MASTERキートン (4)

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僕の物語は漫画からはじまった。
漫画王国ニッポンならそういう人間は珍しくないと思う。

僕の実家は僕が幼少の頃は喫茶店を営んでいて、
僕たち兄妹は学校が終わるとその手伝いをよくさせられたものだ。
そのためあまり学校の友達と遊ぶ、ということもできず、
その頃の唯一の楽しみは、喫茶店においてある漫画を読むことだった。

その漫画を読んではよく空想(妄想?)したりした。
小遣いはだいたいコミック本の購入に充てられた。

  ・「コータローまかりとおる!」
  ・「はじめの一歩」
  ・「バスタード」
  ・「めぞん一刻」「らんま1/2」
  etc...

高専を卒業する頃には数百冊以上にも及んだと思うが、
就職と同時にリアリストの門を叩いた僕は、それらをほとんど処分した。

しかしなかには捨てられずに東京に持ってきたものもある。
そしてそれらは今も僕の手元にあり、時々思い出したように読んでみたりする。

それが浦沢直樹の「MASTERキートン」「パイナップルARMY」。
この二作はどちらも原作は浦沢さんではありません。
(キートンは勝鹿北星、パイナップルは工藤かずや)
最近のお気に入りである「PLUTO」も原作は手塚治虫。


キートンとパイナップルを捨てられなかったのはそれらが「リアリズム」を持っているから。
「人生とはなにか?」を教えてくれる人生のバイブルだから。

そんなバイブルをなぜ今までこのブログで紹介してこなかったのかよく分かんないけど。
僕的に気に入った人生訓を引用しながら今後紹介して行きたいと思います。

いきなり4巻からはじめるのはランダムにピックアップしただけでとくに意味はありません。
今後もランダムに、不定期にピックアップしながら随時紹介していきます。

『Chapter1 喜びの壁』より

Mr.ベインの悩み。

「人間は一人一人が孤島だと、ライアン師は言った・・・。四年前、俺は女房を病気で亡くした。すべてをわかり合える、そんな女だった。彼女が死んだら生きてはゆけないと思っていた。だが亡き骸にすがって一晩、悲しみにくれたあと、俺は平静を取り戻していた。普通に食事をし、眠り、時には笑いさえした・・・ 体の一部とすら思っていた彼女も、ちょっと親しい友人と同じだった・・・ 結局、俺は俺自身が死ぬこと以上に、悲しいことなどなかったんだ。俺は世界で、己を一番愛している、この卑しい自分を責め・・・ 自分以外の人の心に入っていく気のない俺の冷酷さを責め・・・ 浴びるほどの酒を飲んだ。

それに対するライアン師の答え。

「なぜ悩むんだね、人間は一生他人の心などわかるはずもないし、人の死を本当に悲しむこともできはしない。あなたが奥さんを愛していたのは本当のことだ。それは、あなたの中にあるからだ。でも奥さんがあなたを愛していたかは、あなたの思い込みだけで、本当にはわからない・・・ ましてや、わかり合っていたなんて幻想にすぎない。人間は一生、自分という宇宙から出られはしない。自分の中に描いた他人と共に暮らし、ドラマを作り、泣き、悲しみ、死んでゆく・・・ いや、これは人間だけではない。鳥や獣もそうかもしれない。

再びMr.ベイン。

「神に仕える身のあなたが、そんなことを・・・ 真実だとしても、それは悲しいことですね。愛する人が感じたことを、同じように感じたい。」

再びライアン師。

「しかし人間はこの宇宙よりもずっと広大な宇宙を持っている・・・ あるいは私の言ったことの方が幻想で、人間は本当には、通じ合っているのかもしれないよ。」

Mr.ベイン。

「どうしたら本当のことがわかるのでしょうか。」

ライアン師。

「聖フランチェスコのように、奇跡を見るしかないな。」


物語の結末。
Mr.ベイン。

俺たちは生き、一人で死んでゆくが、この一瞬、この場にいる生き物だけは、自分の宇宙を抜け出して・・・ 同じことを感じている。」

彼らがどのような奇跡を見たのかは本作を読んで確かめてほしいのですが、
肝心なことは結局、同じことを感じるために僕らは日々努力をしてるんだ、ということ。
そして同じことを感じる、ということが真の幸せであり、
それ自体が奇跡だということを自覚することなのではないでしょうか。