I.M.Pei First Person Singular【DVD】

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[ルーブル、ガラスのピラミッド]


デルファイ研究所の現代建築家DVD/ビデオシリーズ。
今回はI.M.ペイ(イオ・ミン・ペイ)です。

コルビュジエと同じく丸い黒縁眼鏡ですが特徴的なのは、
コルビュジエが仏頂面なのに対し、ペイは笑顔であること。
この笑顔は彼のトレードマークともいえます。


1917年生まれのペイは今年で91才ですが今なおご健在のようで
ニーマイヤーに続く長寿の高名建築家です。


本DVDに収録されている彼の作品は以下の7つ。

  ・ルーブル、ガラスのピラミッド(1989)
  ・香港、中国銀行ビル(1982-1990)
  ・滋賀県、MIHOミュージアム(1989)
  ・ボストン、ジョン・ハンコックタワー(1976)
  ・ナショナルアートギャラリー東棟(1974)
  ・ワシントンD.C.、ロックの殿堂(1995)
  ・ダラス、マイヤーソン・シンフォニーセンター(1989)


彼の建築のトレードマークはルーブルのピラミッドに代表されるように「三角形」。
といっても形に囚われたわけではなく、構造を追求していく過程で
もっとも安定する形である三角形に必然的にたどり着いたもの。




[ルーブル、ガラスのピラミッド内部]


東洋人らしく、彼の言葉は哲学的で心に響くものが多い。
優れた建築家は優れた思想を持っているんでしょうね。

ネットからひろってきた画像と共に心に残った彼の台詞をピックアップしていきます。


長い年月に耐える何かを持つには本質をとらえる必要がある。本質こそが唯一永く耐えられるからです。それ以外は一時的な流行です。

流行に興味がないものは本質を捉えるしかない。
本質を捉えるには時間をかけるしかない。


建築とは機能を提供するものである。

デザインとアートの違いについて、その解を得るための1つのヒントのような気がしました。

私は理論に固まった建築家ではない。でも自分に忠実であるなら個性が出てくるものでしょう。...自分の建築にレッテルを貼られるのは嫌です。モダンやポストモダンやデ・コンストラクションなど"主義"を使うのは勝手だがそれは流行でどれも信じていません。最後まで生き残ったのがその時代の建築なのです。

肩書きは所詮自分や他人のアイデンティティを理解するための1つの過程でしかない、
ということでしょうか。
肩書きやレッテルは所詮ラベルでしかなく、
ラベルはラベルを貼られるものの本質を表現するものではない。


芸術作品を創るのに即座の満足はなくその経験が私にはありません。どんな芸術、建築においても、それが適切であったかどうかの最終的な判断には時間が必要です。それゆえ私は時間という要素を大変重要視してますしそう考えたいのです。

今の世の中時間をかけることは悪だとされますがはたしてそれは良い風潮なのか。
どんな世の中になっても時間かけて成熟させるべきものがあるのではないか?
...ということを考えさせられます。


コルビュジエから私は形態の自由と可塑性を学んだ。彼は私が学んだ芸術とは全く異なった形態を扱っていました。コルビュジエが偉大な建築家であったのは彼の時代の芸術的な高揚をその時代の仕事に結びつけたからです。ごく早い時期から彼自身がその高まりの一部だったそれで彼の仕事は時代と密接に関係しているのです。そして彼の仕事はその時代の彫刻や絵画と結びつくことで一層豊かになります。私にとって重要な教訓となりました。建築のことしか考えず自分が大きな思想の流れの一部あることを認めなければ損をすると思いますよ。

彼は師にも恵まれたようです。
最初はあのグロピウスに学ぶもさほど影響を受けず。
アルヴァ・アアルトやマルセル・ブロイヤーに大いに影響を受けたようです。
そして実際に師事したわけではないですがコルビュジエからも影響を受けた。
あの黒縁眼鏡もそうなのかな...


建築と構造は別の分野ではありません。それらは1つですし1つであるべきです。建造物の力の流れを理解していない建築家に本当に良い設計ができるとは思いません。それが私の信念です。...構造の理解から自由な幾何学的な形態が得られる。私もデザインでは幾何学が推進力になると信じています。といってもセザンヌが絵で表現したように立方体、球体、円錐体だけでできたものではない。組み合わせや変化が必要です。それは可能だ。まだある。建築の形態を作るには他に多くの要素も大事です。空間は建築の実体です。そして光。光は特に重要だ。光なしでは形は意味がない。太陽光は変化に富んで不思議です。幾何学は建築の基礎です。私にとっては設計時に全ての要素を結ぶ体系的なものです。その上テクスチャー、色、形、光、空間などがある。幾何学を建築に取り込むためには多くの要素が必要です。

彼の幾何学図形、とくに三角形へのこだわりがどこから来るのか、
その答えがここに表現されている気がします。
構造を考える人が別にいるにしても、
建築家自身も構造を理解すべきだという点に本質があると思います。
デザイナーは形を考えれば良いではない。
「本質」を表現しなければならないのだ。



[中国銀行ビル]


「従来の機能に従う形態ではなく、構造に従う形態」で設計されたビル。


全ては連続的です。芸術には決して急な変化はない。私は連続性を信じるがそれは改革をも意味します。革新は深い源泉から来なければならない。

とかくその派手さに目がいきがちな芸術ですが本質は見えないところで
ゆっくり流れているものなんでしょうね。
革新はそれを端的に一部を表したものに過ぎない、と。


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[MIHOミュージアム]

日本唯一の作品。
2018年8月に訪れました。
同じ東洋人として、もっと彼の建築が日本にあってもいいだろうに...



[ジョン・ハンコック]

今見ても斬新な外観ですが竣工直前にビルの1/3の窓ガラスが風で落下してしまい、
ペイの評判を下げてしまった曰く付きの建物。
天才にも失敗はある...という例でしょうか。



[ナショナルアートギャラリー東館]

ジョン・ハンコックタワーでの一件から名誉挽回した建物。
やはり三角形がキーフォームになってます。

ナショナルギャラリーは三角形なので消点が3つです。多くの建物は四角形なので消点は2つ。バロック式の教会には無数にある。"消点"は専門用語です。人が空間の中を動くと空間も動く。消点によって人はある刺激を受けます。ここに立って空間を見たらそのまま空間を捉えられる。でも一旦動くと空間もあなたと共に動き始めます。湾曲した線が曲線の形態や空間になるのです。

消点ってなんだろ?消失点?
...うーん勉強不足です。



[ロックの殿堂]

80才を前にして設計したロックの殿堂。
いやー若い。
若いもんに負けていません。



[マイヤーソン・シンフォニーセンター]

音楽は私にある感応を起こす。私が三角のグリッドを越えて成長できる瞬間です。この建物に曲面を導入します。それは変化の自然な帰結です。建築は自分のスタイルを故意に変えるものではない。それは成長の中の進化の過程です。私は年をとり多くを見てきたので成熟はしたかもしれないが変化とは違う。私の仕事は人々が「こんな建築見たことがない!」と興奮するようなものではない。逆に「確かによく出来ているね、でも見たことがある。これはペイの作品だ」と言って欲しい。だからこの作品に変化を見いだすとは思わない。見いだすのは絶え間ない成長の過程です。多くを見、多くを考えた結果なのです。

それまで三角形にこだわり続けたものがこの建物では打て変わって曲線を導入。
それは気まぐれな変化ではなく、連続した過程における成長の結果なんだと。

感動を与える手段は何もサプライズだけではない。
本質を正しく見える形にするだけで人は感動する。


ミース、コルビュジエ、ブロイヤーからの影響はあります。形を変えてここにある。何かを吸収するとそれが現れてしまう。しかし全く同じ形ではない。消化しきれず変化する。それしかないんです。お手本のまねだけでは進歩もないし貢献もできない。

「学ぶ」ことは「真似る」ことからはじまるけど、あくまでそれははじまりにすぎない。
真似ることからいかに学ぶか。
それを考えることが重要なんでしょうね。


この職業は物を見ることを教えてくれる。目から建物の情報を得るからです。見ることを学び違ったものが見えるようになる。一箇所だけでなく遠いところのものもある。だから足を運ぶのです。旅をし、見て訪れることは建築家にとっては読書やミース、コルビュジエのデザインを真似ることより大切です。そうして人生は豊かになり自分の世界が作れるのです。ある意味ではその世界の歴史を知っているのだから。

真の本質は触覚にあると思う。
にもかかわらずなぜ触覚の本質は分かりづらく、視覚はここまで大きくウェイトを占めるのか。
そしてなぜ人は旅をするのか。

...自分の世界を作るために、自分の人生を豊かにするために。


その道は険しく、遠い。
しかし僕は今、ゆっくりではあるが一歩一歩確実に前に進んでいる...はず。