家栽の人 (5)

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今の家に住み始めて1年以上。
近所に図書館があって、毎日その前を通るのだけど。

はじめて利用登録をして。
最初に借りた本がこれ。


ちょっと風変わりな家庭裁判所の判事を中心として、
さまざまな人間模様を描いた物語です。
ここでタイトルにちょっと注目。
家庭裁判所だから略して「家裁の人」...?

しかし目をこらしてよく見ると...
裁判所の「裁」ではなく、植物栽培の「栽」なのです。

これは主人公の桑田判事が無類の植物好き、
ということにかけているわけです。


彼はいつも物静か。
およそ悩む、慌てる、などといった言葉を知らないかのように。

彼は言います。

  「判事の仕事に必要なのは静かな心だけですよ。」


静かな心...
今の僕には最も手に入れることが難しいものなんですけどね。

静かな心があれば見えてくる大切なものたち。

「いくら判事でも人生経験が少ないうちはそれを自覚して・・・」「人生経験だけで新しいものは作れないんじゃないですか?」

歳をとってくると経験だけがその人の価値を決めるなんて思うようになる。
それは時に年下の人間に対して傲慢になったりする。

「心の中の出来事を裁く法律はありませんよ。報いが必要なのは本当の罪だけです。その人が一生罪を持ち歩かなくていいように・・・」

善悪の判断は誰がするのか。
裁きは誰のために、何のためにあるのか。

「自分の牙を見せてないと不安になるんだ。...君の暴力なんて、草一本殺すこともできないんだよ。」

弱いものほどよく吠える、ってこと。
ブログを書きまくる僕も相当な弱者なんだなあ。

「あの息子は母親を忘れることで生きてきたんです。...」「あなたもあの母親が憎いんですか?」「そうかもしれません。私の母親もきっとあんな女だったと思います・・・ 誰だって自分を捨てた人間をかばうほど偉くはないはずです・・・」「毎日捨てられて・・・毎日恨んで・・・ 人はそんな風に生きるんですかね。」

人を恨んでも。そこからプラスのエネルギーは生まれない。
感情に流されているとなかなかそのことに気づかない。

「愛し方がヘタだからと恥じることはありませんよ。愛せないのに恥じない人のほうが多いんです。」

愛された記憶がない人間に愛し方は分からない。
どんなにヘタでも愛すれば相手にはその全部出なくても一部でも伝わるもの。

「仕事で人の値打ちが決まるのなら、私たちは一生奴隷なんですね。」

仕事は大事だけど。
それで人の値打ちの全てが決まるわけじゃない。

「君はあのシャラ(盆栽)の木の良さがわからないと言ったよね。」「はい。」「名木と普通の盆栽なんて小さな差なんだよ。...ただ、あのおじいさんはその違いをわかるために何十年も目を光らせてきた・・・ あのシャラが何かを言うんじゃない、あのおじいさんが感じることができるんです。」「オレが・・・ 自分の力でそういうものを探せばいいんですね・・・」

モノが人を選ぶわけじゃない。
人がモノを選び、感じるんだ。

「裁判官に男と女の適性があるでしょうか?」「さあ・・・私は裁判のことはよく分かりませんから・・・」「誰にでも分かります。ここは男と女が半分づつ息をしている国ですよ。」「・・・」「自分を女の裁判官だと思うから、男の人が自信たっぷりに見えるんでしょう。判事の仕事に必要なのは静かな心だけですよ。」

男女の仕事の適性なんて、ある程度はあるのかもしれないのだろうけど、
最後の決め手は...やはり「自分が本当にやりたいか」ということに尽きる。

「私達が少年に対してできることは小さなことです。だけどその小ささを恥じて、それをしまい込む人が多過ぎるんです。」

小さなことの積み重ね。
それがより大きなものを生む。


MASTERキートンばりに人生訓を教えてくれる本です。
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