MASTERキートン第5巻。
Amazonではオリジナル版はおろか新装版さえも
買えなくなってますね。
今なお人気のコミックということでしょうか。
全巻オリジナルをもっているとけっこうなプレミアになるのかな...
いまのところ売る気はさらさらないけどね。
なんたって僕にとっては人生の書ですから。
さて、今回のピックアップストーリーは。
Chapter3「無関心な死体」
今回は2つのポイントをピックアップ。
まず最初のポイントは人生訓というよりは、
今の僕の状況にスゴク共感した部分。
ロンドンの人通りの往来で、倒れている青年。
しかし彼にさしのべる手はなく、雑踏の中にいながらして、
誰にも気づかれず息を引き取る...
青年の母親に依頼で青年の死因を調査するキートンと、
事件を取材する女性キャスター、アリスとのやりとり。
まずキートンと出会った直後のアリスの台詞。
その後事件が解決に向かい、
二人で並んで歩いてるときのキートンの台詞。
晴れ上がる空。
[ネットで拾ってきたロンドンの空]
二人が見た空もこんな感じだったのでしょうか...
そしてキートンのひとこと。
都会は魅力がいっぱい。でも危険もいっぱい。
だから無関心の鎧で身を固める。
それは人間の「逃避本能」。
でも時にその本能の鎧が人を傷つける。
そして鎧が厚くなればなるほど自分自身が身動きできなくなる。
その鎧の重さに耐えきれなくなって倒れたとき、
助けてくれる人がいるのだろうか。
そう考えるとコワクなる。
でも毎日が晴れ空なら晴れ空のありがたみは感じないだろう。
たまの晴れ空だから感動がある。
結局のところ、自分の居場所は環境で決まるもんじゃない。
自分の「芯」が居場所を決める。
アリスの「でも、いつかきっと故郷に帰るの。」という
気持ちも分かる気はする。それはきっと人間の「帰巣本能」。
田舎に生まれた僕は田舎に帰るべきなのか。
2つ目のポイント。
青年の過去を知る神父の言葉。
アリスの台詞。
人を傷つけまい、と思っていても時に人を傷つけてしまう。
知らず知らずのうちに傷つけることもあるのならば、
僕らはいったいどれだけ他人を傷つけているのだろう...
そう考えるとなおさらコワクなる。
生きるって難しい。
でも生きることにけして失望してるわけではありません。
その難しさが、「楽しさ」だと思える。
それは生きることに「希望」を持っている、ということではないでしょうか...
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