「好き」というエネルギー

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仕事の打ち合わせで久々に大学へ出かけました。

学校の前の環八沿いの道にLED街路灯が設置されてました。

そして大学ではちょうど造形学科の卒業制作展がはじまっていました。

打ち合わせが早く終われば見ようと思っていたのですが、結局間に合わず。
やむなく図録だけもらってきました。

まあ25日までやってるので、また別の日にでも。


春休みに入って大学から離れた途端、
自分の中のエネルギーがすーっと抜けていった。

あれもやりたい、これもやりたい、と思っていたのに、
なにもできないまま3月も半ばを過ぎた。


あらためて僕は今、大学からエネルギーをもらっていたことに気付かされた。

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正確には大学から「好き」というエネルギーをもらって、
それを体内で燃焼させていた。


なにかをやりたいと思うとき、とかくするとそれが「できるかどうか」で
やりたいことを選択しようとするけど、それは正しい選択じゃない。

できるかどうかはやってみなければ分からないし、
やってもすぐにできるようになるとは限らない。


必要なのは自分が本能的に求めるものがなんなのか、
という根源的な本質を見つけること。

そしてそれが見つかった後、
継続して行うために必要なエネルギーを自分に注ぎ続けること。

そのエネルギーは、体力とか、センスとか、素質とかいろいろあるけれど、
決定的なものは「気力」だと思う。
自分が見つけたものをどれだけ「好き」でいられるか、ということじゃないだろうか。

自分は能力がないから、想像力が乏しいから、絵が下手だから、
デザインができないんじゃない。

まだデザインに「ぞっこん」じゃないからデザインができないんだ。


自分はデザインが好きで、その中でも建築が最も好きだということが分かった。

でもまだまだ「好き」の気持ちが足らない。

好きで好きでたまらなかったら、
この春休みで僕の部屋はスケッチや模型などの作品であふれているはずだ。

...現実にはただの1枚のスケッチも描いてない。


ただ、頭の中ではなんとなく形になってきている。
それがこの2年間の成果なのだろう。

...まだまだ大学から「気力」をもらう必要があるみたいです。


専門学校は仕事をしていく上で必要な「道具」を与えてくれる。
一方大学は仕事をしていく上で必要な「気力」を与えてくれる。


学校で良い成績をとるのが最終目標なんじゃない。
成績はあくまで1つの側面的な結果に過ぎない。

学校から「好き」というエネルギーをもらわなくても、
自分自身で「好き」というエネルギーを燃やし続けるようにすること。
それが卒業までに自分が到達しなければならない目標なのだと思う。

そしてその目標に到達できたなら、
滞って、回り道してきた人生も、スムーズに回転するようになる気がする。


「好き」のエネルギーが自分の中にあふれれば、
もう一度誰かを好きになることができるのかも知れない。
もう一度家族を持ちたい、という希望を持てるようになるのかも知れない。
誰かと同じ喜びを分かち合うことができるようになるのかも知れない。


だから僕は今、居るべくして大学に居るんだな。


...うん、僕の歩みは、間違ってない。