原宿は国立代々木競技場オリンピックプラザ特設会場で開催されている
シャネルのモバイルアートへ行ってきました。
シャネルというアパレルブランドにはあまり興味なく、
自分のお目当てはあくまでザハ・ハディドが設計したという仮説パビリオン。
日本にはザハの建築がない(...よね?)ので、
本イベントは彼女の建築を見ることのできるまたとない機会なのです。
本イベントは入場は無料ですが完全予約制で、
事前に指定日時のチケットを予約する必要があります。
けっこう人気があるらしく、
行こうと思ったときには会期一杯のチケットはすでに予約一杯に。
あとは当日予約キャンセル待ちで並ぶしかない。
大学の助手の人に誘われて朝9時から並ぶ予定でしたが寝坊して結局間に合わず。
会場に14時に行くとゲート前に20人ほどの行列。
せっかくここまで来たのだから、と並ぶことにしました。
1時間ほど待って、ゲートの中に入ることができました。
[ウェイティングルーム]
ゲートを入るとすぐ右手にウェイティングルームがあります。
ここで5分ほど待った後、簡単な説明を受けていよいよ会場入り口へ移動。
ドアの手前で数分待たされていよいよ入場。
クロークに荷物を預けると、係の人から音声ガイド用のMP3プレーヤーを渡されて、
いよいよツアー開始。
完全予約制の上、音声ガイドに従って見学するため混雑もなく、スムーズにに見て回れる。
しかしすべての人に半強制的に同じ時間配分とするのは
じっくり見たい人にはもの足らないんじゃないかな。
個人的には大げさな演出であまり好みじゃない内容だったのもあって、
自分としてはまあちょうどよい時間配分だったかな。
逆にもっと速いペースでもよかったくらい。
なんか大人向けのお化け屋敷、みたいな感じでした。
一番気に入ったのはアラーキーの映像作品。
モデルのお姉さんが半端なくキレイだった。
やっぱ男はエロティシズムに弱い。
嫌悪感を抱いたのが豚の入れ墨。
人間のエゴを動物に押しつけている感じが半端なく嫌だった。
なんといっても一番の興味は冒頭でも述べたようにザハの設計したパビリオン。
展示物もそこそこに会場内部の構造にばかり目がいってしまいました。
パビリオン、ということで明確に構造が分からせるようにはしてなかったけど。
流線型という全体のかたちが示すように流れを想起させる構造で、
各パーツの継ぎ目もただ接着部をむき出しにするのではなく、
流線型の穴で流れを止めないようにしてあるのが素晴らしいと思いました。
40分そこそこで見終わって最後にMP3プレーヤーを返却し、
大きな小冊子をもらって会場を出ました。
[大きな小冊子]
[中閉じを固定してなく新聞みたいにしてるところが面白い]
無料の割にはなかなか良い出来です。
実際の展示内容はともかくこの小冊子のためだけでも足を運ぶ価値はあるかも。
会場内は撮影禁止ですが外はOKなので写真撮りまくりました。
エントランス付近。
バックサイド側。
会場後部にあるトイレ。
会場とは打って変わって直線的。
ザハの建物をはじめて間近で見ましたが、
感想は未来的でかっこいいな、と思ったけど
はじめてザハの存在を知ったときほどの感動は薄れていた気がした。
奇抜で斬新ですぐにザハの作品だと分かる。
シャネルという今回のテーマには合ってる気はするけど
別の用途の建物としてもぜんぜん使える気もします。
つまりザハ、という建築家の個性はすごくはっきり出てるけど、
シャネルのパビリオン、という環境の目的にマッチしたデザインかどうかは
自分にはよく分からなかった。
エーロ・サーリネンの本を読んだばかりなのでそう思うのかもしれません。
「建築家の個性」よりも「建築の個性」を上手く表現するのが良い建築なのではないかと。
あとザハの建築は良くも悪くも未来的。
都市には似合うけど、田舎には似合わない気がする。
建築は長いスパンで評価されるべきだと思う。
長い時を経てその建築の存在意義が問われる。
過去を無視した建築ははたして長い目で評価できるものになるだろうか。
[代々木競技場と並び建つ]
もちろん実際の建築を一作品見ただけでザハの建築を否定する気はありません。
そしてまだまだ勉強不足です。
そしてモニュメンタル、という意味ではやはり好きな建築家の一人だし。
なにより否定からはなにも得られない。
どんなものにも悪い部分は無数にあり、良い部分も無数にある。
それなら良い部分をできるだけ多く抽出した方がいい。
...やっぱ建築って面白い。
tadaoh
2016年3月31日、ザハ逝去。
もはやザハの建築が日本に建つことがないと思うと、
国立競技場の件は返す返すも残念でなりません。
いろいろ批判はあったけれど、
結局のところ、ザハの能力不足というよりは、
クライアントの与条件があまりにお粗末だった、
の一言に尽きると感じます。
だって一時は未来的すぎて建てることができない、
と言われていたものがプリツカー賞をとるまでになった
建築家が無能なわけがない。
日本は技術は一流だがデザインは三流だ。
そんな烙印を押されたような気がして悔しい。
デコンストラクティビズムが日本で受け入れられないのはなぜだろう?
彼女の冥福を心より祈ります。
合掌。