プロセス・アイ 【茂木健一郎】

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プロセス・アイ: 「私が私でいることの過程」

「私」はなぜ「私」なのか。
誰もが考えることだけど誰も明確な答えなど知らない。
そんな究極の「心」の物語。

「クオリア」で有名な脳科学者、茂木健一郎初の小説作品。
科学者が書く物語だけに論文みたいに難解なのかなーと
心配しつつ読んだのですが、読んでみると意外と読める。
そりゃ中には難しい表現もあったけど、
ちゃんとストーリー性もあって面白かった。

時は近未来、近い将来このようなことが現実に起こっても
おかしくない、というリアルな設定がまた面白い。

どんなに科学が進んでも科学は万能ではない。
科学の全てが全ての人々に幸福をもたらしてくれるものでもない。
それが分かっていながら愛を失ったグンジは
「究極」を求め科学にすがる。
それが悲劇のはじまりだった...

「自分とはなにか?」一度でも考えたことのある人には必読の一冊。

この世界観をビジュアル化するのはちょっと難しいと思いますが、
ビジュアライズした世界をぜひとも観てみたい。
ソニーつながりでソニーピクチャーあたりで映画化しないかなー...

僕がこの物語で感じたクオリアは...


  『科学の力で顔や身体の特徴は簡単に変えられる。
   だからそこに個性はなく、「私」という意識は結局
   「透明でぶるぶる震えるゼリー状のもの」
   なのかもしれない...』


とても危険な考え方だと思った。  
こんな考え方をするから最後に悲劇が待っていたのだと思う。

科学で実現可能ならば、全ての個人のパーソナリティは失われるのだろうか。
違うと思う。
「私」という意識は意思一つでどのようにも説明できるもの。
本来顔はもちろん手も足も皮膚の一つ一つの細胞をみても
その姿形からDNAレベルまでみても皆それぞれ違うもの。
たとえそれが科学の力で変えられるとしても、
自分の意思の及ばないところを変えてはいけない。

「変えない」ということを「選択」する確かな道もあるはず。
それが人間の尊厳を守ることではないのか。
できるならなにをしても良い、というのなら、
人を殺すことができるから人を殺しても良い、ことになる。

僕のこの顔も手も足も筋肉も脂肪も。
全部「私」を構成するすべて。
たとえ意識がニューロンの相互作用で発生する
電気信号みたいなものだとしても。
身体から離れて「私」は存在し得ない。

全てを科学で説明することが正しいとは僕には思えない。
とくに自我の壁を越えることのできない(越えるべきでない)
「心」については簡単に踏み入ってはいけない領域だとさえ思う。

何より僕は「心」については「直感」を信じたい人間なので
「心」を科学という見地からアプローチしたくないのかもしれない。
もちろん僕がそういう「選択」をしているだけであって、
心理学者、脳科学者全てを否定するわけではない。

うーんデリケートで難しいテーマだけに
上手く表現できないけれど、
以上が僕がこの物語から受けたクオリア...かな。