「桜」と一致するもの

特別名勝・岡山後楽園【岡山県岡山市】

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久々のブログの更新です。

じつは昨年11月に転職しまして、冬が忙しい職種ということもあって、
昨年10月末に出かけた旅行記もまだ残っていたのですが、
休みなしでどこへも行けないどころか、ブログを更新する間もありませんでした。

まだまだ繁忙期は続きますが、だいぶ時間の余裕が出てきたので、
少しずつ再開していきたいと思います。


昨年10月末の旅行記、岡山県の閑谷学校に続いては、
岡山駅近く、旭川をはさんで岡山城の北に広がる岡山後楽園に行ってきました。
江戸時代を代表する大名庭園の一つであり、
水戸偕楽園金沢兼六園と並ぶ日本三名園の一つでもあります。

本園は1687年、岡山藩主・池田綱政公が家臣・津田永忠に命じて1687年に着工、
14年の歳月を経て1700年に完成しました。
その後も藩主の好みで手を加えられたものの、江戸時代の姿を大きく変えることなく
現在まで伝えられており、昭和27年に国の特別名勝に指定されました。

ちなみに池田綱政は名君として名高い池田光政の嫡男であり、
津田永忠はその光政によって見出された家臣であり、
光政の命により備前市の旧閑谷学校の建設にも携わっています。


作庭当初は城の後方にあることから「後園」と呼ばれていましたが、
明治になって、「先憂後楽」の精神に基づいて造られたと考えられることから
「後楽園」と改められました。

人より先に憂える場所が岡山城で、人より後れて楽しむ場所が後楽園といったところでしょうか。
時の名君が、天下の楽しみに遅れて楽しむために作った庭園とはいかなるものだったのか。

この目でしかと見届けたいと思います。


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愛媛県にある3つの国宝建造物はすべて松山市内にあります。
今回は松山総合公園の麓にある大宝寺に行ってきました。

残る二つの太山寺、石手寺のような四国八十八ヶ所霊場ではありませんが、
空海の興した真言宗系のお寺です。

古照山薬王院大宝寺。本尊は薬師如来。
飛鳥時代の大宝元年(701年)に小千(越智)伊予守玉興により創建。
現在残っている本堂が平安末期の阿弥陀堂形式を用いて鎌倉時代の建立で、
愛媛県最古の木造建造物であり、国宝建造物に指定されています。

松山市のほぼ中心部にありながら周囲は閑静な住宅街であり、
境内もそれほど大きくなく、併設されている住職の邸宅のほうが立派に見えるくらい、
簡素ですっきりした構成でした。
お遍路巡りの寺に指定されていないこともあってか、参拝者は自分以外に誰もなく、
ひっそりとした雰囲気でした。

まあ、自分はお寺のそういう雰囲気が好きなのだけど。


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愛媛県美術館で開催中の培広庵コレクション展に行ってきました。

本展は培広庵コレクション75点に、
地元八幡浜出身の閨秀画家、河崎蘭香の作品15点を加えた全90点の美人画展です。

これだけの規模の美人画展を見るのははじめてです。
正直なところ、
美術館に行きだした当初は日本画、特に美人画はあまり好きなジャンルではありませんでした。
写実的で立体的・三次元的の西洋画のほうがはるかに魅力的に見えていたのですが、
最近では二次元の美人画も悪くはないな、と思えるようになってきました。

それが加齢による趣味の変化なのか、
たくさんの絵を見ることで良い絵に出会える確率が上がってきたのか。
たぶんその両方なのでしょう。

浮世絵の延長線上にあるようなデフォルメされた二次元の絵は、
ある意味現代アニメの原点のような気がします。
直接的なエロスを表現する、というよりは「仕草」で女性らしさを表現する。
そこに日本独自の美しさがあるのではないでしょうか。

それにしても謎多きコレクター、培広庵。
ネットで検索すると、コレクションの企画展の情報はたくさん出てくるのですが、
コレクター自身の情報はほとんど見つからない。
培広庵の読み方すら分からない。
(単純に音読みすれば「ばいこうあん」なんでしょうが)

彼のコレクションを常設展示する美術館はなく、普段は彼の自邸に置いてあるみたいですね。
(会場に自邸の写真が展示してありました)


花はただ咲く、ひたすらに。【初夏の花】

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早いものでもう5月も終わりです。

なんか今年の夏は暑くなりそう、とのことですが、
自分のところは山間部ということもあって、朝夕はいまだに肌寒く、
まだコタツを片付けられずにいます(さすがに電源は入れないけれど)。


さて、梅→菜の花→桜→藤と、一通り春の花を堪能した今年の春
インスタも花の写真が続きました。
藤が終わった時点で花シリーズも終わりかな、と思いきや。

最近は勤務明けに伊予市街を1時間のウォーキングをするのが日課なのですが、
藤が終わった後もいろんな花に出会い、花シリーズはさらに続き...

というわけで、本格的な梅雨や夏がはじまる前に伊予の街並みで見かけた花の数々をご紹介。


※タイトルは詩人・相田みつおの言。


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新居浜市美術館で開催中の東京富士美術館コレクション展に行ってきました。

本展は新居浜市市制施行80周年記念事業として開催されるもので、
古今東西の美術コレクション三万点を有する東京富士美術館の協力を得て、
東西の一級品65点が展示されています。
二部屋三部構成、と規模こそ小さなものだけれど、
なかなか濃いエッセンスが詰まった良い展示でした。
こんな田舎でこんな素晴らしい絵画の数々が見れるなんて驚きです。
(新居浜はそれでも愛媛の中では都会のほうなんですが^^;)

もう一つ驚いたのは作品が収められた額の豪華さ。
作品に風格を持たせるための額の重要性、というものを改めて感じました。

惜しむらくは展示品にかけられたガラスのカバー。
作品を保護するため、ということは重々承知しているのですが、
作品に映り込む自分の影が見える度に我に返って落胆してしまう。
それが作品の魅力を三割減じてしまっている。
額が立派なものだけに余計にそのことが悔やまれる。

カバーガラスの問題は別に本展に限ったことではなくて、
借り物で構成する企画展にはつきものの悩ましさ。
ここで思い出すのが2010年の横浜美術館でのドガ展
目玉作品の「エトワール」にもガラスがかけられていたのだけど、
正面から見るとガラスが消える。
特殊なガラスなのか、特殊なライティングなのか、はたまたただの気のせいなのか。
いまだに分からないけど。

いつかカバーガラスに悩まされずに気軽に絵画鑑賞ができる日が来るといいなあ。


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[谷上山(伊予市)の桜]


一昨年、昨年はいろいろといっぱいいっぱいでほとんど春の景色を撮れなかったのですが、
今年はまだまだ混迷状態が続くものの、だいぶ心に余裕ができたこともあって、
そこそこ出歩いて春の息吹を感じることができました。

というわけで、伊予路の春の風景をまとめてみました。

今年は例年に比べて全体的に花の量が少ないような気がしますが、
それでもやはり、色とりどりの花が次第に花を開かせていくさまは、
心がワクワクするものです。


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「古の人は民と偕(とも)に楽しむ、故に能く楽しむなり」(孟子)

東京でミュシャ展並河靖之展の二つの展示をはしごした後、急ぎ水戸へ移動、
駅周辺のホテルに宿泊した翌朝。

水戸で二つの展示をはしごする前に、偕楽園に行ってきました。
1月にNHKで放送された「ブラタモリ」をみて、行きたいなあと思っていたところに、
急遽決まった上京計画。
これはもう、行くっきゃない、と。

水戸の偕楽園は金沢の兼六園、岡山の後楽園と並ぶ日本三名園の一つで、
天保13年(1842年)に水戸藩第九代藩主、徳川斉昭公が、
「領民と偕(とも)に楽しむ」場にしたいと願い創設しました。

斉昭公は陰陽の調和の大切さに重きを置き、
陰陽の調和を図ることを「一張一弛」(弓を張ったり、弛めたりすること)を例にして示し、
勤労と休息の適切さが治世の要点であることを強調しています。
学びの場である弘道館に対する休息の場として偕楽園は創設されました。


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アール・ヌーヴォーの展示に続いてアール・デコの館へ。

3年ぶりの東京。
ミュシャ展終了後、同じく国立新美術館で開催中の草間彌生展を
限られた時間の中で少しでも多く懐かしい場所を回りたい、ということで
断腸の思いであきらめて、目黒の東京都庭園美術館へ。
並河靖之の超絶技巧の七宝の数々を見てきました。

自分は格別焼き物に詳しいわけではないし、
並河靖之という七宝家もこの度はじめて知りました。

それでもこの展示を見る気になったのは、
やっぱり東京都庭園美術館という懐かしい場所を訪れたかったから。
在京時代は、お気に入りの空間としてよく訪れました。
愛媛に移住後に新館ができたと聞き、また行きたいなあと思いつつ月日は流れ、
今回の展示が終わった直後から11月までのおよそ半年間、
本館のバリアフリー対応工事でまた全面休館するとのことで、
ミュシャ展と合わせて見ておきたいなあ、と。


「庭園美術館」というくらいなので、庭園が売りの空間なのですが、
一番のおすすめは旧朝香宮邸として建てられた本館。
現在は美術館となっていますが、当時のアール・デコ様式を色濃く残しており、
建物自体が大きな美術作品となっています。


残軀は天の赦す所・天赦園【愛媛県宇和島市】

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馬上に少年過ぎ

世は平にして白髪多し

残軀は天の赦す所

楽しまずんば是を如何せん

(伊達政宗)

馬に乗って戦場を駆けた若かりし頃は過ぎ、
太平の世となり、自分の髪の毛もすっかり白くなってしまった。
戦禍を生き延びることができたのも、天が自分を赦してくれたからであろう。
ならば余生を楽しまなくてどうするか。


宇和島城に続いて愛媛県宇和島市の天赦園に行ってきました。
宇和島藩の七代藩主・伊達宗紀(むねただ、号:春山[しゅんげん])が1866年につくった隠居所です。
池泉回遊式庭園であり、昭和43年に「名勝」の国指定を受けました。
「天赦園」という名前は伊達政宗公が隠居に際し群臣たちに示した述懐の漢詩に由来します。

宇和島へは2014年に一年間、職業訓練校にほぼ毎日通いました。
天赦園のそばも何度も通ったけれど、結局中へ入ることは一度もなかった。
近くにあっても意識できないものってたくさんあるんだな。


自然とともにある城・宇和島城【愛媛県宇和島市】

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愛媛県宇和島市内にある宇和島城に行ってきました。


宇和島へは2014年に一年間、職業訓練校にほぼ毎日通いました。
お城のそばも何度も通ったけれど、結局中へ入ることは一度もなかった。
近くにあっても意識できないものってたくさんあるんだな。

宇和島は海のそばの街なので、基本的に平野地形なのですが、
お城は鬱蒼とした森山の中にある平山城です。
松山城と同じく街のど真ん中にこんな森があったのか、という驚きがあります。


築城は1601年、藤堂高虎によってなされました。
その後高虎は今治に転封となり、今治城も築いています。
高虎転封後は伊達政宗の長子秀宗が1615年に入城、
二代宗利の時に天守以下城郭の大修理が行われ、1671年に完成、
その姿を現在にとどめています。

宇和島城の天守は松山城天守とともに現存する12天守のうちの一つであり、
県内に現存天守が2つあるのは愛媛県だけ。

愛媛県はこの2つのお城をもっと誇っていいと思う。