研究室で借りたDVD。
世界で一番有名な建築家、フランク・ロイド・ライト。
コルビュジエ、ミースと共に近代建築の三大巨匠と称される。
彼は紛れもない天才芸術家であり、
その建築は見る者を魅了する。
しかしこのDVDはライトという人となりを好きにさせる作りにはなっていない。
「彼が作った建築は確かに素晴らしい。
でも人格はちょっとね...友達にはしたくないタイプだね」
このDVDを見た人はたぶんこう思うんじゃないだろうか。
女ったらしで家庭を省みず、
自らの天才ぶりを豪語して常に注目されていなければ気がすまない。
たとえ才能があろうとも、誰がそんな人を好きになるだろう。
しかしそれでも僕はライトとその建築を好きでいたいと思う。
建築は建築家の思想を表現するものだから。
彼の建築はやはり素晴らしいと感じるから。
グッゲンハイムや落水荘、マリン郡庁舎は本当に美しい。
フランク・ロイド・ライトという人を表現するものは
彼の生き方や人生ではなく、建築そのものなのでしょう。
だからこそ彼は巨匠なのであり、今なお建築界に絶大な影響を与え続ける。
本DVDは第1黄金期を紹介する第1部と第2黄金期を紹介する第2部の2部構成。
彼の建築を紹介する、というよりは彼の人生を紹介することにより
フランク・ロイド・ライトという人となりを明らかにする、という側面が強く、
デルファイ研究所のDVDに比べると建築的なアプローチは弱い気がします。
彼の建築の思想を知る、という点では今一歩物足らなかった。
ライトの人生については谷川正巳さん著のSD選書のレビューで
書いているのでここではあえて書きませんが、
もっとも優れた建築家であると同時に、
もっともダイナミックな人生を送った建築家でもあります。
三度の結婚、不倫による逃避行、使用人に最愛の家族を惨殺されるという悲劇...
しかしこのダイナミックな人生が彼の建築を豊かなものにしたのかもしれません。
建築作品は現地まで足を運んで実物を眺め、その空間に足を踏み入れることで
その真価が理解できるものだと思いますが、
全ての建築に対してそのような機会が与えられるわけでもない。
今のところNYのグッゲンハイム美術館と池袋の自由学園しかまだライトの空間に足を踏み入れていない。
だから言葉によるその思想の伝達がとても重要になるわけで。
ライトの著書「建築について」(SD選書)を読もうとしましたが、
コルビュジエ以上に読むのが難解で下巻のはじめで挫折してしまいました。
だからライトの建築思想について言葉の面からアプローチしようにも
「プレーリーハウス(草原住宅)」、「有機的建築」というキーワードを思い浮かべるくらいで
僕にはまだ彼の建築思想を言葉で整理できない。
あれだけ多くの優れた建築があるにも関わらず、
コルビュジエやルイス・カーン、I.M.ペイのように明確なビジョンが見えない。
ただ、感覚的に彼の建築は「素晴らしい」と感じるけど、
それだけでは単なる建築ファンに終わってしまうし、それは嫌だ。
感じた感覚を理性で整理できなければ、
自分のオリジナリティというものは生まれてこないし自覚もできないと思う。
...じっくり時間をかけて研究するに値する建築家なのかもしれない。
彼が建築界に残した功績はあまりに大きく広範囲だ。
天才の考えることを凡人が理解するのは難しいことなのかもしれないけど
それでも彼から学べることは多い気がする。
第2部の最後のライトへのインタビュー。
レポーター(以下"R"): 「死を恐れますか?」
ライト(以下"W"): 「全然怖くない。死は最高の友達だ。」
R: 「自分は不死身だと思いますか?」
W: 「もちろん。今まで私は不死身だった。これからもそうだろう。
年齢的に若いということに意味などない。まったくね。
だが若さは資質であり失われはしない。
それが不死身ということだ。」
R: 「有り難うございました。」
W: 「興味を持ってもらえたならいいが・・・」
R: 「もちろん」
W: 「そんな確信はないがね」
そう言って笑う晩年のライトの姿に彼の信念と思想が垣間見えた気がしました。
世間の評価なんてくだらない。
問題は自分がどう捉えるかだ。
そうじゃないか?