八王子で「造園学」という授業を受けてます。
日本庭園について学ぶのですが、
講師は枡野俊明、という住職でありながら造園家という一風変わった先生。
いつも作務衣に草履、という出で立ちで授業してます。
そして住職だけに話が上手い。
日本庭園の魅力を分かりやすく、飽きのこない口調で語ってくれます。
その枡野先生が手がけた庭の一つである、
渋谷のセルリアンタワーの日本庭園『閑坐庭』を見に行きました。
渋谷駅から徒歩5分。
立派な外観です。
最初クロスタワーと勘違いしてました。
地下には能楽堂があるみたいです。
催し物が開催中で中には入れなかったけど。
ホテルのフロント。
お目当ての庭があるロビー。
楕円が配され、その中央に正方形の鉢が置かれ、緑が生けられています。
画面右側にカフェがあり、庭はカフェの窓から鑑賞します。
庭はあくまでガラス越しに鑑賞するためだけのもので、
庭を歩くことはできません。
が、庭のそばまでは行くことができます。
外に出てすぐの石の円柱。
竹の結界が置かれています。
結界はこの先は聖域だから入ってはいけないよ、という目印。
これも授業で聞かなかったら乗り越えて入ってたな...
結界手前からの眺め。
水辺で水が波打つ様子を枯山水で表現している、のだとか。
世界には「森の文化」と「砂の文化」の二種類の文化が在るそうです。
ヨーロッパやイスラム圏はイスラエルに端を発する「砂の文化」。
砂漠は食料が少なく、危険が一杯だから
人々は頻繁に移動し、すぐに逃げられるように靴、イスが生まれた。
一方日本は「森の文化」。
森は食料が豊富で安全だから、人々は定住し、靴も履かず、
地面に直接座る。
西洋人はあちこち歩きながら直接的(論理的)にものごとを考え、
日本人は地面に座って暗示的(精神的)に考える。
庭園のあり方も2つの文化の差が現れるとか。
ただ思うのは、「見るだけの庭園」と「中に入って空間を感じる庭園」。
どちらが良いのだろう?
枯山水は前者です。
精神性を重んじるが故に、暗示を重んじるが故に
直接庭に触れることはできない。
「心」で感じろ、ということ。
禅の教えはなんとなく分かる。
森の文化が持つ暗示性、というのも。
でもやっぱり僕は触れたい。
触覚が暗示するイメージ、というのもあるはずだ。
ただ「見る」だけなら、グラフィックじゃないか。
せっかく三次元で構成しながら、二次元でしか見れない、なんて。
これほど「もったいない」ことがあろうか。
繊細な空間に人がずけずけ入り込むべきではないとも思う。
でももう少し結界を守りながらも
空間を感じることができる構成もあるのではないだろうか。
...未熟ながらもそんなことを考えてしまいました。
お次はカナダ大使館。
ここの庭もなかなか面白かった。
造園学の授業で用いた教科書。
(ただし、セルリアンタワーは掲載されてません)
【Information】オフィシャルサイト