ぼくを探しに 【シェル・シルヴァスタイン】

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大学でもぼちぼち友達ができはじめました。
ここでもぼくの人運の良さが発揮されているらしく、
僕に寄ってくる人は少ないけれどたいがい良い人ばかり。

その友達が本を貸してくれました。
その友達は僕より一回り以上も年下なのですが、
この本が小さい頃からの愛読書だとか。
とてもユニークで素晴らしい感性を持っているようです。

美大にはユニークな人がいっぱいです。
だから楽しいんだけど。

シェル・シルヴァスタインの「ぼくを探しに」と、
その続編「ビッグ・オーとの出会い」の二冊。

まず「ぼくを探しに」から。
一部分が欠けたパックマンみたいな「ぼく」が、
自分の欠けた「かけら」を探しに旅に出る。

文章は子供でも読めるような簡単なもの。
それでいて、大人がしっかり読むことができる。

原題は「The Missing Piece(失われたかけら)」。
人はいつも自分に欠けたものを探して旅してる。
それは自分の中の感性だったり、自分のパートナーだったり。

せっかく見つけたと思ってもそうじゃなかったり、あとからそうでなくなったり。

でも結局は「欠けている自分」こそ本当の自分だってこと。
だってなにも欠けていない、完璧なものは神様であって、人間じゃない。
欠けたままであっても、それでも僕らは転がり続けなければならない。
立ち止まっていちゃあいろんなものが見れないし、
自分自身の形も変えようにも変えられない。

転がり続けなきゃ、ね。

さて、続編は...

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初作が「なにかが欠けたぼく(パックマンもどき)」のほうが主人公だったのに対し、
続編のほうはかけら(Piece)が主役。
いわゆる発想の転換、ってやつでしょうか...

自分にないもの、かけら自身の視点というのはどういうことなんだろう?
自分を主体にして考えると、自分が探してるものはあくまで「もの」というように
考えてしまう。でもよくよく考えるとそうとは限らないんだよね。

それは感性だったり、感情だったり、能力だったり、別の人間そのものだったり。
それらは人間の中にあるものだからやはり転がり続け、
時としてその姿形を変えたりするもの。

ビッグ・オーとは欠けたもののない、完璧なもの、つまりは神様。
リアルな存在としてはこの世界には存在しないけれど、
僕らがなにか欠けたものであることを知るために、
ビッグ・オーは僕らの意識の中にあるのかもしれない。

僕らが意識するもの全てが変容するもの。
それをあらかじめ意識してこそ人は変化に対応できるのでしょう。

でも変化を予測するのは難しい。
その難しさがすなわち人生の難しさ、ってことなんだろうね。