船、山にのぼる 【PHスタジオ】

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[船、山にのぼるパンフレット(700円)]


4月5日初日にアートドキュメンタリー映画「船、山にのぼる」を観てきました。

初日に映画を観に行ったのははじめてです。
別にPHスタジオや本田監督の大ファンというわけではありません。
関係者でもありません。

お目当ては初日先着30名にプレゼントされる、というPHスタジオの作品集。

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PHスタジオの人気度がいまいち分からないので
21時上映開始に対し、18時20分ごろ劇場のユーロスペースへ向かう。

ユーロスペースは入場時に整理券を発行するシステム。
整理券の番号は18番。

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無事作品集もゲット。

上映開始まで時間があるので近くのマックで読書。
もらった作品集をパラパラめくったあと、
なかなか読み進まないフランク・ロイド・ライトの本を読む。


15分前に再び劇場に向かうとすごい人ごみ。
初日ってやっぱこんなものなんだ...と思いながら入場を待つ。
定刻から5分遅れで入場していよいよ上映開始...
...の前に初日ということで関係者による舞台挨拶。

ナレーションを担当した川野誠一さん、
PHスタジオの池田修さんと細淵太麻紀さん、
そして監督の本田孝義さん。


ダムを造るということはどういうことか。

全ての生き物は自然に隷属して生きている。
それが自然界に生きる生きものたちの「自然」な姿だと思う。

でも。
人間だけが自然を隷属させようとしている。
そしてその行為が地球規模で無視できないところまできている。



広島県北東部のとある町がダムに沈むという。
ダムの建設で20万本の木が消えるという。

それを聞いた建築家と美術家と写真家から成るユニット、PHスタジオは
"森の引越し"をテーマとしたプロジェクト「船をつくる話」を思いつきます。

ダム建設の話が持ち上がったのが1965年。
それからおよそ30年後の1994年に「船をつくる話」プロジェクトがスタート。
2700本の木を使って長さ60メートルもの巨大な船を造り、
山のてっぺんに移動させようというのがプロジェクトの主な内容。
1994年にはじまったこのプロジェクトはそれから2006年までの
およそ12年間にわたる実に壮大な計画となりました。

たぶん最初はこの映画を観る人はもちろん、
ダムに沈む町の人々もこのプロジェクトがなんのためのものなのか、
よく分からなかったのではないでしょうか。


住み慣れた町を離れなければならない、というのは本当に寂しいものです。
だからダム建設、というとどうしても暗いイメージになってしまう。
そこに「楽しく船を作りましょう」という明るい希望をこのプロジェクトは持ってきた。

未来に対して明るい希望を人々に与えること。
それはどんな産業でも、どんな職業においても究極の理想とされていること。
このプロジェクトではデザインという手段をもってその理想を追求したのだと思う。
ダムに沈む人々のみならず、世のデザイナーに対しても
希望を与えるものになったと思います。


一方でこの映画を観て考えさせられるのは「人間の傲慢さ」。
着眼点を人間に当てれば、
「ダムに沈む町の人々に希望を与えられて良かったね、めでたしめでたし」です。

しかし。
広大な自然を、生態系を、人間の都合だけで勝手に強引に変えてしまう
この行為について僕等はなにも感じなくていいのだろうか。

このダムを作る目的は「洪水対策」「生活用水の確保」「水不足対策」だそうです。
人間社会の中においてはこれらの目的は必要不可欠な要素で、
して当然で良い行いとみなされるものです。

しかしそのために20万本の木を水没させる。
強引に生態系を変える、もしくは殺してしまう。
...はたして自然に対してそこまでの代償を求めてまで行うべきことなのだろうか。


町の人々の思い入れのある古い巨木「えみき爺さん」を引っこ抜いて移動させる。
そのままにしておけば水に沈んでしまうものを、
町の人総出で引っ張って移動させる。
...一見感動するシーンです。

でも部外者である僕の客観的な視点から見れば、
えみき爺さんがかわいそうでたまらなかった。
痛ましくてならなかった。

水没させてしまうくらいなら、
引っこ抜いて移動させたほうがまだ良いのかもしれない。

でも一番良いのは水没もさせず、引越しもさせないこと。
そうだよね?

自然はなにも言わない。
だから人間は罪悪感を感じない。
それを良いことにこれまで人間はさんざん自然を自分の都合の良いように扱ってきた。

でも、なにも言わなくても自然は結果で答える。
自らの行為によって自分たちの住む大地が、住む星が危なくなってきていることに
気付き、ようやく一部の人々は自分たちのしていることに疑問を感じるようになった。
アル・ゴアのいう「不都合な真実」に人々はようやく気付きはじめたのです。
しかしやっぱりまだ「一部」。
このプロジェクトは社会からけして厚遇されてはいなかったのではないかと思います。
そんな感じがこの映画からひしひし伝わってきました。

あくまで素人の所感ですが。

まず映画の質自体があまり良くないと思いました。
それは監督の手腕云々の問題ではなく、
たぶん低予算で作らざるを得ない状況にあったのだと思う。
監督さんはさぞかし苦労してこの映画を作ったのでしょう。

CGがほとんど使われず、ナレーションと現地の映像のみの解説のため
プロジェクトの全容が伝わりにくい。

組みあがった船を移動させるのは2艘の非力な小型ボート。
もっとパワーのある船で引っ張ればスムーズに移動できたんじゃないの?
...と思いました。


一番気になるのはこの船の「今」です。
移動して「はい、おしまい」となってはいないだろうか。
それだとせっかく12年もの歳月をかけたこのプロジェクトの魅力が半減してしまいます。

大切なのはこれから。
この船はダムに沈んだ町の人々の希望であると同時に
人類にとって「不都合な真実」を自覚するためのシンボルであり、モニュメントなのです。

船は放置されて雑草に埋もれてしまっていたりはしてないだろうか。
えみき爺さんは元気に根付いているのだろうか。

Google Mapで探してみると見つかりました。

今でもちゃんとメンテされてるといいんですけど...


建築家の藤森照信さんはこの船を「ノアの箱舟」だと言ってます。
ノアの箱舟は神様が作ったものです。
人間が隷属すべき存在が神だとすれば、
神の真の姿はキリストでもアラーでも仏陀でもなく、「自然」ではないでしょうか。
だから僕は人が作った神を信じません。
ただ自然を敬うのみです。
ただ、それは宗教そのものを否定するものではなく、
宗教を通じて生まれる「信心」は大切にしたいし、
信心が生まれる場所である教会や仏閣は好きです。


しかしやっぱり自然の神様は箱舟を作ったりはしない。
箱舟を作るのはやはり人間なのです。

正しい箱舟を作ること。
それが建築と呼ぶものであり、
ガウディやライト、カラトラバが作ってきたもののような気がするのです。