こころ 【夏目漱石】

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ナツイチ特装版で蒼井優が表紙の『こころ』。

遠い昔、学生の時分に読んだ記憶があるのだけど、
今となっては感想までは思い出せず。

んでン十年ぶりに読んでみたわけですが...


この物語のタイトルは「こころ」以外にない。
描くことの難しい人の心の模様を見事に描ききっている、
そう思えました。

たぶん若い自分にこの物語を読んだときは、
「先生」のとった行動を軽蔑したと思う。
「先生」だけでなく、主人公の「私」、「先生」友人K、「私」の父親など、
この物語に出てくる男みんな軽蔑したと思う。

若い頃は「弱さ」をとかく軽蔑した。
自分が正しいと思うこと以外のすべてのものを軽蔑した。
自分の弱さも知りもしないで。
何が正しいかを知りもしないで。
頑固な性格だけに余計その思い込みは激しかったと思う。

でも今の僕には彼らを軽蔑する気持ちにはなれない。
弱さを知ったから。
自分が過ちを繰り返すことで、
人は誰でも過ちを犯すものであることを知ったから。


「先生」は言います。

「平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざと言う間際に急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油断ができないんです。」

いわゆる性善説です。
本来は人は善人で、「弱さ」が人を悪人にする。
人を傷つける人も、人を騙す人も、人を脅す人も。
弱いからそんなことをする。
強い悪人なんてどこにもいやしない。

悪行を一度もしたことがない人が一番の善人か、というとそれは違う。
それは「たまたま善人」なだけなのです。
言ってしまえば「ただの善人」なのです。
一見そういう人は運が良さそうに見えます。
しかし長い人生を生きていれば、
必ず一度や二度悪人にならざるを得ないときもある。
そういうとき悪を知らない、ただの善人は悪人になったことさえ自覚できない。
そして当然善人に戻る術も知らない。
そういう人間が果たして運が良い、と言えるでしょうか。

どれだけ「悪」を経験したか。
それによって元の善人に戻れる道が開ける。
「悪」を知ることで「善」が何かを知る。
それは知識だけではなく、経験することで
より深く、「本当に」知ることができるのです。

たくさん「悪」を知っている人は、たくさん「善」に戻る道を知っている。
ずっと「悪」でいるか、努力して「善」に戻るか。
それはその人の選択次第なのでしょう。

今でも弱いものは嫌いです。
でも「弱さ」を知ることで「強さ」を知ります。
対極にあるものを知ることで自分がどちらにいたいのかが分かります。
誰も「弱くありたい」と思う人はいないでしょう。
強くあることが幸せになれる道であることは誰でも知ってるからです。


この物語では誰が悪者で、誰が良い者かを決めることが主題ではないと思う。
登場人物たちが見せる弱さをどう受け取り、自分が強くなるためにどう生かすか。
そこが大切なのだと思いました。

「先生」がとった行為は必ずしも、極悪非道な行為ではないと思います。
ちょっとした弱さが正しい選択を見失った。
それが読む僕たちの心に「弱さ」や「悪」が身近にあることを教えてくれる。

「悪」を知り尽くした上で「善」で居続ける。
それが一番の善人ではないのでしょうか。
しかしそれが至難の業で、まさに「言うは易し、行なうは難し」、です。


だからみんな悩むのだと思う。
でも悩めるだけ僕等は幸せ。
もっと幸せになるチャンスを持っているのだから。