素晴らしい。
(出典:Wikipedia)
好きな彫刻シリーズ第三弾。
ジャン・ロレンツォ・ベルニーニの「聖テレジアの法悦」。
(ローマ、サンタ・マリア・デッラ・ヴィットーリア教会堂コルナロ礼拝堂)
バロック彫刻の最高傑作。
神に魅入られた聖女が浮かべる恍惚の表情。
絵画でも十分美しい光景なんだろうけど、
彫刻という三次元がこの作品をさらに神々しいものにしている。
聖女の聖衣のひだ。
聖女と天使に降り注ぐ光の矢。
究極のエクスタシーがここにある。
(出典:Wikipedia)
「『おまえは鉄の武器をもってやって来た。わたしは主の御名においてやってきたのだから、おまえは主にいどむことになるのだ。今日、主はおまえをわたしの手にあたえられる。そしてわたしはおまえをたおし、イスラエルには神がおられることを地上のすべてのものが知るのだ』少年だ。ゴリアトは面食らった。唇がちぢこまった。恥をかかされた巨大な戦士の、不明瞭なうなり声がサウルにきこえた。あらたにわきあがった怒りにつき動かされて巨人は前にすすんだ。坂をかけおり、ダビデにむかっていった。若者の胸の高さに槍をかまえていた。そして右手にもった剣をふりあげた。サウルは立ちすくみ、巨人と同じように言葉も出なかった。しかしダビデは歩みの速度を変えることはなかった。投石器を頭の上でまわしはじめ、革ひもが風をきる音がした。音をたててダビデは石をはなった。石はゴリアトの頭蓋骨めざしてとんでいった」(ウォルター・ワンゲリン『小説「聖書」旧約篇』)
「好きな絵」ならぬ「好きな彫刻」シリーズ。
二次元より三次元が好きだから。
本来なら絵画より彫刻のほうが好きなはずなのですが、
好きな絵画より好きな彫刻が少ないのは、
やはり三次元での表現が難しいからだろうか。
ミケランジェロのダビデ像。
今なおその美しさは輝きを失われない。
つまりはこの頃から人間の外形は変わらず、美意識もそんなに変わってない、
ということなのでしょうか。