大学4年次がスタートしました。
いよいよ大学生活最後の年。
いや、「大学生活」最後ではないな。
「この大学で最後の」、というのが正解か。
この学校を卒業することは、「学び」の終了ではなく、はじまりに過ぎない。
しかし、その卒業でさえ、一時はあきらめかけた。
学業に集中するにはあまりに時勢が悪すぎた。
学資は底をつき、借金をしてまで大学に残って学ぶことに意味はあるのか、
何度も自分に問い、先生や友人に相談した。
その結果、僕は卒業することを選んだ。
多くの人に助けてもらいながら。
しかし、まだ僕の途上には暗雲が立ちこめている。
まだ、見えない。
まだ、迷う。
この大学で建築の魅力に出会った。
しかし、この大学に建築のカリキュラムはなかった。
かといって、いきなり理系大の建築学科に入る、という選択肢もなかった。
美大の中だったからこそ、僕は建築の魅力に出会えた。
僕は急ぎすぎたのかもしれない。
まったく別の分野から転じ、建築の素養はほとんどない上に遅いスタート。
一人ではできず、複合要素の絡む複雑な分野である上に、
現在建築士は余剰状態にあるという。
常識から考えれば、若いうちから王道を歩む若者に、
一介の不器用中年が立ち向かうことなど相当無理があるのは分かっている。
しかし、僕は思うのである。
建築士は余っている、というけれど、いまの建築界は安泰なのだろうか、と。
いまの建築が成す街は、都市は幸福なのだろうか、と。
周囲の建物や街を見わたしてみても、
感動するものより、落胆するもののなんと多いことか。
建築士だけの問題ではなく、社会の構造の問題もあるのかもしれない。
とにかく、人は溢れているとはいっても、
なんとかすべき課題が山積しているように思えてならないのである。
そこに自分の感性が入り込む余地があるような気がするのである。
ただ、どのようにして、と問われると今はまだ言葉に詰まる。
それを見つけるためにはもっと学ばなければならない。
学びはそれを必要としている現場で体験するのが一番である。
しかし、いまはキャリヤのない者が現場で学ぶ余裕のない時代である。
必死になれば一つくらいは見つかるかもしれない。
しかし、まだ僕はそこまで踏み切れない。
そこまでの覚悟がない。
効率が悪い、と分かっていても、もっと学びの場で学びたい。
どうせ遅いスタートなのだから、自分のペースでじっくり学びたい。
いま、僕に必要なことは、素材の特性を知り、モノの構造を知ることである。
この大学では主に関係性(デザイン)を学んだ。
いまや関係性はただそれだけで一つの学問になるほど複雑化しているのも事実。
しかし僕は関係性の専門家になりたいのではなく、形の専門家になりたいのだ。
別に空間という漠然とした、目に見えないものに惹かれているわけじゃない。
あくまで興味があるのは、「形」である。
触れることのできる「形」である。
モノの存在を誰かに伝えるための構造である。
ただ、どうせ造るのなら、スケールの大きなものを創りたい。
単純な男の心理である。
ポートフォリオを友人などに見せても、評判がいいのは、
空間系よりも、プロダクト系。
まずは自分のできるところからアプローチしよう。
...こう考えてきてようやく卒業制作のテーマが見えてきた。
まずは自分のイメージできるスケールで「モノ」の形を考える。
そしてその「モノ」を置く環境を考える。
そうすることで「モノ」そのものと、
それが存在するための空間を同時に考えることができる。
...のではないだろうか。
じゃあその「モノ」とは具体的には何か?
それがまだはっきりしないのだけど。
今思っているのは、「階段」「遊具」「照明」あたりか。
翌日は履修登録説明会。
何かまた目新しいことでもあるのかと思いきや、
4年生だから単位不足で卒業できなくならないように
ちゃんと履修登録するように、との念押し。
係の人が説明している最中で、前でも後でもぺちゃくちゃおしゃべり。
それがマナー違反であることも、周囲に迷惑をかけていることの意識もない。
出席すればそれで良し、とでも思っているのだろうか。
ならばあえて言おう。
人に迷惑をかけるくらいなら、出席しない方がまだましである。
しゃべりたい盛りなのは分かるけれども、
デザイン云々を云う前に、もっとマナーを学ぶべきであろう。
あたりまえのことができなければ、新しいことなどもっとできやしない。
...おっと、人のことをとやかく云う前に自分のことだ。
ここは人を非難するのが目的ではなく、
自分の考えを整理する場所なのだから。
とにかく、頭を動かし、手を動かそう。
より良く生きるためには、まずは生きねばならない。