白夜行 【第4話】

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第2話目で「なんかつまらなくなった」とコメントした「白夜行」。
が、結局その後4話目の現在まで見続けています。
これもひとえに原作の強烈なイメージとスゴ録のおかげ。

この物語は僕の心の奥底にある闇が捉えてはなさない。

信じることはパワーを生む。
疑うこともまた然り。
しかし信じることも疑うこともしない、ということは「無」なのだろうか...

信じることはパワーを生む。
宗教がそのいい例だ。
疑うこともまたパワーを生む。
検事や刑事はそれがなければ成り立たない職業だ。

結局なにが正義でなにが罪悪かなんて
絶対的に定義するものなんてない。

法律を守っていてもろくでもない人はごまんといるし、
誠実な心を持った人が刑務所に入ってることも少なくない。
法律なんて所詮社会の中の「ルール」にすぎない。

信じていたものに裏切られる、ということは
信じることで得られたパワーをただ失うだけではない。
信じる前のゼロの状態に戻るのではなく、
そのパワーの分だけマイナス、つまり傷つけられるということだ。
それはとてつもなく悲しいことで、人をダメにする。
だから人を信じるには勇気がいる。

なにが正義でなにが罪悪か分からないこの世の中で、
いったいなにを信じればいいのか。
これほど人に答えを求めることが愚かな問いはない。
自分の中にしか答えはないと分かっているくせに
その答えが自分で見つけられないとき、人は外界にすがる。
そこにこの物語が社会に存在する理由がある。

「隙を見せたほうが負けなのさ」

リョウが言ったこの一言で奈美江が救われた、
という気持ちが少しだけ分かる気がします。

信じることも疑うこともしない、
それは感情を鈍くしたり、社会から逃避することではない。
そういう逃げ方は本能が自然と行なう行為に過ぎない。
人の意思に敏感でいて、
それでいて信じることも疑うこともしない。
それは裏を返せば信じることも疑うことも意のまま、ということ。
一種のパラドックス。そして東洋思想でいう「無我」の境地。
究極の強欲は究極の無欲。


「隙を見せたほうが負けなのさ」

皆さんはこの言葉をどのように捉えますか?