おくりびと

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早くも地上波登場。

アカデミー賞受賞効果ってやつでしょうか。


チェロ奏者の夢破れ、妻と共に故郷の山形に戻ってきて
意味深な求人広告につられて就いた仕事は「納棺師」だった...

ひょんなことから納棺の仕事をすることになった主人公の目を通して、
死生観を考える。

アカデミー賞受賞作品だけに賛否両論があるようですが、
僕は良い映画だと思いました。

否定派の意見としては、
納棺師は日本の伝統でもなんでもない、
納棺は宗教儀式でもなんでもない、というものが多いですが、
別にこの映画は日本の伝統を表現したかったわけでも、
宗教色を表現したかったわけでもないと思う。


死は日常からかけ離れている。
心のどこかで死を恐れ、死を恐れている自分を恥じ、
そんな自分を隠すために死を穢らわしいものとして遠ざける。

...しかし遅かれ早かれ、死は誰にでもやってくる。


生きものはその生を全うすると死ぬ。
当たり前だけど。

金持ちも、貧乏人も、それは変わらない。
どんな立派な葬式を出そうが、路傍でのたれ死にしようが、一人寂しく孤独死しようが、
死んでしまえば心は消え、細胞は腐蝕し、やがては土に還る。

...生を全うした者のたどる道は皆同じだ。


死後の故人をどう葬るか。
それは故人のためではなく、残された人のために考えることではないだろうか。

生前に葬り方を故人が決めていたとして、
その約束を反故にされたとしても、
死人に口なし、いや、死人に心なし。
結局はそれは残された者が安らぎを得るための約束なのだ。
たとえ、それが死者への礼儀だとしても。


死は誰でにも訪れるもので、
恐れるものでも、恥じるものでも、ましてや穢らわしいものでもない。
それはごくありふれた、生者の最後の「行為」なのだ。

それを残された生者が納得するために、
故人を忘れないために、葬祭というものは行われるのではないだろうか。


元来、納棺は家族の手で行われていたとか。
朽ちていく身体を丁寧に拭き、キレイにおめかしをして黄泉の国への旅立ちを見送る。
故人の生きた記憶をできるだけ永く、鮮明に留めておくために。

生き残った者の、その後の人生をより良いものにするための手助けをする。
それが納棺師の仕事であり、誇るべき仕事だと僕は思う。


死に対する考え方一つで自分の人生の幸・不幸を左右するとも言える。
だから死生観はとても大切なもの。

考えても仕方ないことなのかもしれないけれど、
考えなければ人は幸せにはなれない。