今週は4年生の卒業制作最終発表です。
各専攻ごとの発表となり、月曜日はスペースデザインと映像デザイン、
そして火曜日の今日はプロダクトデザインコース、
明日、明後日がビジュアルデザイン、デジタルデザインの発表となります。
僕ら2年生は基本的には授業のため見ることはできないのですが、
昨日今日が作業日に割り当てられたので昨日は少し、
今日は全作品を見ることができたのでした。
しかし...
見終わった後、なんとも言えない、
のどになにかが突っかかるような後味が残った。
...そしてちょっとした混乱に陥った。
別に各発表作品の善し悪しをここで言いたいわけではありません。
1年間かけて頑張ってきた学生たちの作品について、
同じ学生の身としては善し悪しを決めつけて評価したくはありません。
今の時点で僕は今後の道を決めた。
建築の道に進むことに決め、さらに建築構造について学ぶことを決めた。
そのために本来のルールを破ってまで学校に専攻の変更を嘆願した。
その気持ちはもちろん揺らぎません。
コース変更が受け入れられなかった場合は退学も視野に入れているけど、
基本的にはこの大学での最終成果物である卒業制作に取り組み、
きちんと卒業したい、という思いも強い。
大学院へ行くための学位取得、という目的もあるけれど、
一番には「心のけじめ」というものがあるのだと思う。
実はすでに自分の卒業制作のテーマについて
なんとなくやりたいものが見えてきています。
内容については今ここでは詳しく書きませんが、
分野的にはスペースデザインになると思います。
だからなおさらスペースデザインコースに行きたい気持ちがあるわけで。
ただ、昨日今日の発表を聞いて、なんか分からなくなった。
自分がやりたいこと、というよりは学校はこの卒制になにを求めているのか。
ただ単に学生がやりたいことをやればいいのか。
それとも自分の作品の社会での位置付けをアピールすべきなのか。
たぶんそれは学校や先生ではなく、学生自身が決めるべきことなのでしょう。
その辺のことを考えると混乱してしまう。
やりたいことは分かった。
しかしそれをすることで僕は社会になにをアピールしたいのか?
...その辺がまだ明確に答えられない。
まだまだ考えを整理する必要があるようです。
でもまあなにがやりたいかも見えなかった入学当時に比べれば、
今の状況は格段に進歩したと言える。
しばらく情報のインプットは控えた方がいいのかな。
でもそうすると独善的にならないだろうか。
「子曰く、学びて思わざれば、則ち罔(くら)し。
思いて学ばざれば、則ち殆(あや)うし。」
ああ、混乱する。
でもこの混乱が自分を大きくしてくれる気がする。